三月一日・・・季節の上の春を迎えた。暦の上では二月四日を立春とするが、むしろそれ以降すさまじい寒さを味わってきた。東京も何度か雪に見舞われ、出張先の秋田では「地吹雪」の話を聞いた。
それに比べ今日は暖かく、季節としての春を実感している。
昨夜は、わが社の総務部員三人で、「春を迎える心の準備をしよう」と一杯やった。三人は、私の72才を始め経理担当と総務担当のいずれも50歳半ばの女性で、平均年齢60歳以上の爺さんおばさん集団。このところ難しい問題が山積していたので、「心の憂さを酒に捨てて、明日からの春三月を迎えよう」というわけだ。
そんなものを捨てられては酒も迷惑だろうが、飲む方は年のわりには元気よく、とりあえずのビールに始まり銚子7~8本を空けた。近くに新装成ったすし屋で、やりいか、さより、金目鯛などの刺身やアンコウの肝などを肴に、名倉山純米吟醸(福島)、村重純米吟醸(山口)、「喜び」特別純米(秋田)など純米酒を楽しんだ。さよりとやりいかは、キリッとした名倉山が合い、アンコウの肝はむしろ柔らかい味の村重が合う、など能書きを言いながら。
面白いのは、これらの酒は全て「冷酒」として準備されており、お燗をしてくれない(最後は無理を言って燗してもらったが)。燗酒は(それもわざわざ「熱燗」と書かれていたが)白鶴だけである。その白鶴も純米酒であったが、なぜ白鶴だけが燗酒なのだろうか? 次回訪問時に聞いてみよう。
地酒は冷酒、ナショナルブランドは燗酒との区分けだろうか? なにせ大手ナショナルブランドは、戦後長きにわたってアル添三増酒という混ぜ物酒を提供してきたので、その報いが来ているのではないか、などと思った。
酒には申し訳なかったが、その中に「憂さを捨てた」お陰で、今日は春そのものを迎えた感じだ。毎日新聞一面下段の「季節のたより」欄には、「三月は春そのものを示している」という解説つきで次の俳句が掲げられている。
いきいきと三月生(うま)る雲の奥 飯田竜太
話は抜きにして、飲んで食べて楽しむということは
人生そのもの。一回限りの人生。