原発推進論者の意見は主として次の3点に要約される。
1.福島事故に懲りて優れたエネルギー源たる原発を失うべきではない
2.安全性を高めて高い基準を満たす原発は再稼働すべき
3.電力供給の安定、コスト低減、貿易赤字回避による国富増大
福井地裁判決は、格調高くこれら3点を退けた。
まず第1点。住民の命や暮らしを守る人格権こそ憲法上最高の価値を持つとし、「原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分より劣位に置かれるべきだ」と述べ、「自然災害や戦争以外でこの根源的権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ」(判決要旨、5月22日付毎日新聞)と断じた。
第2点。関西電力は基準地振動の700ガロ以上の1260ガロに対応しているとし、1260をこえればシステム崩壊やメルトダウンが想定されるがそのような地震は想定できないと主張。それに対し判決は、「頼るべき過去のデータは限られ、大飯原発に1260ガロを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ」(同上)と主張を退けた。加えて、700を超える地震が2005年以降、四つの原発を5回襲っている例を挙げた。
第3点に対しては、「被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」とし、「原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ」(同上)と断じた。
ただただ、その格調高き判決文に頭の下がる思いだ。人類は、その処理方法も見つけ得ぬまま原子力を見切り発車で使ってきた。今こそその完全廃絶の道を真剣に求めるべきであろう。