旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

トルコ紀行⑱ ・・・ 「グランド・バザール」、旅と買い物

2009-11-03 19:08:45 | 

 トルコの旅もアッと言う間に最終日を迎えた。ボスフォラス・クルージングを終えて「グランド・バザール」を垣間見て、その近くで昼食を終え飛行場に向かう。午後5時フライトで日本へ帰る・・・。最初の訪問地「エフェソスの遺跡」などまだ6日前のことだが、一ヶ月ぐらい前のように思える。毎日がそれだけ充実していたのであろう。
 
どこについても言えることだが、グランド・バザールなど少なくとも半日ぐらいかけないと「見た」ことにならないのではないか。われわれはほんの一時間、まさに垣間見ただけであった。もっとも、疲れはたまってきたし、それまで各地でかなり高額の買い物をしてきたので、イスタンブールには悪いが垣間見る程度にさせてもらった方が良かったのかもしれない。

 
KAPA
LI CARSI(カパル・チャルシ屋根つき市場)の入口門

 それにしてもこの市場は立派なものだ。トルコ語でカパル・チャルシュ(屋根つき市場)と呼ぶように、立派な屋根が付き、入り口など堂々たる門構えである。澁澤幸子著『イスタンブール歴史散歩』によれば、「屋内面積30平方キロメートル余、迷路のような屋内に、三千三百軒の店舗のほか、アンティークや貴金属が売買されるベデステン、モスク、泉、レストラン、郵便局等々がひしめきあっている。帝政時代は騎馬での通行が許され、巨大なオイル・ランプで照らされていたという」(同43頁)とある。
 
私とワイフは、ほんの2、3百メートルも歩いただろいうか、目指す「エブルアートのネクタイ」も探し当て得ず、もちろん、モスクも泉も郵便局も見ていない。エブルではないが自分と弟にネクタイを、他にスカーフとオリーブオイルをお土産に買った程度だ。しかし、これも行かなければ絶対にわからない雰囲気の市場(いちば)であった。

 市場の原型はビザンティン時代にさかのぼるようであるが、今のように立派な市場にしたのはオスマン帝国を築いたメフメットⅡ世(征服王)という。彼は「商人たちが安全公正に商売が出来るためにつくった」(前著42頁)というから、やはり民のことを思う指導者としての器(うつわ)を持っていたのであろう。織田信長が楽市・楽座の政策で商人の自由な活動により経済を活性化させたことなどと、一脈通じるのではないか。民の発展なくして国の発展が無いことは、洋の東西を問わない大原則であっただろう。

 そんなことを思いながらバザールを歩いただけで大した買い物もしなかったが、実はこの旅に関わる買い物は、その前の各地にあったのだ。エフェソス・パムッカレ間の「皮屋」、カッパドキア周辺の「絨毯屋」と「トルコ石屋」がそれである。そこにおける“狂乱の買い物風景"については次回に譲る。
                         

最後の食事をした場所の町並み


                                     


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