旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

久しぶりのイギリスビール

2008-03-12 15:58:31 | 

 

 以前の会社の同僚と旅の話をしていたところ、イングリッシュエール(イギリスビール)に話が及んだ。彼はロンドンを訪ねたとき、是非ともイングリッシュパブに出かけビールを飲もうと思っていたが、時間がなくてついに行けなかったという。
 それなら、せめて日本にあるイングリッシュパブを訪ね、本場のリアルエールとはいかないがイギリスビールを飲もうではないかということになり、もう一人の仲間を誘い、昨夜、目黒の「目黒タバーン」に出かけた。
 入ってみると「プレミアーロンドンスタイル」と銘打つだけあってイングリッシュパブの雰囲気の立派な店。(といっても、私はオクスフォードとロンドンのパブ2店舗しか行った事がないのだが。)さすがに外人(恐らくイギリス人であろう)が多く、にぎやかに騒ぎながら呑んでる雰囲気も楽しかった。
 イングリッシュエールといっても、日本では大手の物しか飲めない。昨夜飲んだビールも、BASS(バス)、GUINNESS(ギネス)、KILKENNY(キルケニィ)など大手ビール会社のものであった。中でもBASS社のペールエール(PALE ALE)が人気がよかった。最初に飲んだせいもあり、程よい酸味がよかったのだろう。私はギネスのスタウトが好きだが。
 おつまみはイングリッシュパブ定番の「フィッシュ & チップス」・・・、そのほか何種類かとったが、「フィッシュ & チップス」が一番合うから不思議だ。イギリスで食べたものより洗練された上品な味に受け取れたが、「日本版フィッシュ & チップス」というところであろう。
 イギリスエールは、日本などのピルスナービール(のどごしで飲む澄んだビール)とベルギービールの中間に位置するものと思っている。話をしながらチビチビやるビールに属するものだ。
 それにしても日本のビールはもっと工夫がいるだろう。ベルギービールやイングリッシュエールに比べると、各社の個性がほとんどない。これでは「とりあえずのビール」の域を出ないだろう。地ビールももう一つ伸びないし、ビールに限っては日本人は味音痴ではないか・・・?
                            


初マラソン初優勝のさわやかさーー中村友梨香さん

2008-03-10 21:47:28 | スポーツ

 

 昨日の名古屋国際マラソンの優勝者中村友梨香が、北京五輪代表最後の枠にすべり込んだ。初マラソン初優勝という新顔の登場で、女子マラソン界はまた厚みを増したことになるのだろう。それよりも、この初顔の清々しさが印象に残った。
 まず、初マラソンの印象を聞かれた優勝インタビューに対し、「マラソンって、沿道にこんなにたくさん人がいるのかと驚きました」という発言が初々しかった。おそらく彼女の名前はそれほど知られていなかった筈で、名指しの応援は少なかったに違いないが、ただ「頑張れ、頑張れ!」という声援を大きな支えにして走り続けたのだろう。
 プレッシャーについての、「はじめてが一番プレッシャーなく走れる。何度も走っている方がしんどいのかなあと思った」という応えも初々しかった。この無欲の挑戦が(もちろん彼女も勝ちたいと思って走ったのだが)勝利をもたらしたのかもしれない。
 彼女も勝ちたいと思っていたことは次の発言で明らかだ。
 「五輪はいつか出たい大会・・・、選考会に出られてよかった。これで(五輪に)近づいた」
選考会に出られたこと自体を喜びとし、それによりやがての夢五輪出場に近づいたことを素直に喜んでいることがほほえましかった。
 初々しさの極めつけは、一夜明けた今朝のインタビューでの発言であった。それは、
 「ゴールの仕方がダメでした。みんなもう少し笑顔でゴールしているが、余裕がなくて考えられなかった」

 私は告げたい。「中村さん。百戦錬磨の選手が、作ったような笑顔でゴールする姿より、力を出し切り、苦痛にゆがんだ貴方の顔の方がはるかに美しかったよ」と。

 期待された高橋尚子選手は想像以上に不振であった。半月板の手術による不十分な練習で身体が動かず、彼女は「こうまで体が動かないのか・・・おかしいな、夢かな・・・」と思ったと言う。
 時代は常に動いている。ここにもまた新しい世界が現出しているのである。
                            


甑倒し(こしきだおし)--酒つくりを終える時節

2008-03-08 16:23:18 | 

 

 前回「春の酒」にふれて、さて3月の酒は何か、などと思ったが、3月はむしろ酒つくりを終える月だということに気づいた。これから4月にかけて、全国の各蔵は19年度の酒つくりを終えていく。つまり3月は甑倒し(こしきだおし)の時節である。
 酒つくりは先ず「米を蒸す」作業から始まる(その前に米を削る作業もあるが)。その米を蒸す容器を甑という。蒸篭(せいろ)の大きいやつと思えばいい。大きさも少々のものではなく、米が蒸しあがると人が中に入りスコップで蒸米を汲み出すほどの大きさだ。
 日本酒は寒つくりといって寒い時期・・・だいたい秋10月頃から翌春3月頃にかけて造るので、秋の造りの始まりは、まず甑を大きな釜に据え付けて米を蒸すことから始まる。そして酒つくりシーズンの終了を告げるのが、蒸米を終えた甑を倒し綺麗に洗って片付ける作業である。(そのあと、もろみを仕上げ、搾って酒にするまで1ヶ月ぐらいはかかるのであるが)
 この甑を片付ける作業を甑倒しと呼び、その日をもって酒の仕込みを終えるのである。作業を終えると蔵人たちは一堂に会し宴を張る。その年の酒つくりの無事を祝うのである。大いに飲み大いに唄い、あらん限りを発散する。だいぶ前のことになるが、新潟のある蔵の甑倒しの宴に参加させてもらったことがある。全員そうとうに酔いがまわってから、一番年配の蔵人が『米とぎ唄』に始まり『仕込み唄』まで様々な酒造り唄を披露してくれ、最も若い蔵人たちがチューリップの『心の旅』を絶叫しながら唄ったことを思い出す。

 3月は酒の仕込みを終える時節。そろそろあちこちの蔵で甑倒しが始まっていることだろう。
 今年の酒の出来具合は、如何ばかりであろうかと思う。
                             
                                             


春の酒

2008-03-07 18:25:59 | 

 

 春の酒といえば、すぐ思い出すのが日野草城の「妻も飲むあまくつめたき春の酒」という句である。私の妻は酒を飲まない。にもかかわらずこの句を思い出す。春を伝えるひびきが心地よいからだろう。
 この句に詠われた春の酒というのはどんな酒だろう。「あまくつめたき」というところから、お雛様に供える白酒だろうと一般的には思える。白酒というのは、もち米と味醂でつくるドロドロした酒で、確かに甘いがアルコール分など極めて低いのだろう。酒として飲んだ記憶はあまりない。ただ、「あまくつめたき」という言葉が、未だ寒さを残す季節の分かれ目(「あまく」が春の暖かさ、「つめたき」が冬の寒さ)を表現しているようでなんとも心に残る。

 今年はとうとうお雛様も飾らなかった。娘が嫁に行ったあとも毎年飾っていたが、年寄り二人では、だんだん雛は似つかわしくなくなったと言うべきだろう。もちろん昔も、人形は飾っていたが白酒はあまり造らなかったようだ。私が毎晩清酒を飲み、いわゆる酒飲みの家風であるので酒はいつも家にあり、わざわざ白酒を造ることもなかったのかもしれない。
 しかしこの年になって、逆に、「甘く冷たき」白酒を妻と飲んでみたいなどと思う。
 季節の行事が、別の観点から懐かしくなる年域に入ったのかもしれない。

                             


マリア・カラスは幸せであったか

2008-03-05 17:26:28 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 『マリア・カラス最後の恋』という映画を見た。ワイフと娘と見終わった後お茶を飲みながら「マリア・カラスは幸せであったか」ということが話題になった。
 
世紀の歌姫としてオペラ界を席巻した人間の生涯が不幸であったとなれば、この世に幸せなどあるのか・・・と言いたくなるが、燃え上がった恋の炎の影に事業家としての相手(オナシス)の打算がうごめくのを見て、どうしても満たしきれない愛に悶える姿は、これまた決して幸福とは言えない姿であった。
 
オナシスは海運業者の娘と結婚して、二十世紀最大の海運王への道を歩く。その結婚はどう見ても政略的で、その後マリア・カラスと会って恋に落ちるが、事業のために妻との離婚をためらう。
 
その態度をカラスになじられ、妻の要求にも迫られてついに離婚するが、そのあと現れたジャクリーヌ・ケネディ(アメリカ大統領未亡人)と、これまた事業の拡大などを狙って結婚する。その間カラスとの関係を維持しようと求め続けるが、ついに破局を迎える。
 オナシスは、最初の妻とジャクリーヌとも結婚するが、マリア・カラスとはどうしても結婚しなかった。しかし彼は、もしかしたらマリア・カラスだけを、何の打算もなく愛したのかもしれない。映画のラストシーン、オナシスは死を目前にして「一番大事なものを失った」ことを自省してカラスのアパートを訪ねる。もちろんカラスは、彼を部屋にも入れない。オナシスへの愛は消えていなかったに違いないが。
 そこに、「マリア・カラスは不幸な生涯を送った」と思わせるものがあるのだ。
 
死の直前にしてようやく「大切な愛」に気づくが、もはや遅すぎたオナシスにはあまり同情はわかない。何といってもオナシスは贅沢すぎる。海運王の娘、世紀の歌姫、アメリカ大統領夫人、と取り替えていく・・・。そもそも名前からして「アリストテレス・ソクラテス・オナシス」というのは欲張りすぎではないか、ということもあるかもしれない。
 その中で当然のことながら「愛の充実」を得ることが出来なかったマリア・カラスに“哀れ”が漂うのだ。

 しかし結論的には、歌手として世界のプリマドンナの地位にのぼりつめ、これだけの名声を残しているのだから、やはり幸せであったのだ、という平凡な結論に落ち着いたが。
                             


発言に見る「人の品格」

2008-03-03 17:22:23 | 時局雑感

 

 世間をゆるがせているイージス艦と漁船の衝突事故で,さまざまな人がテレビで発言するが、その中で二人の発言に,ひときわ際立った対照的印象を受けた。 
 
漁協の外記組合長と石破大臣の発言である。
 漁協組合長の発言とその態度には、実に心地よい品格を感じてきた。声を張り上げるわけでもなく強がりを言うでもないが、毅然とした態度が揺るがず発言も一貫していた。また吉清親子を語るときは「・・・いい船頭だった。せがれも心優しい好青年だった。」と涙を流し、前日捜索が打ち切られた時点では、「これまで精一杯やってくれた。感謝する」とお礼を述べて、捜索隊に清々しく頭を下げた。なんとも人倫に生きている人という感じを受けた。
 一方石破大臣の発言はひどい。国会での「現時点ではイージス艦の乗組員とは接触してない」という発言で、「現時点というのは“今の瞬間”のことで、事故直後に会ったことは別・・・」という説明は、あまりにも国民を愚弄していないか? 国会での前原議員の質問の真意が、「事故発生後から現時点まで」という意味であることを理解する能力がないとすれば、そのような低能力の人間に国を守る防衛を任せていいのかと、薄ら寒くなった。
 いくらなんでも最高学府を出て大臣までやる人間であれば、前原議員の質問の趣旨は理解出来ていたに違いない。それを都合のいいように言いくるめようとしているとすれば、あまりにも人間的に低俗であるといわざるを得ない。
 私は、外記組合長がどのような教育を受けて、どのような育ちをしてきたのかを知らない。しかし一国の一大臣よりも、はるかに優れた人格の持ち主であることだけは感じとれた。
 人間は、土壇場に立ち至ったときにその品格が現れるのだと思った。
                             


春 三月

2008-03-01 13:02:32 | 

 

  三月一日・・・季節の上の春を迎えた。暦の上では二月四日を立春とするが、むしろそれ以降すさまじい寒さを味わってきた。東京も何度か雪に見舞われ、出張先の秋田では「地吹雪」の話を聞いた。
 それに比べ今日は暖かく、季節としての春を実感している。
 昨夜は、わが社の総務部員三人で、「春を迎える心の準備をしよう」と一杯やった。三人は、私の72才を始め経理担当と総務担当のいずれも50歳半ばの女性で、平均年齢60歳以上の爺さんおばさん集団。このところ難しい問題が山積していたので、「心の憂さを酒に捨てて、明日からの春三月を迎えよう」というわけだ。
 そんなものを捨てられては酒も迷惑だろうが、飲む方は年のわりには元気よく、とりあえずのビールに始まり銚子7~8本を空けた。近くに新装成ったすし屋で、やりいか、さより、金目鯛などの刺身やアンコウの肝などを肴に、名倉山純米吟醸(福島)、村重純米吟醸(山口)、「喜び」特別純米(秋田)など純米酒を楽しんだ。さよりとやりいかは、キリッとした名倉山が合い、アンコウの肝はむしろ柔らかい味の村重が合う、など能書きを言いながら。
 面白いのは、これらの酒は全て「冷酒」として準備されており、お燗をしてくれない(最後は無理を言って燗してもらったが)。燗酒は(それもわざわざ「熱燗」と書かれていたが)白鶴だけである。その白鶴も純米酒であったが、なぜ白鶴だけが燗酒なのだろうか? 次回訪問時に聞いてみよう。
 地酒は冷酒、ナショナルブランドは燗酒との区分けだろうか? なにせ大手ナショナルブランドは、戦後長きにわたってアル添三増酒という混ぜ物酒を提供してきたので、その報いが来ているのではないか、などと思った。

 酒には申し訳なかったが、その中に「憂さを捨てた」お陰で、今日は春そのものを迎えた感じだ。毎日新聞一面下段の「季節のたより」欄には、「三月は春そのものを示している」という解説つきで次の俳句が掲げられている。

   
いきいきと三月生(うま)る雲の奥     飯田竜太


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