前回、「アメリカの一州兵としてイラク戦争に参戦し」、「・・日雇い肉体労働であろうが、戦争であろうがお金を稼ぐことに変わりない。生活に追い詰められた選択肢の一つが戦争であったに過ぎない」と答える日本人K氏の発言に慄然としたと書いた。しかし、この本の著者堤未果氏は、「あなたにとって日本国憲法の存在は?」と、なお問い続ける。彼は答える。
「日本人としてイラクに行くことで、(中略)なぜそんなに騒ぐんです。苦しい生活のために数少ない選択肢の一つである戦争を選んだ僕は人間としてそんなに失格ですか? たまたま9条を持つ日本に生まれたからといって(中略)。アメリカ社会が僕から奪ったのは25条です。人間らしく生き延びるための生存権を失った時、9条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは人間として当たり前ですよ。・・・」(187頁)
アメリカとアメリカの軍隊についても、K氏は次のように答える。
「軍隊を持つのはその国の権利だと僕は思う。(中略)アメリカ人は自由は当たり前のように手に入ると思っているけれど、今の便利な生活はただで手に入れたものじゃない。政府が民主主義をうまく機能させたからこそ、国民は恩恵を受けられているんです」(185~186頁)
この答えに対し、質問した著者はそれ以上の論争を書くことをせず、民主主義に対する自らの見解を、以下のように要約している。
「民主主義には二種類ある。『経済重視の民主主義』と『いのちをものさしにした民主主義』だ。前者は大量生産大量廃棄を行い、確かに日常生活の便利をもたらし、そのもっとも効率のよいビッグビジネスが戦争だろう。しかし後者は、環境や人権、人間らしい暮らしに光をあてる。前者では国民は“消費者・捨て駒”となるが、後者では国民は個人の顔や生きてきた歴史、尊厳を持った“いのち”として扱われる」(186頁要約)
そしてその頁を次の言葉で結んでいる。
「K氏の体験したように、軍隊というものが未来ある若者たちに“いのち”をどこで捨てても同じだというイメージを植えつける場所であるならば、憲法9条ほど国家レベルでこの“いのち”に重きを置いたものが他にあるだろうか?」(186頁)
すばらしい提言である。もっともプリミティブな生活の現場を取材する中で提起されたたものだけに、この提言は光り輝く。
いうと、必ずしもそうでもないのではないかという
疑問がわいてくること。アルカイーダのような組織
が核兵器とかその他いろいろな兵器を保持すること
が起こった場合、世界中、軍隊なしの国家であった
場合、対処できるのかというと?
…ガンジーの非暴力主義で一貫し、その時は殺され ても仕方なしという覚悟をすべての主権国家が持 つに至るまでには時期尚早の時代に生きているよ うな気がする。
2.国連軍のようなものは必要だというのが現実的な
ところではないのかと私は個人的には考えてい
る。
実際は軍事同盟である「日米同盟」と貼り合わせのものだという事実を考えると、私自身は忸怩たる思いでそれを捉えています。
ある特定のイデオロギーだけが主に「善」とされる日本型の民主主義の中で育った私には、堤氏の言わんとすることも理解できますが、現在の世界の主要国と言われる国々で、「いわゆる」お世辞や喧伝以外の目的でそれをまともに取り上げたり実行したりする国があるとはとても思えません。現実にあまりに即していないからです。
堤さんとは会ったこともないので、ことさら非難するつもりはありませんが、TNさんの考えのほうがよほど現実的だと思います。