今週末の中国語の試験が終るまで、読書はできるだけやめようと心に決めていたはずだ。でもだめだった。村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」が本屋に並んでいるときに、その誘惑に勝てる訳もなかった。。。
ということで早速読んでみたが、かなり不思議な読後感をもった。その理由を色々考えてみたが、どうやら「今まで読んだ村上春樹訳の英米文学作品に共通していた雰囲気、空気感が希薄」ということに原因がありそうな気がした。
村上春樹は自身が評価する作品をかなり翻訳しており、その多くを僕は既に読んでいるが、それらを読む時は常に小説家「村上春樹」のフィルターを通っていることを意識させられた。その理由は恐らくそれらの小説が「ハルキ的な」何かを共通して持っており、また優れた小説家の手にかかると多かれ少なかれ訳文もその人の色に染まるからだと思っていた。
しかし今回、村上春樹にとって最も思い入れが深く、且つ自身も「今までの翻訳では小説家であることをとりあえず忘れ翻訳家であろうとしたが、今回は自分の小説家としての感覚を常に活かそうと考えた」というような事を語っているにもかかわらず、僕は読み終わるまで遂に「これは村上春樹の訳した小説なんだ」という事をほとんど感じることはなかった。この矛盾に、ちょっと困惑しながら読み進めることになってしまい、且つ村上春樹が翻訳した小説を読む際には常に「ハルキ的な」フィルターを通った小説を期待してしまう僕にとっては、ちょっと肩透かしを食らった感じにもなった。
確かに村上春樹自身が語っている通り、この小説は英語以外の言語に移し変えるのはきっとひどく困難だろうな、と想像がつく。そこかしこにちりばめられた比喩や意味深な言い回しは、恐らく英語の持つリズム感があってこそ活きる場合が多いだろうし、そしてそのような流麗さがこの小説にとって間違いなくかなり重要な要素だと推察されるからだ。そのようなリズム感までも、翻訳としてきれいに日本語に移し変えることは恐らく不可能だろうし、残念ながら村上春樹をもってしてもこの作業に成功しているようには感じなかった。
ただこの翻訳はこの小説の持つ「重層的かつ無類の悲しさをちょっと離れた距離から見ることによってさらに切なく見せる」という複雑でひねくれてでも本質を突いた美点をうまく抉り出しているとは思う。「この小説の持つ本質を炙り出すために誠意を尽くした」というような趣旨の事を書いているが、その意味では成功なのかもしれない。いずれにせよ今度原文で読んでみよう。
この本で一番感心したのは実は訳者あとがき。村上春樹の翻訳した本にはいつもいいあとがきがついているが、今回は特にその思い入れが迸るようでそれを読むだけで感動してしまった。
ということで早速読んでみたが、かなり不思議な読後感をもった。その理由を色々考えてみたが、どうやら「今まで読んだ村上春樹訳の英米文学作品に共通していた雰囲気、空気感が希薄」ということに原因がありそうな気がした。
村上春樹は自身が評価する作品をかなり翻訳しており、その多くを僕は既に読んでいるが、それらを読む時は常に小説家「村上春樹」のフィルターを通っていることを意識させられた。その理由は恐らくそれらの小説が「ハルキ的な」何かを共通して持っており、また優れた小説家の手にかかると多かれ少なかれ訳文もその人の色に染まるからだと思っていた。
しかし今回、村上春樹にとって最も思い入れが深く、且つ自身も「今までの翻訳では小説家であることをとりあえず忘れ翻訳家であろうとしたが、今回は自分の小説家としての感覚を常に活かそうと考えた」というような事を語っているにもかかわらず、僕は読み終わるまで遂に「これは村上春樹の訳した小説なんだ」という事をほとんど感じることはなかった。この矛盾に、ちょっと困惑しながら読み進めることになってしまい、且つ村上春樹が翻訳した小説を読む際には常に「ハルキ的な」フィルターを通った小説を期待してしまう僕にとっては、ちょっと肩透かしを食らった感じにもなった。
確かに村上春樹自身が語っている通り、この小説は英語以外の言語に移し変えるのはきっとひどく困難だろうな、と想像がつく。そこかしこにちりばめられた比喩や意味深な言い回しは、恐らく英語の持つリズム感があってこそ活きる場合が多いだろうし、そしてそのような流麗さがこの小説にとって間違いなくかなり重要な要素だと推察されるからだ。そのようなリズム感までも、翻訳としてきれいに日本語に移し変えることは恐らく不可能だろうし、残念ながら村上春樹をもってしてもこの作業に成功しているようには感じなかった。
ただこの翻訳はこの小説の持つ「重層的かつ無類の悲しさをちょっと離れた距離から見ることによってさらに切なく見せる」という複雑でひねくれてでも本質を突いた美点をうまく抉り出しているとは思う。「この小説の持つ本質を炙り出すために誠意を尽くした」というような趣旨の事を書いているが、その意味では成功なのかもしれない。いずれにせよ今度原文で読んでみよう。
この本で一番感心したのは実は訳者あとがき。村上春樹の翻訳した本にはいつもいいあとがきがついているが、今回は特にその思い入れが迸るようでそれを読むだけで感動してしまった。