小説家である著者(僕は知らなかったが)が12歳のアニメ狂の息子とともに日本を旅する一風変わった旅行記。息子に感化されて日本のアニメに興味を持った父親が、物書きとしての仕事もかねて日本でさまざまなアニメ関係者にインタビューする様子、そこで感じたことが書かれている。
タイトルからもなんとなくわかるように、この著者の意図はおそらく「アニメへの理解を通じて今まで誤解されている日本像の本質をあぶりだす」ということなんだろうと思うが、残念ながら日本人の僕から見ると、そこであぶりだそうとしている「本質」は、あまりに深読み過ぎるからか、的外れかもしくは「まあそういう意味を見出そうとすればそうかもしれないけど、そこまで考えてないんだと思うよ。。」という感じがした。
ふと自分に立ち返ってみると、自分自身も外国の文化に触れるたびにあまりにそれが自分の「日本人としての」感覚と異なるために、その文化にやたらと大仰な意味を見つけようとすることがよくある。その意味付けはやはり日本人には理解しにくい宗教だったり、人種だったり、民族だったりするわけだ。その意味付けは一面正しい部分もあるのかもしれないが、それほど深い理由じゃない場合なんかもあるかもしれない、とこの本を読んで思った。違うものに出くわしてもあまり深く考えず、「まあ場所が違えばそんなもんかな」と鷹揚に構えておく部分も必要かもしれません。
タイトルからもなんとなくわかるように、この著者の意図はおそらく「アニメへの理解を通じて今まで誤解されている日本像の本質をあぶりだす」ということなんだろうと思うが、残念ながら日本人の僕から見ると、そこであぶりだそうとしている「本質」は、あまりに深読み過ぎるからか、的外れかもしくは「まあそういう意味を見出そうとすればそうかもしれないけど、そこまで考えてないんだと思うよ。。」という感じがした。
ふと自分に立ち返ってみると、自分自身も外国の文化に触れるたびにあまりにそれが自分の「日本人としての」感覚と異なるために、その文化にやたらと大仰な意味を見つけようとすることがよくある。その意味付けはやはり日本人には理解しにくい宗教だったり、人種だったり、民族だったりするわけだ。その意味付けは一面正しい部分もあるのかもしれないが、それほど深い理由じゃない場合なんかもあるかもしれない、とこの本を読んで思った。違うものに出くわしてもあまり深く考えず、「まあ場所が違えばそんなもんかな」と鷹揚に構えておく部分も必要かもしれません。