旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

子供はだれのものか … 結愛(ゆあ)ちゃん虐待死事件に思う

2018-06-11 15:18:42 | 時局雑感


 船戸結愛ちゃん(5歳)が、電気もつかない部屋に軟禁され、食事も一日一食しか与えられず衰弱死させられた事件が問題になっている。当の父親は、「しつけのため」と言っているようだが、想像を絶する虐待致死事件である。
 今の社会では、子供は家庭が育てることになっている。子供は、生きることつまり衣食住をすべて親に依存している。困ったときはすべて親に頼り、内外の恐怖から逃れるためにはすべて親にすがる。その親が、生きるに必要な食事も与えず、朝四時起床による体操やひらがな書きなどの課題だけは強制していた。彼女は毎朝、目覚ましをかけて起き、暗い中で課題をこなしていたという。そして、衰弱が進んでも医者にも診せてもらえなかったのだ。
 動物でもこうはしない。多くの記録映画が示すように、動物の親たちは、命がけでエサを集めて子共に与える。外敵が襲えば体を張って子供を守る。人間だけが(もちろん一部の人間だけであるが)、このような虐待をするのではないか? 人間社会特有の格差や貧困から自分自身を守るために。また、生半可な自我に目覚めて、その自我を守る、つまり自分のわがままを満たすために。

 結愛ちゃんは、どんなに不安であったかと思うと胸が詰まる。最後に頼るべき親に何を感じていたのであろうか? 「もう おねがい ゆるして …」と書き残されたメモは、誰に向けられていたのであろうか? 5歳の彼女は、ついに、人の愛を知らずに死んでいったのではないか?
 子供は社会のものだ、と言われる。しかし、子供を育てる能力のない親の手から、その子供を社会の手に委ねる仕組みを今の日本は持っていない。私を含め日本人の意識自体が、そのような水準に達していない。私たちは、準備不足のまま未知の手数料会に足を踏み入れているのではないか?


投票ボタン

blogram投票ボタン