昨日書いたように、昨日のマラソンは散々だったわけですが(今日は性能の悪いロボットのようにしか歩けなかった。。。)、それでも不思議とそれほど悔しくはない。少なくともゲームプランをミスって失敗した10月の10kに比べれば屈辱感はほとんどないと言ってもいい。
タイム的に言えば今回のレースのほうが大失敗だったわけですが、なんで気持ち的にはそれほど挫折感がないのか、むしろ若干のすがすがしさすらあるのか、ちょっと考えてみたいと思う。まあ考えたからどうなるわけでもないんだけど。
①ゲームプランは想定通りだった
前にも書いた通り、前半をキロ5分弱で走り、後半なんとか持ちこたえ3時間半を切る、というのが今回のゲームプランで、少なくとも足の痛みに襲われる30キロ弱の時点まではそのように機能していた。足の痛み、というのは(あり得るかなと思ってはいたものの)、その想定には入れていなかったので、感情的には「まあ作戦自体、そしてハプニングさえなければその作戦をCompleteできたはず」という思いがあるのかも。
②棄権は避けられた
これも書いたけど、途中、35キロ付近では本当にだめだと思ったんですよ。もうね、足の激痛たるや半端ない。さらにちょっと走れば攣ってくるし。。。このような状態で後7キロ走るなんて到底無理か、と思いながら、苦痛を必死に耐えながら文字通り足を引きずりながら歩くように走っていくと、38キロくらいかな、何とか少し持ち直しノロノロ走れるように。本当にちょっとでも気を抜くと(というか調子に乗ってペースを上げようとすると)足がまた攣りそうになるので、ペースを考えながら何とかゴールにはたどり着いた次第。何はともあれ完走できた、しかもフルマラソンを、ということは達成感にはつながっていると思う。
③計画の変更から達成へ
今考えると、足に異変があった28-30キロ近辺はいろいろな心の葛藤がありました。具体的には3時間半→自己ベスト更新→4時間は切る、までの計画変更がその10分くらいの間にあったわけです。そして30キロ近辺にたてた「4時間は切る」という目標は何とか達成できたのは、当初の目標が達成できなかったという挫折感を軽減しているとは思います。まあ人生常に思い通りにいくとは限らないもんね、という話ですが。
今回改めて思ったけど、マラソン、甘くないね。もうハーフとは全く別物という感覚を新たにしました。この足のダメージを考えると、ちょっと走り方を含めいろいろ見直す必要がありそうなので、すぐに走ることはないと思いますが、次に走るときはより考えて臨みたいと思います。
タイム的に言えば今回のレースのほうが大失敗だったわけですが、なんで気持ち的にはそれほど挫折感がないのか、むしろ若干のすがすがしさすらあるのか、ちょっと考えてみたいと思う。まあ考えたからどうなるわけでもないんだけど。
①ゲームプランは想定通りだった
前にも書いた通り、前半をキロ5分弱で走り、後半なんとか持ちこたえ3時間半を切る、というのが今回のゲームプランで、少なくとも足の痛みに襲われる30キロ弱の時点まではそのように機能していた。足の痛み、というのは(あり得るかなと思ってはいたものの)、その想定には入れていなかったので、感情的には「まあ作戦自体、そしてハプニングさえなければその作戦をCompleteできたはず」という思いがあるのかも。
②棄権は避けられた
これも書いたけど、途中、35キロ付近では本当にだめだと思ったんですよ。もうね、足の激痛たるや半端ない。さらにちょっと走れば攣ってくるし。。。このような状態で後7キロ走るなんて到底無理か、と思いながら、苦痛を必死に耐えながら文字通り足を引きずりながら歩くように走っていくと、38キロくらいかな、何とか少し持ち直しノロノロ走れるように。本当にちょっとでも気を抜くと(というか調子に乗ってペースを上げようとすると)足がまた攣りそうになるので、ペースを考えながら何とかゴールにはたどり着いた次第。何はともあれ完走できた、しかもフルマラソンを、ということは達成感にはつながっていると思う。
③計画の変更から達成へ
今考えると、足に異変があった28-30キロ近辺はいろいろな心の葛藤がありました。具体的には3時間半→自己ベスト更新→4時間は切る、までの計画変更がその10分くらいの間にあったわけです。そして30キロ近辺にたてた「4時間は切る」という目標は何とか達成できたのは、当初の目標が達成できなかったという挫折感を軽減しているとは思います。まあ人生常に思い通りにいくとは限らないもんね、という話ですが。
今回改めて思ったけど、マラソン、甘くないね。もうハーフとは全く別物という感覚を新たにしました。この足のダメージを考えると、ちょっと走り方を含めいろいろ見直す必要がありそうなので、すぐに走ることはないと思いますが、次に走るときはより考えて臨みたいと思います。