先日妻のコンサートに行ったら、姉とその友達の家族が来ていた。その友達は姉と中学からの親友で僕もよく知っているのだが、そのご両親にあったのは初めてだった。
そのお父さんの方が、コンサートの休憩時間に僕に挨拶に来られて、まず一言目に発したのは、「君はK高校だったよね。僕はA高校なんだ」と地方にあるご自分の有名私立高校の名前を言った。「初対面なのに一言目がなんじゃ??」と僕の頭は早くも疑問に包まれたが、それに気付くこともなく、その方は、「自分の高校から今年東大が何人入った」とか、「どこそこ会社の社長、あれも同窓生でかつ東大出身」とか、延々とご自分の母校とそこ出身者が素晴らしいかを休憩時間20分の間しゃべり続けていた。
僕は呆気にとられる間もなく、ただ聞いているしかなかったが、その方が自分の席に戻った後、奇妙な感覚にとらわれた。それは別に軽蔑でも哀しさでもなく、2005年現在で、少なくとも10年以上も学歴社会の終焉が叫ばれて着ている中でも、その考え方はしっかり生き残っているという事実だ。確かに「官僚の時代は終った」とか「医者とか弁護士になったって将来が保証されるわけじゃない」とか通り一遍には言われる時代になったけど、やっぱり現実的にはたいていの親は、自分の娘が官僚の嫁になればうれしいだろうし、医者、弁護士は合コンでは人気だろう。そう考えると、人々の意識は意外に以前と変わってないし、かつそういう学歴社会のステレオタイプな価値観は生き残っており、まだまだ学歴・職業に(古い価値観のなかで)恵まれた人たちは、恩恵を得ているのだろう。
ということを考えていると、「学歴社会の終わり」というものを声高に唱え続けたメディアこそがある意味ステレオタイプに過ぎたということもいえるような気もする。
そのお父さんの方が、コンサートの休憩時間に僕に挨拶に来られて、まず一言目に発したのは、「君はK高校だったよね。僕はA高校なんだ」と地方にあるご自分の有名私立高校の名前を言った。「初対面なのに一言目がなんじゃ??」と僕の頭は早くも疑問に包まれたが、それに気付くこともなく、その方は、「自分の高校から今年東大が何人入った」とか、「どこそこ会社の社長、あれも同窓生でかつ東大出身」とか、延々とご自分の母校とそこ出身者が素晴らしいかを休憩時間20分の間しゃべり続けていた。
僕は呆気にとられる間もなく、ただ聞いているしかなかったが、その方が自分の席に戻った後、奇妙な感覚にとらわれた。それは別に軽蔑でも哀しさでもなく、2005年現在で、少なくとも10年以上も学歴社会の終焉が叫ばれて着ている中でも、その考え方はしっかり生き残っているという事実だ。確かに「官僚の時代は終った」とか「医者とか弁護士になったって将来が保証されるわけじゃない」とか通り一遍には言われる時代になったけど、やっぱり現実的にはたいていの親は、自分の娘が官僚の嫁になればうれしいだろうし、医者、弁護士は合コンでは人気だろう。そう考えると、人々の意識は意外に以前と変わってないし、かつそういう学歴社会のステレオタイプな価値観は生き残っており、まだまだ学歴・職業に(古い価値観のなかで)恵まれた人たちは、恩恵を得ているのだろう。
ということを考えていると、「学歴社会の終わり」というものを声高に唱え続けたメディアこそがある意味ステレオタイプに過ぎたということもいえるような気もする。