白内障手術で入院などしているうちに、今年の桜は盛りを過ぎていた。しかし今年は、横須賀市逸見の塚山公園の桜を観る幸運に恵まれた。入院前の4月2日、快晴の下に広がる満開の桜であった。
なぜ横須賀市逸見か? 実は銀行時代の同僚の一人S氏が、逸見の住人であるからだ。横須賀といえば軍港、S氏の父親も海軍の軍人で、その生涯は波乱万丈であったという。個人に属することであるので詳細を記すことはしないが、S氏は、花見の道中を通してその栄枯盛衰を包み隠さず語ってくれた。
その盛衰、特に衰の時代生きたS氏の苦悩は想像を絶するものであったらしいが、彼は同時に、それを育んでくれた横須賀をこよなく愛していることを語った。自分の生まれ育った故郷をかくも誇らしく語ることができる彼をうらやましく思いながら、私は満開の桜を愛でた。
もう一つ。なぜ逸見の塚山公園か? それは逸見の領主がかの三浦按針(ウィリアム・アダムス)であり、按針を記念する塔(安針塚)がこの公園にあるからだ。
アダムスがオランダ船デ・リーフデ号で、2年の漂流の末流れ着いたのが、わがふるさと臼杵であった。1600年4月のこと、当時の豊後の国臼杵藩の佐志生という漁村。臼杵が私の故郷であることを知ったS氏は、いつの日か私を塚山公園はじめアダムスゆかりの場所に案内したいと計画してくれていたのだ。
アダムスは家康に外交顧問として採り上げられ、三浦按針の名を受けてこの逸見村250石を与えられた。歴史上唯一の外国人領主であった。そして逸見領民に大変慕われたという。
私は、最初に漂着したわが臼杵の先人が、アダムスたちを丁寧に取り扱い、やがて逸見の領民に慕われる存在になったことをうれしく思う。S氏は、そのつながりを大切にして、この花見の旅を計画してくれたのだ。
横須賀湾を望む
同行の三氏と、右上の戦艦は安倍内閣が空母に改造予定のもの
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