W杯サッカーの初戦、対コロンビア戦の勝利に日本国中が湧いている。何といっても、W杯史上でアジア勢が南米諸国に勝ったのは初めてという、歴史的快挙であるからだ。私ももちろん、この勝利を喜んだ。しかし、もう一つ充足感に欠けているのだ。
理由はただ一つ。全戦のほとんどを、相手は1名減の10名で戦ったからだ。サッカーは11名で戦う。あの広いグラウンドを、10名の選手(除くキーパー)が連携しながら走り回るゲームだ。1名の減員は決定的ではないのか? 試合開始直後(3分後)に、コロンビアの一選手が「意図的なハンドプレーで相手のゴールの機会を奪った」という罪でレッドカードを突きつけられ退場となった。しかもPKを与えられた日本は、それで1点を先取した。その後87分間、コロンビアは10人の選手で戦い通した。
その10人を相手に、日本は1点しか取れなかったことに、私の未充足感があるようだ。
それにしてもサッカーという競技は厳しい競技であるということを思い知った。「手を使ってはいけない」という決まりになっているのだから、それを冒した者が反則を問われるのは当然だ。しかも悪質な反則なら退場処分を受けても仕方なかろう。しかし、相応の処分を受けるのであるから、その後のゲームは、退場者分の補充を認め「11人づつで行うという正常な状態」で続けていいのではないか、と思う。
しかしサッカーの精神は、「そのような重い罪を犯す人間を抱えたチームは、その責めを、全員で、最後まで背負っていかねばならない」と言っているかに見える。これは厳しい。その裏には、サッカーにおける「1点の重み」があるような気がする。その「1点の重み」の機会を奪うような反則は、犯した人間はもちろん、仲間全員で最後まで背負っていかなければならない程の罪なのだ。
11人中1人欠ける…、これは将棋なら角落ちみたいなものではないか? この重い罪を背負い、ほぼ全時間を戦った相手から1点しか取れなかった。これは物足りなかった。それとも、日本人的友愛の精神(和をもって貴しとなす)が、最小限の得点に止めた、と言うのなら別だが。
(追記)一つ心配なことがある。コロンビアは、1994年のW杯米国大会で、自国選手のオウンゴールでアメリカに負けた。その選手エスコバルは、帰国後射殺された。今回ハンドの罪を犯したカルロス・サンチェス選手が、殺害されるようなことだけはないことを願う。