ほんとに台風がよう来る。
ただ、今回は鳥取での影響はそうでもなかった。
「たらちねの 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩めず」
とは誰の詠んだ歌か覚えてないが、確か、中学校の国語の先生が教科書そっちのけで教えてくれたように記憶している。
読んでそのまんまだけど、その時に解説されて覚えているのは「たらちねの」は「母」につく言葉だということ。
でも、いまだに母親を背負ったことがないが、たぶん軽いだろうな~とは思う。
背負ってみようか、などと思うわけではないが、そんな思いも叶わんかもしれん。
1日朝、救急搬送されて即入院して集中治療室のベッドに意識もなく寝ている。
おそらく、記憶にある限りでは、これまで母親の手を握ったりさすったりしたことなぞなく、
こうして、手をさすってもなんの反応もなく、なんとなく小さくなった母を見つめるばかり。
医者からは「そう長くない」旨を告げられて、近親者が入れ替わり立ち替わり病院にやってくる。
10年以上も顔を見てない甥っ子や姪っ子もやってきて、お見舞いの後は旧交を温めるように晩酌で賑やかだ。
家の中に連れ合いの姿が見えんようになった父親は2、3分ごとに「おかあちゃんばどこに行った?」と聞き、
「病院におるけ心配せんでもええんで」とその都度答えるような会話を日に何度も繰り返さんといけん。
まるで、親の姿が見えない幼な子が親の姿を探して何度も何度も「どこ行ったん?」と聞いてくるようで、
気持ちを半分ほど塞いでおかないと、感情があふれてしまいそうになる。
そうしたことどもに弟たちと協力して対応しているので乗り切れるとは思う。
こんな状況は世の中にはいっぱいあるのだろうと思う。
今週はちょっと、どんよりとした内容となってしまった。
明日は明日、一日一日をガンバんべ~。
ちょい悪さま:大丈夫です。
内閣改造の評価も低下してどうなんでしょうね、安部さん。
やっぱ、「人柄が信用できない」という庶民感覚はまちごうてはないでしょね。
祖母が入院したときの事を思いだしました、
祖父が、「おばあちゃんは、どこ?」と、
何度も何度も聞き、その度に答えていました。
夜中、祖父が祖母を探し、外まで出ていた、
はだしで、、、
祖母が亡くなってすぐ、祖父は祖母との思い出がつまった大好きな家で、木が枯れるように老衰で亡くなったのでした、
すみません、こんな話しを書いてしまいました。でも、命は、繋がっています。
祖父の葬儀の日、私のお腹が痛みはじめ、長男が生まれたんです。私もいつか、その長男と別れ、大好きだった祖父母に会える日がくるのでしょう。
石川啄木の短歌ですね‼️