旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

弱い円の旅(2)ーー高いホテル代

2007-10-12 12:26:16 | 

 

 痛切に感じたヨーロッパの物価高(その主因は円の弱さにあるのだが)の一例として各地のホテル代について触れておく。

 フランクフルトは友人宅の「シャワートイレ付の一室」をあてがわれたので、毎日食事つきのお世話になったが、一歩外に出ると宿泊料の高さを実感した。
 ざっと円換算した料金は以下の通り(いずれも三ツ星、四ツ星クラスで、ツイン一室の料金)。

 ミュンヘン   31,000円 (朝食込み)
 ロンドン    21,000円 (  同  )
 オクスフォード     38,000円 (朝食別、1人約3,000円)
 リヨン      24,000円 (同  、1人約2,700円)

 ロンドンは郊外のホテルであるが友人の常宿ホテルで、会社の契約と同じにしてくれたので特別料金。ミュンヘンはオクトーバーフェストの初日でかなり高額となったと言うが、朝食代2人分(5~6千円)を勘案すればリヨンなどと同じか。これまた友人が苦労して予約してくれたもので、ビール祭り会場にも街の中心にも歩いていける点ロケーションも最高。
 驚いたのはオクスフォードで、確かに古色な高級感のある雰囲気ではあったが、38千円は高いと思った。その上朝食は二人で6千円、かなり高いと思った。ただ、レストランはパブ風で、エールを飲むに最高の雰囲気だった。
 リヨンの「グランドホテル ボスコーロ」は、東京からインターネットで苦労して予約したものだが、広い部屋、高い天井、明るい化粧室、バスルームなど快適であった。ローヌ川に面しかつ旧市街の真ん中に近いロケーションといい、相対的コストパフォーマンスでは最高であった。

 総じてツイン1室で3万円は最低と言う感じ。友人の言では「ロンドンで80ポンド(約2万円)以下のホテルは無いと思っている」というので(もちろんそこそこ立派なホテルを前提としているが)、日本からすれば高いと言えるのだろう。もちろんこれも、かつてより3~4割弱くなった円のなせるわざである。
 まあしかし、上述したように、それぞれ特徴的で十分な満足を与えてもらったことを思えば、文句を言えた筋ではない。
                     

 
 


「弱い円」の旅

2007-10-11 15:08:01 | 

 

 ヨーロッパ三国(独、仏、英)の旅で一番身にしみたのは「円の弱さ」であった。どこの国で何を買っても、何を食べても「高い」と思った。失われた10年(15年?)という長い不況の中で、日本の物価は上がらなかった。むしろ下がった。かつて世界一の高物価都市は東京であったが、今はかなり順位を下げている。そのような国から出て行けばどこも物価は高く映る。
 しかし最大の原因は「円の弱さ」だ。国際間の物価比較は、通貨の交換比率を通して測られるので、自国通貨の強弱が物の価格を大きく左右する。

 20年前最初にアメリカに行った時、今回とは逆に、何を買っても何を食べても「安い」と思った。特に90年代の「1ドル百円以下」の時代は、金を払うとき何か申し訳ないような気がしたものだ。
 今回はそれと全く逆転した時代を感じた。
 最も円の強いときは「1ドル80円台」であった。今は1ドル115~120円だ。80円が120円になったということは40円アップ、つまり5割アップだ。同じ中味の1万円の物が1万5千円になれば、これはちょっと抵抗を感じる。
 ユーロも120円くらいからはじまり今は160~170円だ。40~50円のアップというのは、これまた3~4割の値上がり。ポンドに至っては250円ともっと割高だ。実際にそれだけ物の値打ちが上がっているのなら仕方ないが、物は同じで、相場の所為だけで高くなるのだから堪らない。
 その中の旅は本当に辛く、何か惨めな思いさえした。

 旅の準備をしている8月の中旬、アメリカのサブプライム問題からドルがかなり下がった。それにつれてユーロも160円台から150円台に下がった。最低は8月17日の152.76円、しめしめと思い少しずつユーロを買い込んだ。サブプライム問題の深刻さから見て140円台もありうると甘く構えていたところ、さにあらず、じりじり持ち直して私がドイツに向けて出発した9月19日には161.88円と160円台に逆戻り、10月に入って164円台を続ける中で、10月5日帰朝した。(使用数字はいずれも、対顧客電信相場の仲値)
 相対的とは言え突如到来した円の強さを楽しもうと思ったのだが、なかなかうまくいかないものである。
 まあ、久しぶりに為替相場に思いをいたし、一喜一憂しただけでもよしとするか…。
                                                      

 


2007年秋「純米酒フェスティバル」

2007-10-08 15:05:27 | 

 

 長いヨーロッパ旅行から帰って二日目、秋の純米シ酒フェスティバルだ。時差ぼけと溜まった疲れが残っていたが、半年ごとに会う蔵元やお客さんの顔が目に浮かび出かけた。
 一つには、ドイツ、フランス、英国で飲んできた酒から、日本酒を見直したいと思ったからだ。新しく参加してくれた六つの蔵を含めた45蔵の純米酒はいずれも素晴らしく、決してヨーロッパの酒に負けるものではないが、まだ大半を占める混ぜもの日本酒と酒の戦後史を振り返って、私は挨拶で次のように話した。

 「・・・・・・ミュンヘンとロンドンでは専らビールを、フランクフルトとリヨンではワインを中心に飲んできた。そこで感じたことは、いずれも個性があり、良い味を持っているということであった。
 振り返って日本の酒は、混ぜもの酒、混ぜものビールが大半であるので、それぞれの酒に個性が無く味に乏しい。
 日本酒には醸造用アルコールや糖類や調味料が混ぜられてきたので、どこの蔵で造った酒もほとんど同じとなる。
 ビールも、ドイツでは麦芽とホップ以外の混入が許されていないが、日本のビールには、米やスターチやコーンが混ぜられているので、これ又どこのビールも大して味は変わらない。(俺はキリンだ、私はアサヒだ・・・、などと言っているが、目隠しして飲ませると殆どあたらない。)
 日本人は、よく、かくも長く無個性で味に乏しい酒に我慢してきたものだとつくずく思った。決して味オンチの民族ではないと思うが。
 味を生かし、個性を打ち出すには、日本酒は純米酒であり、ビールはエビスやサントリーモルツなどのモルツビール(麦芽とホップだけのビール)だ、
 その点だけから見ても、本日の45蔵、約300銘柄の純米酒は十分味わうに足りる。十分味わって自分の酒を見つけて欲しい。・・・」

 日本酒がシェアーを落とす中で純米酒だけは落ちていない。ビールでも人気アンケートではエビスなどがトップや上位を占める。
 食品はやはり純であることが出発点である。
                     


ヨーロッパから帰ってきました。

2007-10-05 21:41:27 | 

 

 9月19日に日本を離れ、ドイツのフランクフルトを中心に、ヴェツラー、ミュンヘン(含むのノイシュバンシュタイン城など)、ロンドン、コッツウォールズ、オックスフォード、フランスのリヨンなどを訪問、再びフランクフルトに帰り、ライン川下り(リューデスハイムなど)、ハイデルベルクなどを楽しんで来ました。
 この間、ロンドンではミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」、フランクフルトではオペラ「ドン・カルロ」を観るなど、やや過剰気味のスケジュールを何とかこなしてきました。72歳の爺さんと、67歳の婆さんにしては、よく生きて帰ってきたと思っています。(ワイフは向こうで誕生日を迎え、友人たちに盛大に祝ってもらいました) もちろん、いくつかブログで書いてきたように、ドイツとフランスの友人はじめ、多くの人に助けられてのことでありましたが・・・。気持ちよく送り出してくれた家族や職場の人たちにも、改めて感謝しています。

 昨日フランクフルトを発つときは、到着時には青々としていた木々がすっかり紅葉し、道路は赤や黄色の落葉でいっぱいでした。緯度の高い国々の季節の移ろいの早さを実感しました。
 日本も出発時の暑さが納まっていてほっとしました。
 実りの秋を、より収穫の多い時節にしたいと念じています。
                    07年10月5日
                               


よい旅を与えてくれた人々

2007-10-04 17:26:44 | 

 

 お世話になったドイツの友人M一家と,フランスの友人セルジュ一家はもちろん、この旅では親切な人にたくさん会って助けてもらった。
 成田を飛び立つとまもなく、隣席の青年と親しくなった。ニュールンベルグの大学生で、日本で研究を続けており、母国のお父さんのところへ帰る途中だ。実に好青年で、東京で会う約束をした。
 リヨンでは昼食のレストランでリヨン市長と隣の席となり、セルジュ君が引き合わせてくれた。親しく会話を交わしたあと、リヨンと横浜は姉妹都市であるので来浜の際は会う約束まで出来た。
 リヨンからフランクフルトへ帰る飛行機では、ハイデルベルグのお母様のところに帰る30歳のパイロットと隣り合わせになり、一時間の飛行中話し続けた。最後は、迷路のような広大なフランクフルト空港を出口まで案内してくれた。彼は私たちがドイツの友人と会うのを見届けて後、自分のバッゲージを取りに行った。
 そのほか、たくさんの親切な人に会った。また、周囲の人を親切に助ける多くの若者の姿を見た。半ば不安な気持ちを常に抱く旅人にとって、何よりも心の支えになった。
 これらを糧に、今後を生きていくことにしよう。
                               2007年10月4日                             


ドイツ最後の夜

2007-10-04 05:14:07 | 

 

 あっという間に2週間が過ぎた。最初に訪ねたミュンヘンのことなどは、2~3ヶ月前のことのような気がする。 さまざまな記憶が重層的に脳裏をよぎる。  

ミュンヘン
 清楚なノイシュバンシュタイン城と燃え盛るオクトーバーフェスト(ビール祭り)、中でも狂乱とも言いたいホフブロイハウスの飲みっぷり。  

ロンドン
  交通渋滞の中で垣間見ただけの名所の数々…ただミュージカル「サウンドオブミュージック」は好調なテンポで小気味よかった。 それに、オックスフォードのパブと、猫ちゃんの案内してくれた英国庭園「ミル・デーン・ガーデン」も印象的。
 
リヨン 
 前回のブログに書いたとおり。それ以上何も書かない。  

フランクフルトとその周辺
 ゲーテとヴェツラー、ライン下り、オペラ「ドンカルロ」の迫力、ラインガウワインの美味しさ、最後に訪問したハイデルベルグの威厳と落着き…

  何よりも2週間お世話になった友人一家のもてなしで、この旅は生涯忘れられないものとなる。 
 明日日本に帰る。以降、この旅の詳細を書き続けることになるだろう。
                      07年10月3日


ライン(Rhein)―ードイツの父なる大河

2007-10-03 03:00:59 | 

 

 待望のライン下り…
 リューデスハイムからローレライの崖などを経てザンクト・ゴアスハウゼンまで約2時間、次々に現れる両岸の古城と美しい家並みを眺めながら、ラインの流れに身をゆだねた。
 広い川幅、豊かな水量、両岸に広がる広大なブドウ畑…、ライン河こそドイツを育んだ父なる大河であることを実感した。
 到着地で迎えてくれた友人の車で、再びリューデスハイムまで帰り、崖上より大河の流れを眺めたあと昼食、ようやく慣れてきたドイツ地元料理(とにかくさまざまな肉が中心)に地元ワインがよく合う。さすがに「白ワイン」が美味しい。
 ワイン屋を回りながら、娘婿に土産品と指定された「アウスレーゼ」を買い込む。        07年10月2日


麗しきかな リヨン!

2007-10-02 00:34:18 | 

 

 リヨンは美しかった。美しい、という表現では言い尽くせないので「麗しきかな」としたが、それでも言い足りない。筆舌に尽くしがたいとはこのことだろう。
 友人セルジュ君が何度も「リヨンに来い」とメールしてきた理由がわかった。彼は、当初パリに行く予定の私たちを「なぜパリなどに行くのだ。フランスで最も美しい町はリヨンだ。なんとしてもリヨンに来い」と強引に誘ってきたのだ。半ば眉唾で行ったが、彼の言葉がどんなに正しかったかとつくづく思った。
 町を案内しながら、美しさに感嘆する私たちに、彼は胸を張って

 「俺はこの町で生まれ育った。親もここで育ったのだ!」

と何回も言った。彼が自慢するに十分値する町の景観、歴史の重み、それを大事に守ってきた人々の功績に感動しながら、同時に、自分の町にこれほど誇りを持てる彼をうらやましく思った。

 私たちはいつの日か、セルジュ君のように誇りうる日本を築くことができるのだろうか……?
                  07年10月1日


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