ヨギーニのひとりごと

ヨガにありがとう。ヨガはふしぎ。ヨガは宇宙からの素敵な贈り物。

カテゴライズ

2016-12-13 12:23:04 | 命のきもち
現在は5カ所でクラスを担当させていただいていますが、
ふしぎだな〜と思うことがあります。

同じ新潟県内、同じ下越エリアなのに、
参加してくださる方たちの雰囲気が違うのです。

水曜日は村上、新発田、胎内でクラスがあります。
それぞれ20キロも離れていない場所なのに違います。

「どうしてかな〜」


ライターの仕事で県内を広く取材しても、
同じことを思います。

上越、中越、下越、
それぞれ人の雰囲気が違います。


在京中にはなかったことです。
こうした違いを感じたことはありませんでした。

どうしてかな?


たとえば村上市の人口は6万人、
新発田市は10万人、胎内市は3万人です。

少ないといえば少ないですよね。
なのにそれぞれ違う。
気候や環境も大差ありません。

対して東京都の人口は1,362万人。
長く暮らした府中市だけで26万人。

人口が少ないと違いが出るのでしょうか。


私は胎内市が合併する前の中条町出身です。
胎内クラスを始めてから知ったのですが、
中条には「中条時間」というのがあるそうです。

中条時間=集合時間ギリギリに集まる

とのことですが、確かに他のクラスより集まりはゆっくりです。


・・・でも、これって胎内という場所がさせていることなのかな?


違うと思います。

おそらくは意識。
胎内の人たちの意識がそうさせているのだと思います。

「どこどこ出身の人はこう」
「どこどこに住んでいる人はこういう人たち」

雰囲気の違いは、このように思う人たちの意識によって、
実際にそうなり、代々受け継がれて固定化してしまったのでは思います。


根底には「周囲に合わせる」「合わせた方がいい」という意識が働いているのかも。

新潟は農業県。
農業従事者や以前は農業をしていたという人が多いですよね。
農業をするには家族、親戚、地域の人との協力が欠かせません。
協力してうまく仕事を進めるために、
自然と周囲に「合わせる」ようになったのかもしれません。

そして、農業以外の産業が増えた現在もこうした側面が残っている。


いいことなのかな〜?

わかりませんが、
何かにカテゴライズしたりされるのは、
なんだか窮屈な気がします。


ヨガは「すべてはひとつ」と教えています。
すべてのものはひとつのエネルギーからできている。
カテゴリーは存在しません。

◯◯町とか◯◯市とか◯◯県とか◯◯国とか、
ぜ〜んぶ無くしてしまったら世界はどうなるのかな?


地球と名付けられてしまった星に住む、
人間と名付けられてしまった生き物。
そのまんまのいのち
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