今日は父親の墓参りで北鎌倉まで行って来た。命日が6月なので。毎年恒例だけど、去年7月にニューヨークから戻ったので通算では6年ぶりになるのかな。北鎌倉の父親の墓があるお寺は全く変わっておらず、やはり何となくちょっと落ち着く。
今年は(例年なのかもしれないけど)、うちの家族と昔父親がやっていた医院でバイトしてくださっていた方々合わせて20名弱の集まりとなり、墓の前でお線香をあげたり、写真を撮ったりした後近くのレストランで食事、久しぶりに皆さんと話せてよかった。多くの方々は僕が小学校時代に大学生で、その時はちょー大人、と思っていたけど、せいぜい10歳くらいしか違わないのね。ふつーに大人の会話を楽しみました。驚いたのは、その中のお一人(女性)はアメリカ人の外交官と結婚していてそのご主人も来ていたんだけど、僕が日米学生会議という団体で一緒に活動したアメリカ人(彼女も外交官で日本に駐在してた)の上司だったとのこと。後、アメリカ大使館の人が住む公舎って六本木の氷川神社のあたりにあるらしいんだけど、広大な敷地で、プールとかテニスコートとかもあるんだってね。そのご夫婦はまあそこそこ偉いので、大きな部屋をあてがわれており(パーティーもやらなければいけないので)、230㎡くらいだってさ。やっぱり公職って、こういうフリンジベネフィットはどこの国でも厚いよね。
しかし父親が他界してからもう12年経つらしい。というか経ってるわ。ちょっと信じられない。だが前にも書いたように、結婚とかそういう流れの中で正直父親を全く尊敬できなくなっていた頃に亡くなったので、正直悲しみとか切ないとかそういう感情は驚くほどない。一般的に、良くテレビとか見てると「お父さん、ありがとう!」みたいなのって多いじゃないですか。ああいうのを見るたびに、毎回、「あー、こういう感情って世の中的にスタンダードなのかな。。」と思ってしまう。それで暗くなる訳でもなく、ただ単にその感覚が理解できないっていうか。別に今となっては父親を憎んでいる訳ではないんだけど、なんかもう終わったこととして捉えているというか。。。うーん、これについては毎回似たような事を書いてる気がするけどうまく腑分けできないですね。
写真は父親の墓。今日は奇麗に掃除されました。
今年は(例年なのかもしれないけど)、うちの家族と昔父親がやっていた医院でバイトしてくださっていた方々合わせて20名弱の集まりとなり、墓の前でお線香をあげたり、写真を撮ったりした後近くのレストランで食事、久しぶりに皆さんと話せてよかった。多くの方々は僕が小学校時代に大学生で、その時はちょー大人、と思っていたけど、せいぜい10歳くらいしか違わないのね。ふつーに大人の会話を楽しみました。驚いたのは、その中のお一人(女性)はアメリカ人の外交官と結婚していてそのご主人も来ていたんだけど、僕が日米学生会議という団体で一緒に活動したアメリカ人(彼女も外交官で日本に駐在してた)の上司だったとのこと。後、アメリカ大使館の人が住む公舎って六本木の氷川神社のあたりにあるらしいんだけど、広大な敷地で、プールとかテニスコートとかもあるんだってね。そのご夫婦はまあそこそこ偉いので、大きな部屋をあてがわれており(パーティーもやらなければいけないので)、230㎡くらいだってさ。やっぱり公職って、こういうフリンジベネフィットはどこの国でも厚いよね。
しかし父親が他界してからもう12年経つらしい。というか経ってるわ。ちょっと信じられない。だが前にも書いたように、結婚とかそういう流れの中で正直父親を全く尊敬できなくなっていた頃に亡くなったので、正直悲しみとか切ないとかそういう感情は驚くほどない。一般的に、良くテレビとか見てると「お父さん、ありがとう!」みたいなのって多いじゃないですか。ああいうのを見るたびに、毎回、「あー、こういう感情って世の中的にスタンダードなのかな。。」と思ってしまう。それで暗くなる訳でもなく、ただ単にその感覚が理解できないっていうか。別に今となっては父親を憎んでいる訳ではないんだけど、なんかもう終わったこととして捉えているというか。。。うーん、これについては毎回似たような事を書いてる気がするけどうまく腑分けできないですね。
写真は父親の墓。今日は奇麗に掃除されました。