旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

マリア・カラスは幸せであったか

2008-03-05 17:26:28 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 『マリア・カラス最後の恋』という映画を見た。ワイフと娘と見終わった後お茶を飲みながら「マリア・カラスは幸せであったか」ということが話題になった。
 
世紀の歌姫としてオペラ界を席巻した人間の生涯が不幸であったとなれば、この世に幸せなどあるのか・・・と言いたくなるが、燃え上がった恋の炎の影に事業家としての相手(オナシス)の打算がうごめくのを見て、どうしても満たしきれない愛に悶える姿は、これまた決して幸福とは言えない姿であった。
 
オナシスは海運業者の娘と結婚して、二十世紀最大の海運王への道を歩く。その結婚はどう見ても政略的で、その後マリア・カラスと会って恋に落ちるが、事業のために妻との離婚をためらう。
 
その態度をカラスになじられ、妻の要求にも迫られてついに離婚するが、そのあと現れたジャクリーヌ・ケネディ(アメリカ大統領未亡人)と、これまた事業の拡大などを狙って結婚する。その間カラスとの関係を維持しようと求め続けるが、ついに破局を迎える。
 オナシスは、最初の妻とジャクリーヌとも結婚するが、マリア・カラスとはどうしても結婚しなかった。しかし彼は、もしかしたらマリア・カラスだけを、何の打算もなく愛したのかもしれない。映画のラストシーン、オナシスは死を目前にして「一番大事なものを失った」ことを自省してカラスのアパートを訪ねる。もちろんカラスは、彼を部屋にも入れない。オナシスへの愛は消えていなかったに違いないが。
 そこに、「マリア・カラスは不幸な生涯を送った」と思わせるものがあるのだ。
 
死の直前にしてようやく「大切な愛」に気づくが、もはや遅すぎたオナシスにはあまり同情はわかない。何といってもオナシスは贅沢すぎる。海運王の娘、世紀の歌姫、アメリカ大統領夫人、と取り替えていく・・・。そもそも名前からして「アリストテレス・ソクラテス・オナシス」というのは欲張りすぎではないか、ということもあるかもしれない。
 その中で当然のことながら「愛の充実」を得ることが出来なかったマリア・カラスに“哀れ”が漂うのだ。

 しかし結論的には、歌手として世界のプリマドンナの地位にのぼりつめ、これだけの名声を残しているのだから、やはり幸せであったのだ、という平凡な結論に落ち着いたが。
                             


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