商社マン-東京→ニューヨーク→東京→Liverpool→東京→Ann Arbor→Austin日記

07年8月から5年間NY、帰国して2年半東京、その後何故か英国Liverpoolに。。引き続き思った事書いて行きます。

こういうものだと思えば結構食えるし美味い

2015-01-03 21:34:43 | Weblog
今日は以前いた部署でも一緒に働いたこともあり、こちらに駐在して既に4年経つ後輩の家に招待してもらった。リヴァプールから車で一時間弱の閑静な住宅街。家も当然ですが東京では、ていうか横浜とか千葉でもあり得ないくらいには広いです。こういう生活も好きならいいかなあと。

食事しながら色々話す中で、彼が駐在直後のご家族が来る前の食生活で、「リヴァプールで一人でいて食べ物にいかに苦労したか」という話になった。彼は料理もすげー上手だし(今日の料理も全て彼が作った)、料理をするのが苦痛だったという事ではなく、やはり「日本であるものが手に入らないし、食材も美味しくない」ということが理由だったようだ。

で、自分に立ち返ると、少なくともこの10日くらい、正直食べ物には「全く」困ってない。むしろ食材は安いし(外食は高いけど、スーパーは安い)、肉とか野菜とかもまあそれなりに新鮮で美味いなと思う。特に乳製品、チーズなんて考えられないくらい安い。でも確かに日本にあるようなサシの入った牛肉はないし、刺身も売ってないし、日本の米もない。そういう所謂日本で普通にあったものを求めてしまうと確かに「あれもない、これもない」という議論になるんだけど、食い物って結局その土地、その土地で違うものだし、それをある程度受け入れて「まあここではこういうもんかな」と思って眺めてみると、「お、ひき肉は日本では合い挽き肉が主流だけど、こっちはビーフ100%でいいな」とか、プラス(と少なくとも思える)な発見も有る訳ですよ。

そういう「日本だったらこうなのに何でここでは」という考えをある程度捨てて、「まあここではこんな感じなんだな」という風に一旦受け入れてみると、その先に「お、結構食えるじゃん」とか「なるほど、先入観無く食うと美味いな」という話が生まれてくるのではないか、と思った次第。そしてそういう意識って、外国に暮らしていく上ではそこそこ大事な姿勢なのではないかな、と自分としては思うんですよね。

食い物の話から広げてみても、当たり前ですが国が違うと「これは自分の基準の中ではあり得ない」なんて日常茶飯事な訳だけど、そういうのも含めて、「こういうものだと思えば結構許せるし、意外と理にかなっている」という事も多い気がするなあ。少なくとも日本みたいに「『説明しなくても何となくわかるでしょ』という緩やかな共通認識」をベースに成立している社会の方が、もしかしたら外国人から見たらよっぽど分かりにくいかもしれないし。


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2 コメント

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あけましておめでとうございます (山田)
2015-01-04 12:47:56
「こんなもんだな」と考える姿勢は、新しい環境や辛い時に気持ちを楽にしてくれるので、とても大事な事だと私も思ってます。

新しい環境での仕事が本格的にスタートするかと思いますが、新しい発見等ありましたら、またブログでご紹介いただきたいと思ってます。よろしくお願いします。
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ありがとうございます (ゆうゆう)
2015-01-05 02:09:39
コメントありがとうございます。そうですね、そんな姿勢でいつも通り色々思った事を書いて行きたいと思っております。
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