旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

本場のふぐ

2008-02-09 18:21:45 | 

 

 前回「ふぐの鰭酒(ひれざけ)」について書いたが、ひれ酒もふぐ料理があってこその話。日本人はこの料理を好み、どこに行ってもふぐ料理はある。
 大阪ではてっちり(ふぐチリ)、てっさ(ふぐ刺)などと呼ばれ(ふぐの毒が「あたる」ことからふぐを鉄砲と呼ぶことからきたらしい)、かなり一般に食べられている。広島でも安くて人気のある料理だった。水揚げ量の多い北九州(特に下関)は、こここぞ本場と豪語している。
 その中で、私の生まれた大分県臼杵市は、ひそかに「ふぐの本場」を自負している。
 それは、ふぐの食べ方が他所とまったく違うからだ。刺身、ちり鍋、雑炊という形は他所と変わらない。違うのはふぐの肝の食べ方である。ふぐの猛毒はその血のなかに含まれており、血を取り除けば毒にあたることはない。一番難しいのが肝の中の血を取り除くことといわれており、その技術さえあれば肝ほど美味しいものはない。
 わが故郷では、ふぐ刺を頼むと白身の刺身とともに握りこぶしぐらい大きい肝の塊が出てくる。それをポン酢醤油などにドロドロに溶かして、それに白身の刺身をまぶして食べる。なんともいえない美味しさだ。そもそも白身だけのふぐは、それほど美味しいものではない。むしろかわはぎやひらめなどの方が美味しいぐらいだ。ふぐの美味しさはその白身より肝にあるのだ。どろどろの肝の味でその白身を食べるから美味しいのだ。
 その時の酒は何が良いか?
 他地のように白身だけを食べるのなら、味は淡白でもあり大吟醸がいいかもしれない。しかし肝にまぶした刺身となると、酸味の利いた山廃純米吟醸がいい。それも無濾過生原酒ぐらいでないと味で勝てない。
 そこまでは冷でよいが、ふぐちりの段階になると純米酒の燗酒がよくなる。これも山廃純米のぬる燗がいい。前回、ひれ酒の熱燗について書いたが、熱燗では料理の味がわからなくなり、ふぐの味を味わうにはぬる燗(せいぜい42,43度)がいいだろう。酒の味も料理の味も味わえる限度は45度どまりではないか?
 ふぐ雑炊を終えて、なお一口飲みたいというのであれば、きりっとした焼酎にするしかあるまい。わが九州には、それに適した焼酎がごまんとある。
 その意味からも臼杵は「ふぐの本場」と自負している。(なお、これについては臼杵に住む三弟が”ふぐを食べるプロ”を自認しているので、何らかのコメントが付いてくるかもしれない。)
                             


ふぐの鰭酒(ひれざけ)

2008-02-07 22:01:10 | 

 

 昔勤めた会社の施設で、OBも使用が許され値段も安い保養所があるので、OB会などは専らそこで催される。その保養所の定番料理が「ふぐのコース料理」。ふぐ刺に始まりふぐちり、ふぐ雑炊というコースである。
 そして飲む酒は「ふぐの鰭酒(ひれざけ)」がこれまた定番。いわゆる、焼いたふぐのひれを熱燗の酒につけたもので、香ばしい香りを楽しみながら飲む酒だ。酒が無くなってもふぐのひれは残り、まだまだ香ばしい香りを立てているので、熱燗酒だけを注文して注ぎ足し何杯でも飲む。
 このような酒に使う酒は概して良い酒である必要はない。焼いたひれの香りが全てに優先するので、酒の本来の味などはほとんど前面に出ない。普通酒で十分だろうしアル添三増酒でもわかりはしないだろう。せいぜい本醸造酒なら立派なものだ。
 しかも相当な熱燗を注ぐので酔う速度も速く、本来の酒の味を味わうどころの話ではない。つまりこれは、日本酒というジャンルには入らないもので、ふぐのひれの香ばしさを味わう「香味アルコール飲料」とでも言うものだと思っている。
 しかし、ふぐ料理は一般には高級料理となっているので、それを次々と平らげながら景気よく熱燗を呷るのは豪勢な気分で、酒の中身などより雰囲気に酔って、大満足に終わるのが相場だ。車座になって気炎を上げながら飲むのが好きな日本人には格好の酒かもしれない。
 普通はあまり酒も飲まない女性も、「あら・・・いい香り」なんて言いながらつい飲み過ごし、顔を赤らめておしゃべりも弾む。

  
ひれ酒にすこしみだれし女かな   小源太郎

                             

                                         


2月・・・酒  この季節感も今やないか?

2008-02-05 23:13:31 | 

 

 ふり返れば酒について随分長いこと書いてない。カテゴリーは三つで、酒、旅、時局雑感となっているが、旅が断然多く、年末年始にかけて時節柄か時局雑感が続いた。
 2月を迎えて、寒造りの酒を思い出す。昔、広島時代に『広島歳時記』を書いたが「2月・・・酒」であった。酒どころ広島に住んでいて、2月といえば迷わず「酒」としたことを思い出す。しかし、今やそのような季節性はなくなったのかもしれない。当時「2月・・・酒」としたのは、多くの酒蔵が2月に大吟醸を造るからであった。寒造りといわれる酒の、一番いい酒を酒造りに最も適した時節に造るのである。
 しかし今や大吟醸などいつでも飲めるし、もっと言えば大吟醸が一番いい酒かどうかもわからなくなった。香りが一番重視され、冷たく冷やして飲むものと決められた大吟醸は、寒い冬にはあまり適さない。むしろ夏に飲む酒かもしれない。
 冬は、純米酒の燗酒、もっと言えば山廃純米の燗酒のほうが、冷たい大吟醸よりはるかに美味しいと思う。様々な鍋料理にもこの方が合う。季節性がなくなったのではなくて、本当の「酒の季節性」が問われ始めたのかもしれない。

 今、歳時記を書くとすれば、酒は何月とするのであろうか?
                             
                     


東京の雪

2008-02-03 16:33:05 | 時局雑感

 

 朝目覚めてカーテンを引くと、真っ白な雪景色であった。昨日から報じられていたが、本当に東京にも雪が積もったのだ。一日中降り続き、都心でも3センチぐらいは積もるようだ。この冬では2、3回目の雪であるが、このように積もったのは初めてで、珍しくもありうれしくもある。
 すぐそばのコンビニに新聞を買いに行くにも傘をさして行ったが、

   我が物と思えば軽し傘の雪    基 角

という風情はない。重く感じるほど積もりもしないし、そもそもそのような傘は”蛇の目”でなければ様にならない。白いビニール傘では色の感じも出やしない。
 初めて積もった雪の上を歩くのなら、

   
初雪や二の字二の字の下駄の跡   捨 女

といきたいものだが、今や下駄などない(探せばあるにはあるのだが・・・)。濡れてもいいような古い靴をつっかけ、滑らないようにひょこひょこ歩いているのでは、これまたなんの風情もない。
 それどころか、ワイフと二人で玄関周りの雪掻きをして、初めて積もった雪を片付けてしまった。物を配達してくれる人や、自転車で来る人たちに邪魔になる、というのがワイフの心配だ。都会人の生活には、少しの雪も邪魔なのだ。
 書斎に落ち着くとまだ降り続き、猫の額のような庭に小さい雪景色が作り出されている。
 このまま夕暮れを迎えれば、

   
おのづから雪見酒とはなりにけり  児玉南章

となるのであろうか・・・・・・。
                                

  


「世界にたった一つの花」さん、有難う

2008-02-02 16:27:23 | 時局雑感

 

 前回の「『葦の手帖』のこと」という投稿に、「世界にたった一つの花」さんより、「夢って力だよね」というコメントをいただいた。
 このコメントはうれしかった。これをくれた方は誰だろう? としきりに思った。あの人かな?いや彼かな? などと思い当たる人の名前が何人か浮かんだが、「いや全く知らない人であろう」ということに決めた。未知の人とほんの少しでも「共通の世界」を持つことが出来れば、こんなうれしいことはないから・・・。
 この「一つの花」さんは、本の値打ちは「数よりも質である」と書いた私の主張に共鳴してくれた。一冊の本が、それはたとえ全国の書店に並ばなくとも、書いた人から身近な人に手渡され、それが渡された人に小さな夢でも与えるならば、それこそ本の役目であり、それはやがて大きな力を生み出していくだろう。
 このコメントは、「このような発想をするブログの発信者に拍手!」と結ばれていた。
 私のブログは、一日のアクセス数は平均40~50、読んでくれるページ数も100に満たない。これまで何度も書いてきたように、ITの世界は素晴らしい技術の陰に多くの危険が潜んでいる。実に下劣なコメントやトラックバックが付いてくる。だから私はそれらと一線を画しつつ、愚直に自分の考えを発信し続けることだけに務めている。
 それは、このコメントのようなうれしい広がりが、年に一つでもあればいい、と思っているからだ。のめりこむことなく、二日に一回の投稿ペースを守っているのもそのためだ。

 コメントの投稿者が「世界にたった一つの花」というのもうれしかった。思えばSMAPが紅白歌合戦で「世界で一つだけの花」を歌ったのは何年前だったっけ。あれは私には衝撃的だった。日本は少しずつ変わっていくのではないか・・・?などと期待したものだ。
 その後、これまたコメント者が引用した寺島実郎氏の『脳力のレッスン』を教材に社内で勉強会をやったりしたことを思い出した。その中に「一つの花」を書いた寺島氏は、現代知識人の中でも最高水準の一人だと思っている。
 「同じ思いの人が身近にたくさんいるのではないか」とうれしくなった。

 重ねてお礼を言います。「世界にたった一つの花」さん、有難う。夢って本当に力だと思います。
                            
                                          
 


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