「泣いた赤鬼」は、浜田廣介の名作童話をオペラ化したもの。鬼という日本独特の存在を通じて、日本人の伝説的な行動と友情を説いている。
3年前に娘のミャゴラトーリが公演したものを、森真奈美さん(ソプラノ歌手)率いる「わらびこども夢プロジェクト」が取り上げ、ミャゴラトーリ後援で、この3日公演された。文化の月11月の始まりと、女房ともども「川口リリア」まで出かけた。
子供たちの生き生きとした元気な姿は、いつ見てもいいものだ。
「泣いた赤鬼」のフィナーレ
うれしそうな出演者たち
今月8日のミャゴラトーリ「ガラ・コンサート」に続き、昨夜の「バリトンリサイタル」で、須藤慎吾という歌手の底力を見せられた思いがした。
ガラ・コンサートでは、例えば「リゴレット」の、あの有名な四重唱などを歌ったが、ステージの隅に立つだけで、また最初の声を発するだけでその存在感を示した。
とはいえ、四重唱やデュエットであったが、昨夜は、デュパルクの歌曲13曲を、圧倒的な歌唱力で歌い切った。私はデュパルクというフランスの作曲家を初めて知った。ボードレールなど名だたる詩人の詩を題材にした歌曲で、朗読付きであったのでそれを通して辛うじて理解しながら聞いた。王子ホールの雰囲気も、「旅へのいざない」という孤高の世界にふさわしく、何よりも歌手の歌唱力とすぐれた表現力に、ただ、ただ感動した2時間であった。
改めてその底力を見せつけられた。
須藤慎吾 練習風景 (首藤史織Facebookより)
うたごえ居酒屋『家路』から一片のハガキが届いた。時ならぬ時期の来状にイヤな予感を抱きながら文面を見ると、不安は的中、それは閉店のお知らせであった。
『ともしび』66年に続き、『家路』も42年の幕を下ろす。その知らせに接し、戦後民主主義の最後の一角が、音を立てて崩れ落ちる響きを聞いた。その音は静かだがいつまでも鳴り響いた。
うたごえ運動はその歴史的使命を終えたのであろう。ただ、『家路』は『ともしび』の分身でありながら、「うたとピアノと友だちと」をテーマに掲げたユニークな居酒屋で、単なる歌声喫茶と性格を異にしていた。だから、あの‘飲み屋激戦区’の新宿で42年もの営業を可能にしたのであろう。もちろん、経営にあたったP子さんの「語りと弾き歌い」という、類いまれな才能がそれを可能にしたのであるが。
『家路』という屋号が示すように、帰路につく多くの働く人たちを、P子さんは語りと弾き歌いで42年間癒し続けた。
戦後ともった巨大な灯が、また一つ消えた。
娘が主宰するオペラ普及団体ミャゴラトーリは、昨年暮れから取り組んだ6月のオペラ公演『秘密の結婚』が、コロナ禍で直前の中止を余儀なくされるなど苦悩を続けていたが、心ある支援者の方々から「がんばって!」、「オペラに灯を消さないで!」と多額の支援カンパが寄せられ、「何とかこれに応えなければ」と取り組んできたのがこのコンサート。
内容は、過去7年間にわたり公演してきたオペラ(「セヴィリアの理髪師」、「ラ・ボエーム」、「カヴァレリア・ルスティァーナ」、「カプレーティとモンテッキ」、「リゴレット」、「ドン・パスクアーレ」、「愛の妙薬」)のハイライトシーンを、9人の歌手が、ソロ、デュエット、四重奏などで歌うというもの。
しかもその歌手が、国光ともこ(ソプラノ)、須藤慎吾(バリトン)を始め、ソプラノの高橋絵理、メゾソプラノの中島郁子、向田由美子、テノールの寺田宗永、所谷直生、バリトン薮内俊哉、バスバリトン大澤恒夫という、実力ではトップ水準を行く歌手たちである。
加えてピアノが浅野菜生子、合唱指揮柴田真郁、解説岩田達宗(演出家)という顔ぶれ。これ以上の贅沢な構成が他にあろうか? これを、コロナによる入場制限もあり150人の観客で聴いたのだ(収容人員500人の小金井宮地楽器委ホール)
二幕のはじめとフィナーレの二つの全員合唱「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」(ナブッコ)と「愛だけがこたえ」(フィガロの結婚)を加え延3時間、私は、歌い上げられる愛や悲しみ、希望の彼方に心を奪われ続け、他事を思う余裕はなかった。
フィナーレで観客に挨拶する歌手たち
ピアニスト、指揮者、解説者も含めて
フィナーレで喜びのあまり手をつないだ歌手たちは消毒しながら退場。
コロナ対策も万全でした。
五歳になった孫の遥人の、ピアノ発表会の知らせがあった。いつからピアノを始めたのかと聞くと、この5月からだという。お母さんは作曲家でピアノはプロだが、親子の指導は難しい問題もあるらしく、近くのピアに教室に通っているらしい。
五歳の子が半年足らずのレッスンで曲が弾けるのだろうかと、不安も抱きながら仙川の会場に向かうと、ドッコイ! プログラムを見ると三曲も演じるという。ネクタイを締め盛装した姿が凛々しく見えた。
まず、お母さんと連弾で「海」を、続いてソロで「きらきら星」と「アルプス一万尺」を見事に弾いた。姿勢もよく、タッチも力強く、とても半年のレッスンとは思えなかった。オメデトウ 遥人!
お母さんと「海」を連弾
「ちょっとまちがっちゃった」
「ゴメンナサイ」
2曲を、立派な姿勢でソロ演奏。
ママとおばあちゃんと記念撮影
もらったご褒美をのぞき込み
喜んではしゃぎまわる(やっぱりまだ五歳だ)
高校生の藤井聡太七段が将棋界の二つのタイトルに挑戦しており、最年少タイトル獲得記録を更新しようとしている。
某テレビ番組で、藤井七段の師匠杉本八段が、藤井七段の将棋の手筋を「きらめきの手、やわらかい感性の手…」と解説していた。そしてそれは、今にして出来上がったものではなく、子供の頃(杉本師匠は小学校4年お時から藤井少年を指導している)から持っていたものだと話していた。
また別の解説者が、藤井七段の手筋の読み量について、その多さは抜群であると強調していた。例としてAIの読み量を引き合いにだし、「藤井七段の差し手を、通常の情報量(7000種類?)でAIに入れると良手とみなされない場合がある。そこでもっと多量の情報を入れると良手という評価に変わる。これは、藤井君の読み量はAIを超えているのではないかとも推測される」というようなことを言っていた。
一体、どのような頭脳をしているのであろうか? それよりも、彼の「きらめき」とか「やわらかい感性」とは、どのようなものなのだろうか? しかもそれを幼少のころから備えていたとは、一体どんな人間として生れ落ちてきたのであろうか?
楽しみにしていたプロ野球も大相撲も何もない。外出自粛でテレビを開けば、どのチャンネルもコロナ問題で、同じ内容を毎日同じように放送している。その中で、たった一つ、NHKが毎日午後4時20分から30分間流している「連続テレビ小説『ひよっこ』」の再放送が楽しい。
確か3,4年前の朝ドラであったと思うが、ビートルスや東京オリンピックに沸く昭和39年頃から40年代前半にかけて、高度成長を背景に田舎から都会に出てきた若者たちが、ひたすら前を向いて生きる姿を描いたドラマだ。当然そこには、いくつもの恋が生まれる。何とも美しい恋が……。
ああ、あんな清純な時代が確かにあった!
ドラマは次々とそれを辿る。
しかし、主人公二人(田舎から出てきてレストランで働く娘と、良家の跡継ぎの大学生)の恋も、やがて時代の波に翻弄されて壊れていく。「まことの恋がなめらかに進んだためしはない」(シェイクスピア『真夏の夜の夢』)のだ。
なにも恋だけではない。戦後民主主義と高度成長の下で伸び伸びと育った「明るい資本主義」は、やがてバブルをはらみその崩壊を迎え、そのあとをねらう新自由主義の下で、能力主義、格差政策(多くの貧困層の創出)が吹き荒れる「暗くて冷たい資本主義」への準備も進められていたのである。
しかし、たしかにあの清純な時代はあった!
新芽を出した庭のもみじ。やがて青葉となり、秋本格的に紅葉する
前回投稿(3月15日)で、わが家がかかわった二つのイベントがコロナウィルスにつぶされたと書いた。特に娘のイベントは延期できない、かけがえのないイベントであったが、それだけに参加予定者(支援者)は心を惜しみ、沢山のカンパを寄せてくれた。その話を聞いて私は、「文化の灯はコロナごときでは消えない」と書いたが、今度は出演予定者たちがその心意気を示した。
会は中止となったが、その当日14日に歌手3人とピアニストがわが家に集まり、急遽カンパを寄せてくれた方々にお礼の品として、オペラの一節の動画を贈ろうとその作成に取り組んだ。当日歌う予定であった『ドン・パスクアーレ』の中の男性二重奏である。こうして、歌を通じて出演者と観客(支援者)はますます深く結ばれていく……。
動画の制作を終えた後は必然的(?)に飲み会へと続く。私は当日提供する予定であった酒(「国稀」、「夏田冬蔵」、「天の戸金賞受賞酒」、「阿桜純米吟醸」、「鍋島純米吟醸」など)をすべて出した。
題して「コロナをやっつける会」と名付けた飲み会は、高邁な芸術論をも展開しながら深夜まで続いた。その様子を、大澤恒夫氏がフェイスブックで伝えているので、その中の写真2枚を借用して以下に掲げておく。
写真はいずれも大澤恒夫氏(中央)。他もみんな見た顔だなあ~
わが家はこの春、二つのイベントに取り組んでいた。私が計画した「純米酒を楽しむ会」(4月4日)と、娘が主宰するオペラ普及集団ミャゴラトーリの支援者の会(3月14日)である。前者には61名、後者には40数名の参加者が見込まれていた。これを襲ったのがコロナウィルスである。正確に言えばコロナを恐れる自粛ムードである。
先ずは私の純米酒会について。
本家の中国ではほとんど収まってきたようであるが、イタリアやイランを中心にまだまだ感染が広まっているので、決して軽視するつもりはないが、日本の感染者数は714人、死者21人(いずれも14日現在)で、この感染者比率は0.0006%で限りなくゼロに近い。増え方を見てもほぼピークアウトしたのではないかとみられ、私は4月4日の挙行を決めていた。加えて、政府をはじめとした自粛ムードの中にあっても、43名の人が参加の意思表示をしてきたのからだ。
ところが一方で、「もし何かあったらどうする」とい不安の声は消えず、「どうしても4月にやらなければならない会でもなく、延期しよう」という常識論も根強い。日本にあって714人が感染したが、その中の7,8割はすでに治っているのではないか? 国やマスコミは、何故かその数は報道しないが、治癒者を差し引けば患者は2,3百人ではないか? 参加者がその人に触れる確率は、限りなくゼロに近い。
しかしゼロではない。上記の常識論には最終的には勝てない。会は秋に延期した。
娘の「支援者の会」はもっとひどかった。6月にオペラ公演を控えそれもにらんで設定したこの会は、この機を外すと行えない。娘は、予防対策に万全を図りながら、何としても実行すべく取り組んできたが、5日前になって、会場側から「使用禁止」の通告を受けたのだ。もはや打つ手なし、中止を余儀なくされた。参加希望者の期待を裏切っただけでなく、練習を重ねてきたミニコンサート出演予定の4人の歌手とピアニストは、その瞬間ノーギャラとなったのだ。
結果的には、心ある参加予定者をはじめとした支援者から、かなりの額のカンパが寄せられ、娘はそれらを充てて予定したギャラをすべて払うことに決めたようだ。そのいきさつを涙ながらに報告してくれた娘の姿を見て、コロナ(それに伴う自粛ムード!)ごときで文化の灯は消えない、とつくづく思った。
何度も書いてきたように、日本は貧しい国になってきた。高度成長の中で築いた分厚い中間層は、中曽根内閣の戦後政治の総決算、小泉・竹中路線による競争原理の導入、という新自由主義の嵐の中で壊され、一部の富裕層と大多数の貧困層に分解された。その大多数の貧困層に属する庶民の生活は、ここ何十年も向上の兆しが見えない。安倍内閣はその総仕上げに励んでいる。
久しぶりに高田エージのクリスマス・コンサートに参加した。吉祥寺の「曼荼羅」で、27年間続けているという。彼は歌う。
今朝は 駅まで歩いて行った
もしかして 幸せが落ちているかもしれないから
彼らは大金持ちになろうなんて思っていない。大会社に入って出世しようなんて野望は抱いていない。道ばたに転がっている小さな幸せを探しているのだ。そして歌う。
長いこと待たせてゴメンね
……
世界中旅して探し回ったけど
幸せってこんなところにあったんだ
……
これは、とてつもなく貧しいことなんだろうか? いずれにせよ彼らは、そのままに歌い続ける。