スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サッポロビール盃マリーンカップ&フロイデンタールの推測

2024-09-27 18:51:26 | 地方競馬
 昨晩の第28回マリーンカップ
 アンモシエラとアンデスビエントが競り合い,後続に5馬身ほどの差。内のアンモシエラが前には出ましたが,アンデスビエントも引かずに半馬身差の外に並ぶ形がずっと続きました。3番手はザオ。3馬身差でクラヴィコード。4馬身差でフォルトリアンとテンカジョウが併走と,頭数のわりに縦長の隊列。向正面に入ってザオは3馬身差の3番手まで差を詰め,すぐ後ろにクラヴィコード。その後ろも3馬身差でテンカジョウが単独の5番手となり,4馬身差の最後尾にフォルトリアン。最初の800mは48秒1の超ハイペース。
 3コーナー手前からザオがさらに前との差を詰めていくとアンデスビエントは一杯になって後退。2番手となったザオが最終コーナーでアンモシエラの前に。直線では外からクラヴィコードがザオを追っていき,その間に進路をとったのがテンカジョウ。間を割ったテンカジョウが突き抜けて優勝。クラヴィコードがぎりぎりでザオを差して5馬身差の2着。ザオがアタマ差で3着。盛り返してきたアンモシエラが2馬身半差の4着。
 優勝したテンカジョウは重賞初勝利。このレースは春に重賞で実績を残した2頭と,古馬を相手に2勝クラスを勝ち上がった2頭の争いという構図。この4頭のうち3頭が逃げて実績を残していたのですが,春に重賞で実績を残した2頭が超ハイペースで競り合うことになり共倒れ。アンモシエラは逃げなくても結果は出せていたので,この2頭の枠順が逆であればレースの形態も変わり,結果も変わっていたかもしれません。差し脚が身上のテンカジョウには願ってもない展開でしたから,着差に準じた能力の差があるというようには思わないです。従姉の子に昨年のゴールドジュニアを勝った現役のクルマトラサン
 騎乗した国分優作騎手と管理している岡田稲男調教師はマリーンカップ初勝利。

 ここまでのことのうち,フッデがスピノザの葬儀に出席したということについては,訝しく感じる人がいるかもしれません。遺稿集Opera Posthumaが発刊されるとき,フッデは自身とスピノザの間に交流があったということを秘匿しようとしていたからです。しかし,僕はこのこと自体は不自然であるとは考えません。スピノザの葬儀は確かに大きな規模のものであったとはいえ,出席した人の数は限られますし,出席者の名簿が出回るというわけではありません。ですからフッデがスピノザの葬儀に出席したということを知ることができる人は限られるのであって,かつそうした人がそれを吹聴したとすれば,その人もまた自分はスピノザの葬儀に出席したといっているのに等しくなります。したがって,フッデがスピノザの葬儀に出席したということが,世間に広く知れ渡ってしまう可能性はきわめて低いということになるでしょう。ですからフッデがスピノザの葬儀に出席したとしても,おかしくはないと僕は思います。
 ただしこれは,フッデが確かにスピノザの葬儀に出席したということを意味するわけではありません。フロイデンタールJacob Freudenthalは何か確証があってスピノザの葬儀に出席した人の名前をあげているわけではなく,フロイデンタール自身の推測であると僕には思えるような文章になっているからです。ですから確かにフッデがスピノザの葬儀に出席したとは僕は解しません。ただ出席していたとしても,生前のスピノザとフッデとの関係を踏まえれば,まったくおかしなことではないと思います。
                            
 さらにフロイデンタールは次のことをいっています。
 スピノザが死んだのは2月21日ですが,この日のうちにスピノザの所有物の目録が作成されました。ところがその目録は不正確であったので,3月2日にほかのもの,これは正確なものという意味だと思いますが,それに差し替えられました。この差し替えはスペイクの申し出によるとされています。ということは,死んだ日のうちに作成された目録はスペイクの申し出によって作成されたわけではないようにも読めます。だれかが依頼して作られたものが不正確だったから,スペイクが正確なものを作らせたと読めるからです。

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