昨夜、NHKの衛星映画劇場でイタリア映画「イル・ポスティーノ」を再び見た。10年以上前に有楽町の映画館で見て、それ以来心に残り続けている映画である。
ブログを読み返してみるとちょうど一年前、07年3月3日に「サリーナ島への想い」という題でこの映画に触れている。シチリアへの旅の思い出を書く中で、その旅で訪ねたナソという街からティレニア海に浮かぶサリーナ島を遠望したときの思い出を書いたものだ。というのは、「イル・ポスティーノ」の舞台がサリーナ島であるからだ。
チリ革命(アジェンデ社会主義政権)瓦解のあと、同政権の樹立に係わった詩人パブロ・ネルーダがこの島に逃避し、そこに毎日郵便物を届ける郵便配達夫(ポスティーノ)とネルーダとの友情物語だ。無学な漁夫の子である郵便配達夫マリオをマッシモ・トロイージが演じ、淡々と描き進んで、ただ清々(すがすが)しさだけが残った・・・というような映画である。
マリオは自分の思いを恋人に伝えようとネルーダの詩をそのまま書き写した手紙を送る。それが発覚して、ネルーダは「人の詩を勝手に使ってはいけない」と諭す。しかしマリオは「・・・詩はそれを最も必要する人のものである」と言い返す。その裏には「貴方の詩はもはや貴方のものではなく世界全人民のものである」という主張が隠されている。さすがにネルーダも「・・・実に民主的な考えだ・・・」と無断に使った罪を許す。
前回も書いたが、このシーンが一番好きだ。
チリに帰国したネルーダは数年後ふたたび島を訪れるが、マリオは既に亡く、パブリート(ネルーダの名前パブロのイタリア読み)という子供と、マリオがネルーダに送ろうと島の「波や風や空の音」を録音したテープが残されていた。ネルーダは海浜を歩きながらそれに聞き入る。
共産党員であるマリオは、党大会に参加し警官隊の弾圧の中で死んだのだ。マリオはそこで自作の詩を民衆の前で読むはずであった。それは「あるとき詩がやってきた・・・」というネルーダを称える詩であった。
その詩を書いた紙片が弾圧される群衆の中を舞い、踏みにじられていく場面で映画は終わる。そしてマリオを好演したマッシモ・トロイージも、この映画を撮り終えて一週間後に死んだ。
字幕の最後は「わが友 故マッシモに捧げる」という言葉であった。
名古屋にいるときに妻の友人の紹介で妻とビデオで見ました。
大きなな背景を持ちながらも映画はネルーダと郵便配達夫の交流が淡々と描かれる・・・
又見たいと思いました。
読ませていただきました。 又以前この映画を観た時の「感動」を蘇らせてくれました。 ありがとうございます。 マッシモが、詩人に目覚めて行く過程、そして最後詩人パブロが島に帰ってくる場面が一番良かったように思います。
「イル・ポスティーノ」・・・この映画は永遠に不滅だと思います。