商社マン-東京→ニューヨーク→東京→Liverpool→東京→Ann Arbor→Austin日記

07年8月から5年間NY、帰国して2年半東京、その後何故か英国Liverpoolに。。引き続き思った事書いて行きます。

切ないキャバクラ

2005-10-29 00:10:34 | Weblog
バブル華やかな十数年前ならいざ知らず、今の商社マンは遊び方も全然派手じゃない。僕のいる食品業界は業界自体も派手じゃないし、たとえお客さんの接待でも最近は一次会で「今日はどうも、ではまた」と終る場合が多い。

遅くまで飲みに行くことが別に好きでもないので、個人的にはこの点は非常に気に入っている。

とは言ってもやはり時にはお客さんと二次会、三次会に行くこともある。先日自分の会社の部長と2人で取引先のけっこう偉い人を接待した際は流れで二次会にキャバクラに行くことになった。そこで部長がうれしそうに、「いや、最近気に入っている店があるんですよ」と六本木のあるキャバクラに向かった。

部長のお気に入りということもあり、以前にも行った事があったが、今回本当に切ないキャバクラだなー、と再認識した。
その店、仮に「O」としておくが、特徴はそこに在籍する女の子はすべて自称シンガーかダンサーで、店の奥のステージでバンドの演奏にあわせて、歌とか踊りを披露する(歌はすべてカバー)、というスタイルであることだ。
歌とかダンスは1時間のうち30分弱の間「Show Time」と称して披露され、それ以外の時間は女の子は客の相手をする。

この店はビジネスモデルとしてすごくよく出来ていると思う。最初は正直感心した。女の子は「私はただのキャバクラ嬢じゃないの。歌(ダンス)っていう夢があってそのステップでこの店にいるのよ」という感覚で働くことができるし、店は客からキャバクラ並みの料金を取れる。客は客で「いや、下心じゃなくて、ショーが面白いんだよ、ショーが!」という言い訳が(心の中で)できる。まさに三者三様のニーズが絶妙にマッチした素晴らしいビジネスモデルだなー、といたく衝撃を受けた。

でもよく考えてみると、その中途半端さが切ない。恐らくその店で歌を歌っている女の子で本当の歌手になる子なんていない。仮にいたとしても「AV女優の中で飯島愛になれる確率」くらいのはずだ。本当に歌手になる子はそんなところで歌を歌わなくても発掘されているか、もしくはまともなバンドメンバーと着々と準備をしているに違いない。
そんなことに気がつかず、もしくは気付くことを避けて、ただ毎夜2時まで客の相手をしながら、つかの間のむなしさを歌声とささやかな(そして多少の下心で味付けされた)拍手で紛らわす、そんな生活本当に切ない。。。

さらに切ないのは、そこに来てしたくもないのに、「どんな音楽好き?」とか「○○ちゃんはどっちかっていうとS?、M?」なんていう会話をしている自分だという事実も否定できないが。。。

こう考えると一番の勝ち組は明らかにお店ですな。一見よく言う「Win-win」の関係を客・従業員と気付きながらしっかり儲けている。ビジネスやっている人間としては見習いたいものです。
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「空港にて」by村上龍を読んで

2005-10-23 01:14:45 | Weblog
会社の後輩の女の子に、「村上龍好きですよね?『空港にて』っていう短編集がすごくいいって書いてありましたよ。」と言われ買って読んでみた。

正直この短編集のことは全く知らなかったが、「村上龍の短編としては最高傑作とどこかの書評に書いてあった」、とその後輩が言っていたし、確かに村上龍の小説は大好き(「愛と幻想のファシズム」は僕が最も好きな小説のひとつ)なので、結構期待して読んでみた。

結論を言うとまあ「並」かなあという感じ。あとがきで著者自身が書いているように、これは希望の物語の集合だ。そしてその希望がそれぞれの登場人物の固有なもので、かつ希望と対比される世界(たとえば近所の若い母親が集まる公園とか)と比較しながら描くことで、その希望がはっきりと浮かび上がる、というスタイルをすべての短編が持っており分かりやすい。

現在村上龍がよく言っている、「現在日本にはなんでもあるけど共有できる希望はなくなった。それなのに共有できる希望がまだあると思っている幻想が社会全般に残っている」という事をうまく小説に落とし込んでいると思った。その意味でも分かりやすいし、読みやすくもある。

しかし個人的にはあの村上龍独特の、物事や人物の心情を細部までえぐるように描き、その結果感情や現象の奥底まで迫ってくるような表現が(まあ短編という長さの制限があるのでしょうがないのかもしれないが)希薄で、ちょっと物足りないなとも思った。時々「おお、そうそうこのまま突っ走ってくれ!」と思うような記述があるんだけど、「すっ」と引いていくような書き方をしているという印象を受けた。これは多分短編ということもあり意識的に著者がとったスタイルだと思うが、僕はもっとグリグリ押してくるほうが好みですね。
だから僕は村上龍の小説は長くて記述が細やかなほうが空きなのかもしれないな、とも思った。

発売とほぼ同時にむさぼり読んだ「半島を出よ」も長かったしなあ。。。
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妻が人身事故!

2005-10-20 23:49:50 | Weblog
ちょっと前になるが、妻が人身事故をおこした。車を運転中若い女性と乳母車に乗っていたその子供をはねてしまった。

と書くとすごく大事故を想像するが、事故自体は先方の怪我は大したことなく、(乳母車に乗った子供も乗ったまま飛ばされたため、乳母車にうまく守られて怪我は擦り傷程度)大事にはいたらなかったが、それからが大変。

そもそもその事故の大きな原因は、その女性が乳母車を押して赤信号、かつ横断禁止の大道路(第二京浜)をわたろうとしたことにあった。一番右の車線にいた車が、気を使って青信号なのに止まってわたらせようとして、3車線の真ん中を走っていた妻にはその陰になって女性が見えず、事故に繋がってしまった。そういう意味で客観的に見て運転していたらだれでも避けられない事故だろうな、、と思った。

何が大変かというと、その後の妻の精神的なショックだ。こういうのがPTSDって言うんだろうな、という典型という感じ。事故後数日は食欲なく、事故時の状況がフラッシュバックして本当に辛そうだった。その辛さをぶつける場所がなく、「あんなところわたってきたヤツを轢いてこんなに苦しんでいる、私が本当の被害者だ!」とか「なんであなた(僕ね)は怒らないんだ!」とか興奮したかと思うと、急にブルーになって黙り込む、ということを繰り返していた。頭痛もかなりひどいようだった。
また事故直後に轢かれた女性と子供の夫というのが、事故現場に到着するやいなや僕の妻に殴りかかって(警官に止められたが)、そのショックと怒りというのも妻の精神状態にかなり影響しているように思う。。。

ここ数日は興奮と落ち込みの幅が少しずつ狭くなってきた気がするが、まだまだ完全に回復してないので、心配だ。

当然保険には入っているので処理を任せているが、こんな明確に歩行者の責任が大きくても、車に乗っている限りはある程度の責任を負わされるんですね。。。なんか釈然としないと僕も思うので、妻としては本当にやるせない気持ちみたいだ。

先々週ぎっくり腰、先週妻の事故、今週は実は会社のパソコンが壊れた。。。また仕事ではクレーム続きと明らかに流れがおかしい。こういうときは過ぎ去るまで粛々とすごすしかないと、30くらいになるとやっと分かっては来るがそれでも辛いはつらいねえ。

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仕事のクレームで日本社会を考えた

2005-10-13 00:04:30 | Weblog
久しぶりに、仕事で多くのクレームが集中しており悩まされている。
食品の輸入をやっているので、当然品質クレームが一番多いし、且つ処理が大変だ。なにぶん「安心・安全性」という事は、雪印の問題以降この業界にいる以上最もナーバスになることだからだ。
とはいっても、最近のこの「安心・安全」ということに対する対応をちょっと度を過ぎているのではないか、と思うことも多々ある。
今経験しているクレームでは、輸入した業務用の製品なので大きな箱に小さな個々の商品が入っているが、「大箱の方の表示が一部かすれて読めない、かといってそれを輸入した後に直したら改ざんと勘違いされる可能性があるから、全量廃棄する。もちろん廃棄費用はサプライヤーもち」というのがあった。

当然個々の製品自体は全く問題なく、表示もちゃんとされているし、大箱の表示もせいぜいインクが掠れている程度のものだった。しかも業務用なのでこれがそのまま消費者に渡るものではないどころか、大体大箱自体、問屋で物流している際に必要なだけで、最終顧客(この場合町のケーキ屋、パン屋さんとかね)に渡ることはない。

「いくらなんでもそれでクレームって言ったって、無理ですよ。常識的に考えたって製品に全く問題がないのに廃棄って、倫理的に言ってももったいないでしょう」と説明しても、お客さんは「いや、僕も個人的にはそう思うんですけどこのご時世ですからねえ」との答え。

この話、人に話せばだれでも「いや、こんなの捨てるなんてありえない」というだろう。でも現実にはこうやって食品がもったいなくも廃棄されていく。だれもが正しいと思っていないのに、いつの間にか規制され、ルール化されて縛られていってしまう。まるで本当の責任者は誰もいないのに、なぜか途中から降りることができなくなってしまった戦争を想起させるなあとふと思った。

いったい誰が責任を取っているのか、規制しているがだれなのか分からないままにルールやら常識やらが作られ、一歩離れて冷静な視点から見ると明らかにおかしい。日本の社会はいつも、そして政治、経済、文化問わずそういうことを繰り返しているのだと思う。
ただこの止まらなくなった濁流のような流れの中で、個人として抗するのは大変難しい。その流れが強すぎるし、またいったい誰、何に抗しているのか自体わからなくなるからだ。
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読書三昧

2005-10-10 16:46:28 | Weblog
この三連休は妻が仕事でいないこと、ぎっくり腰が完治していないことを理由にほとんど家にいた。かなりのんびりしていたが、お陰で読書三昧の時間をすごすことができた。
昨日読んだ本は、
「プロの論理力」by 荒井裕樹
僕より一つ年下の弁護士が書いた本。彼は既に年収一億円を超えているらしい。妻に言ったらまた興奮して、「そんな人がいるのにあなたはなによ!?」って言われるんだろうな。。
内容は、野心ある(勝ち負けが微妙な裁判を引き受け、勝ちに行くという意味)弁護士として、どのような論理力を駆使しており、また鍛えているのか、という内容だった。
彼は恐らく非常に優れた能力を持っている人だと思うし、仕事の質も高いのだと書いている内容からうかがい知れるが、(かの有名な青色発光ダイオードの件も担当したとのこと)書いている内容はイマイチまとまりがなく、かつ説得力が薄いように思った。しかし、「これだけの事を20代で成し遂げた人が言っているんだから」と読み続けてしまった。
こう考えると、つくづく人間って権威に弱いな、と思った。要するに彼が「弁護士」で「様々な成功」と「高い年収」を持っている人間だから、言っている事に信用力が増しているのであろう。まあ自分もその一人だからこの本を買ったわけだけど。。当然出版社としてもこういうほうが売れるだろうしね。内容はともかく。

さらにもう一冊読んだ。
「女ひとり世界に翔ぶ-内側から見た世界銀行28年」by小野節子 
オノ・ヨーコの妹で、世界銀行、米州開発銀行で様々な役職を経験してきた女性の自伝。
まずこの家族はかなりエリート家族だと知ってびっくりした。オノ・ヨーコの家族のことなんて全然知らなかったからだ。
内容は、世界各国や個人の利害が飛びかう国際機関で、筆者がどのように渡り歩いてきたか、というものだったが、はっきり言って筆者はこの世界で全く成功していない。いつも行内政治の犠牲になって要職に就けない、もしくは追い出されたりしている。恐らく彼女は自分でも言っているように、本当に魑魅魍魎とした政治の世界には向いていないんだろう。だから副題の「内側から見た世界銀行」という内容を期待しすぎるとちょっと期待はずれだと思う。この副題を見ると、その政治的にどろどろした部分をもっと切り込んでいるのではと思うが、その部分が若干オブラートに包んであるように感じたからだ。
まあ筆者の上品で高潔な正確があまり書きすぎる事をためらわせたのかもしれないが。。。
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「半落ち」を読んで

2005-10-09 01:07:56 | Weblog
この三連休、妻が泊まりの仕事で家にいない。
なので、読書三昧ができると横浜のルミネの本屋と近所の古本屋で色々本を買ってきた。
一時期話題になって、ちょうど文庫になっていた横山秀夫の「半落ち」も購入して、早速今日読んでみた。
感想は、期待が大きすぎたのかもしれないが「え、こんなもんなの?」という感じ。この本のポイントは、ためてためてためまくって、最後の謎解きにあると思うんだけど、その謎解きの部分が全然面白いとも思わなかったし、現実味があるとも思えなかった。はっきり言って結構がっかり。
でもあれだけ話題になって、かつ映画化までされて、「日本全国感動!」みたいに言われていたんだから、好きな人も多いんだろうな。ということはこれが響かない自分のほうが、一般的じゃないんだろうか。

ちょっと考えさせられました。。
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ぎっくり腰!!

2005-10-06 23:37:41 | Weblog
今週の火曜日、人生で4回目のぎっくり腰になった。
横浜駅のプラットフォームで、待っていた電車が着いたので置いていた鞄を持とうと腰をかがめたら、「グキッ!」ときた。
痛みでくらくらしたが、とりあえず電車にのり、取引先がまつ桜木町駅にむかった。何とか改札を抜けて、取引先の人にあったらすぐに「今日の予定は中止して針灸院へむかってくれ」とお願いした。
ちょうど横浜に前にもお世話になった針灸院があったので、すぐに手当てをしてもらった。

しかしいつもなら1-2日で痛みが引いてくるのに、今回は一向に治らない。年とともに症状も重くなってきているのだろうか?まだ30歳なのにやってられない。。。
それにしてもなんでぎっくり腰ってこんなに痛いんだろう?このやるせない痛みは例えは悪いが、急所を打った時にちょっと似ていると思う。あの生きているのがいやになるような。。。
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