日本時間の今朝にアメリカのベルモント競馬場で行われたベルモントステークスGⅠ1・1/2マイル。
ラニは互角の発馬になりました。正面では控えて最後尾に。向正面に入るあたりで自然な形で1頭だけ交わしました。このあたりで先頭からの差は12馬身か13馬身くらいだったでしょうか。向正面では外から徐々に進出。これも仕掛けたという感じではなく,中団から好位へと,自然に位置取りを上げていったように僕には見えました。1/4マイルが24秒09,1/2マイルが48秒48,3/4マイルが1分13秒38というラップ。日本の競馬で考えればこれはミドルペース。アメリカの競馬はハイペースになる傾向ですから,あるいはスローペースなのかもしれません。ただ,こんな長距離の競馬は多くありませんし,ベルモント競馬場はアメリカでは例外的に大きな競馬場なので,このようなペースになるものなのかもしれません。直線に入るところでラニは先頭から概ね4馬身差くらい。大外に持ち出されると脚を使い,一瞬はもしやと思うシーンもありましたが,抜け出してハナ差の優勝争いを演じた2頭には及ばず,1馬身半差の3着でした。
やはり条件は好転していたので,三連戦の中ではここが最も健闘できました。10年前だと日本馬がアメリカ三冠レースで健闘するなどとは僕には考えられなかったくらいですから,この3着は歴史に残るような結果だったと思います。持久力のある末脚が武器なので,現状は追走に苦労が多くない距離が長い方が適性があると思うのですが,完成度の高さでこれだけ走っているのではないことはレースぶりからも明らか。血統的にも晩成型と思えますので,成長が期待でき,そうなるともっと短い距離でも対応しやすくなる可能性はあると思います。相当な器であることは間違いないでしょう。
9月21日,月曜日。祝日なので妹のピアノのレッスンがありました。これは午後4時から。当初の予定は午後5時半で,前夜に先生の方から1時間ほど早く,午後4時半からは始められそうだという連絡が入りました。それが当日になってさらに30分早く開始できると連絡が入ったもので,2度の変更の末に決定された時間でした。僕は祝日でもウィークデーは出ることの方が多いのですが,この日はオフでしたので,レッスンの開始から終了まで,ずっと家にいました。
9月26日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はエビせんべいに絵を描いたそうです。せんべい自体は食べてしまいましたから,どんな絵を描いたのかは分かりません。ただ,妹は字を書くことはあり,それは僕にも読むことができますが,絵を描くということはしません。なのでどんな絵を描いたのかということについては想像すら難しいです。
9月27日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。カラオケでした。
9月28日,月曜日。お寺で御講がありました。これは前にも説明しましたが,お寺の檀家が住職に依頼して読経してもらうというものです。K伯母が生きていた頃は住職に家に来てもらって行っていましたが,それ以降はお寺でしています。家でやるには準備が必要で,K伯母はしばしばお寺に通っていたくらいでしたからそうしたことにも手慣れていて,手伝ってもらうこと,あるいは指示を仰ぐことができたのですが,僕や母はそう信心深いわけではなく,普段からお寺に行くということはしません。なので家でやるよりお寺でやってもらった方が楽なのです。正直にいえばやりたいというものでもないのですが,檀家は年に1度はやるというのが,なかば規則化されているのです。とくに祖母,父の母が信心深い人で,少なくとも僕が物心ついたころには御講を立ててもらっていました。その時代,すなわち少なくとも40年以上の慣例となっているので,いまさらもうやりませんというわけにもなかなかいかなくなっているという事情もあります。この日の御講は午後1時半からで,母だけが行きました。というのも僕はこの日は内分泌科の通院の日だったからです。
ラニは互角の発馬になりました。正面では控えて最後尾に。向正面に入るあたりで自然な形で1頭だけ交わしました。このあたりで先頭からの差は12馬身か13馬身くらいだったでしょうか。向正面では外から徐々に進出。これも仕掛けたという感じではなく,中団から好位へと,自然に位置取りを上げていったように僕には見えました。1/4マイルが24秒09,1/2マイルが48秒48,3/4マイルが1分13秒38というラップ。日本の競馬で考えればこれはミドルペース。アメリカの競馬はハイペースになる傾向ですから,あるいはスローペースなのかもしれません。ただ,こんな長距離の競馬は多くありませんし,ベルモント競馬場はアメリカでは例外的に大きな競馬場なので,このようなペースになるものなのかもしれません。直線に入るところでラニは先頭から概ね4馬身差くらい。大外に持ち出されると脚を使い,一瞬はもしやと思うシーンもありましたが,抜け出してハナ差の優勝争いを演じた2頭には及ばず,1馬身半差の3着でした。
やはり条件は好転していたので,三連戦の中ではここが最も健闘できました。10年前だと日本馬がアメリカ三冠レースで健闘するなどとは僕には考えられなかったくらいですから,この3着は歴史に残るような結果だったと思います。持久力のある末脚が武器なので,現状は追走に苦労が多くない距離が長い方が適性があると思うのですが,完成度の高さでこれだけ走っているのではないことはレースぶりからも明らか。血統的にも晩成型と思えますので,成長が期待でき,そうなるともっと短い距離でも対応しやすくなる可能性はあると思います。相当な器であることは間違いないでしょう。
9月21日,月曜日。祝日なので妹のピアノのレッスンがありました。これは午後4時から。当初の予定は午後5時半で,前夜に先生の方から1時間ほど早く,午後4時半からは始められそうだという連絡が入りました。それが当日になってさらに30分早く開始できると連絡が入ったもので,2度の変更の末に決定された時間でした。僕は祝日でもウィークデーは出ることの方が多いのですが,この日はオフでしたので,レッスンの開始から終了まで,ずっと家にいました。
9月26日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はエビせんべいに絵を描いたそうです。せんべい自体は食べてしまいましたから,どんな絵を描いたのかは分かりません。ただ,妹は字を書くことはあり,それは僕にも読むことができますが,絵を描くということはしません。なのでどんな絵を描いたのかということについては想像すら難しいです。
9月27日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。カラオケでした。
9月28日,月曜日。お寺で御講がありました。これは前にも説明しましたが,お寺の檀家が住職に依頼して読経してもらうというものです。K伯母が生きていた頃は住職に家に来てもらって行っていましたが,それ以降はお寺でしています。家でやるには準備が必要で,K伯母はしばしばお寺に通っていたくらいでしたからそうしたことにも手慣れていて,手伝ってもらうこと,あるいは指示を仰ぐことができたのですが,僕や母はそう信心深いわけではなく,普段からお寺に行くということはしません。なので家でやるよりお寺でやってもらった方が楽なのです。正直にいえばやりたいというものでもないのですが,檀家は年に1度はやるというのが,なかば規則化されているのです。とくに祖母,父の母が信心深い人で,少なくとも僕が物心ついたころには御講を立ててもらっていました。その時代,すなわち少なくとも40年以上の慣例となっているので,いまさらもうやりませんというわけにもなかなかいかなくなっているという事情もあります。この日の御講は午後1時半からで,母だけが行きました。というのも僕はこの日は内分泌科の通院の日だったからです。
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