San Franciscoからの戻り便の中で何気なく新聞を読んでいたら気になる記事があり読み込んでしまった。
内容は米国内の一部の歴史ある私立のPrep School(私立中高)では、最近受け取る寄付金の額が拡大しており、ある学校では年間なんとUSD10Billion、つまり一千億円以上寄付金を受け取っている、というもの。こういう有名校の学費は当然すごく高く年間3万ドルくらいするのだが、学力がありながら学費をまかなえない家庭に対する補助金としても使われている、とも書いてあった。
いや、しかし一つの学校に一千億円!、いったいどういうことかと読んでみると、要するに、「卒業生はエリートなので大体良い大学に入り、良い会社に勤める」→「そこでも出世すると米国の場合CEOにでもなれば年間数百億円の給料」→「余裕もあるし税金対策にもなるから、『いっちょ母校に寄付でもしとくか』と1億とか時には10億とか寄付したりする」という構造のようだ。
寄付金を年間1000億円ももらえる学校は当然すべてにおいて豪華で、学食では朝からコックが一人ひとりの希望に沿ってオムレツを焼いてくれるらしい。でっかりプールも二つあって、全米でも有数の図書館を所有していたり、とにかくいたれりつくせりな感じ。
これで感じたのは、まさに米国の格差社会を象徴しているなー、ということ。要するに富が集まるところには最良の教育とか設備が集中し、そこでさらに所謂「エリート」が再生産される、というサイクルが段々と発展しながら回転しているのだろう。ちなみにその学校の授業料を払える家庭は、つい十数年前は全米の20%以上いたのに今ではたったの6%に過ぎないとのこと。
もちろん寄付金が豊かではない生徒への補助金に使われる、という事もたしかだろうが、それほどのエリート校に奨学金で入るというのは、中途半端な優秀さでは無理だろうから、やはりハードルが高いのは間違いなさそうな気がする。それにすごい貧しい家庭からそんな学校に言ったら話とかあわなくて大変そうだなあ。。
こういうの見ていると日本の格差社会とはレベルが違うなあ、と思っちゃいますね。まあ日本の場合富の集積もたいしたことが無く、そのため「寄付が奨学金に使われる」というセーフティーネットも発達しようも無いわけですが。。。
内容は米国内の一部の歴史ある私立のPrep School(私立中高)では、最近受け取る寄付金の額が拡大しており、ある学校では年間なんとUSD10Billion、つまり一千億円以上寄付金を受け取っている、というもの。こういう有名校の学費は当然すごく高く年間3万ドルくらいするのだが、学力がありながら学費をまかなえない家庭に対する補助金としても使われている、とも書いてあった。
いや、しかし一つの学校に一千億円!、いったいどういうことかと読んでみると、要するに、「卒業生はエリートなので大体良い大学に入り、良い会社に勤める」→「そこでも出世すると米国の場合CEOにでもなれば年間数百億円の給料」→「余裕もあるし税金対策にもなるから、『いっちょ母校に寄付でもしとくか』と1億とか時には10億とか寄付したりする」という構造のようだ。
寄付金を年間1000億円ももらえる学校は当然すべてにおいて豪華で、学食では朝からコックが一人ひとりの希望に沿ってオムレツを焼いてくれるらしい。でっかりプールも二つあって、全米でも有数の図書館を所有していたり、とにかくいたれりつくせりな感じ。
これで感じたのは、まさに米国の格差社会を象徴しているなー、ということ。要するに富が集まるところには最良の教育とか設備が集中し、そこでさらに所謂「エリート」が再生産される、というサイクルが段々と発展しながら回転しているのだろう。ちなみにその学校の授業料を払える家庭は、つい十数年前は全米の20%以上いたのに今ではたったの6%に過ぎないとのこと。
もちろん寄付金が豊かではない生徒への補助金に使われる、という事もたしかだろうが、それほどのエリート校に奨学金で入るというのは、中途半端な優秀さでは無理だろうから、やはりハードルが高いのは間違いなさそうな気がする。それにすごい貧しい家庭からそんな学校に言ったら話とかあわなくて大変そうだなあ。。
こういうの見ていると日本の格差社会とはレベルが違うなあ、と思っちゃいますね。まあ日本の場合富の集積もたいしたことが無く、そのため「寄付が奨学金に使われる」というセーフティーネットも発達しようも無いわけですが。。。