突如発生した日本大学アメフト部の悪質タックル問題が、学校スポーツ部の在り方から学校側、特に日本大学のようなマンモス大学の在り方までが問われる大問題を呼び起こし、世を騒がせている。中身を知るにつけ、論じるにも足りない唾棄すべき問題だと思うが、折しも政局を動かしている「森友・加計問題」や「議事録・資料改ざん問題」に対する政府や官僚の対応が、あまりの似ているので、悪の相似点として一言触れておく。
まず第一に、このような事件が発覚し記者会見する責任者たちは、必ず「私は言っていない」、「現場と解釈に乖離があった」と逃げる。そして、言った言わないの話になると、最後は必ず「記憶がない」と逃げる。今回の井上コーチも、最初は「つぶしてこい、なんて言わなかった」と言っていたが、状況が怪しくなると、「言ったかどうか記憶にない」に切り替えた。
日本で一番頭がいいとされる東大卒財務官僚も、「記憶にない」を連発し、都合のいいことだけは後に「思い出す」のである
第二に、全て「上の人間の思いを忖度」しながら動いている世界である。13人もいるコーチ陣もその周辺も、人事権まで握る日大ナンバー2には何も言えず、その思いを図りながら行動する。その内田監督は「言わなくても分かるだろう」ってなものだ。今回はいろいろと言動がばれて、忖度もばれてしまったが。
加計問題では、安倍首相の親友の意向を実現するために、首相案件として全関係者が処理していく。森友問題は首相夫人が名誉校長まで務めた学校の案件だから、全てそのあたりを忖度して処理していく…。
安倍首相や夫人は、「私は何も言ってません」とシラを切る。言ってないのかもしれない。しかし、全てがその思いを忖度して動いたからこそ、他を排除した新設認可や、8億円も値引きした土地購入などが実現したのではないか?
日本にとって今一番必要なのは、「重い罰を伴う忖度罪」ではないか? 忖度して動く人間もさることながら、忖度させるような人間もその社会から永久追放の必要がある。