読書日和

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「幸せになる勇気」岸見一郎 古賀史健

2016-07-30 23:20:15 | 心理学・実用書


今回ご紹介するのは「幸せになる勇気」(著:岸見一郎 古賀史健)です。

-----内容-----
人々はアドラーの思想を誤解している。
自立とは「わたし」からの脱却である。
愛とは「技術」であり「決断」である。
人生は「なんでもない日々」が試練となる。
「愛される人生ではなく愛する人生を選べ」
「ほんとうに試されるのは歩み続けることの勇気だ」
人は幸せになるために生きているのに、なぜ「幸福な人間」は少ないのか?
アドラー心理学の新しい古典『嫌われる勇気』の続編である本書のテーマは、ほんとうの「自立」とほんとうの「愛」。
そして、どうすれば人は幸せになれるか。
あなたの生き方を変える劇薬の哲学問答が、ふたたび幕を開ける!!

-----感想-----
※「嫌われる勇気」のレビューをご覧になる方はこちらをどうぞ。

前作「嫌われる勇気」のラストから三年後が舞台です。
青年は大学図書館を辞め母校の中学校の教師になっていました。
三年前に哲人との対話を通じて当初は否定していたアドラー心理学を絶賛するほどになった青年が、三年ぶりに哲人のもとを訪れた今回、まるで三年前に初めて哲人のもとを訪れた時のようにアドラーの思想をペテンであり害悪をもたらす危険思想だと言います。
この変貌ぶりには訳があり、生徒に対しアドラーの「ほめてはいけない、叱ってもいけない」を実践した結果、生徒が教師である青年を見くびるようになり教室が荒れてしまいました。
青年は「アドラーの思想は現実社会ではなんの役にも立たない、机上の空論でしかないのですよ!」と言います。
さらにアドラーの思想が通じるのは哲人のいるこの書斎の中だけだと言います。
「この扉を開け放ち、現実の世界に飛び出していったとき、アドラーの思想はあまりにナイーブすぎる。とても実用に耐えうる議論ではなく、空虚な理想論でしかない。あなたはこの書斎で、自分に都合のいい世界をこしらえ、空想にふけっているだけだ。ほんとうの世界を、有象無象が生きる世界を、なにもご存じない!」
青年は哲人にアドラー心理学は現実の世界では使い物にならないと詰め寄っていました。
そして前作と同じく青年の言い回しが面白いなと思います。
詰め寄る青年に対し、哲人は次のように言っていました。

「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない。「自分はアドラーを知っている」と語る人の大半は、その教えを誤解しています」
「もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています」

私はこれまでアドラー心理学の本は前作「嫌われる勇気」「マンガでやさしくわかるアドラー心理学 人間関係編」(著:岩井俊憲)の二冊を読んでいますが、即座に感激して「生きることが楽になった」とは思わなかったです。
特に「勇気を持て」については体育会的な印象があり、企業などがそのまま体育会的な解釈をしてしまい、手っ取り早く「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている」と言うことができるため、都合よく社員への研修に使うのではと指摘したりもしました。

青年は決別の再訪を決意して哲人のもとを訪れていました。
これ以上アドラーの思想にかぶれ堕落してしまう人を増やさないため、哲人を思想的に息の根を止めると息巻いています。
青年が抱える喫緊の課題は教育なので、教育を軸に話が進んでいきます。
哲人は教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」だと言います。
そして教育の入り口は「尊敬」以外にはないと言います。
例えば学級の場合、まずは青年が子どもたちに対して尊敬の念を持つことから全てが始まるとのことです。

「目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。そしてもし、誰かから「ありのままの自分」を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです」
ありのままのその人を認めるというのは、私はできる場合と無理な場合があります。
例えば強権的で偉そうな人に対しては今のところありのままのその姿を認めるのは難しく、嫌な人だなと思います。
ただしアドラー心理学の「課題の分離」の考え方を使い、強権的で偉そうな人の性格はその人の問題であり性格を変えさせることなど無理なため、相手の性格を変えようとするのではなく自分が変わるほうが良いと考えるのは良い考え方だと思います。

哲人が使用した三角柱は興味深かったです。
その三角柱は私達の心を表していて、三つの面のうちまず二つには「悪いあの人」「かわいそうなわたし」と書かれています。
哲人によるとカウンセリングにやってくる人のほとんどはこのいずれかの話に終始するとのことです。
そして三つ目には「これからどうするか」と書かれています。
哲人によると私達が語り合うべきはまさにこの一点であり、「悪いあの人」も「かわいそうなわたし」も必要ないとのことです。
「そこに語り合うべきことが存在しないから、聞き流す」と言っていました。
青年は「この人でなしめ!」と声を荒げていて、今作の青年は前作以上に言葉が特徴的だなと思いました。
私的にはたしかに過去よりも今であり、これからどうするかを見つめたほうが良いと思います。

問題行動の5つの段階も興味深かったです。
「第1段階 称賛の要求」
「第2段階 注目喚起」
「第3段階 権力争い」
「第4段階 復讐」
「第5段階 無能の証明」

第1段階の「称賛の要求」は、親や教師に向けて「いい子」を演じ、ほめられようとすること。
第2段階の「注目喚起」はほめてもらえないことで、「ほめられなくてもいいから、とにかく目立ってやろう」と考えること。
第3段階の「権力争い」は親や教師を口汚い言葉で罵って挑発して戦いを挑む段階。
第4段階の「復讐」は権力争いを挑んで歯が立たずに敗れた場合、相手が嫌がることを繰り返すことによって、憎悪という感情の中で自分に注目してくれと考える段階。
第5段階の「無能の証明」は人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分にはなにも解決できないと信じ込むようになる段階。
哲人によると第3段階の時点でかなり手強い段階とのことですが、問題行動の大半は第三段階にとどまっていて、そこから先に踏み込ませないためにも教育者に課せられた役割は大きいとのことです。

哲人の「「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視する」という考えはそのとおりだと思いました。
また、「教育者は孤独な存在」という言葉は印象的でした。
誰からもほめてもらえず、労をねぎらわれることもなく、みな自力で巣立っていくとありました。
そこで、現場で働く教師としては生徒からの感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだという貢献感を持ち、貢献感の中に幸せを見出すしかないとありました。

強さや順位を競い合う競争原理が行き着く先が勝者と敗者が生まれる「縦の関係」だとすると、アドラー心理学では協力原理による「横の関係」を提唱するとのことです。
誰とも競争することなく、勝ち負けも存在せず、全ての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味があるとありました。
そして「アドラー心理学は横の関係に基づく「民主主義の心理学」」だと言っていました。
ただ誰とも競争することなく勝ち負けも存在しないというのは、少し解釈を間違えると単なるゆとり教育になってしまうので注意が必要だと思います。

人間はその弱さゆえに共同体を作り協力関係の中に生きていることから、「共同体感覚は身につけるものではなく、己の内から掘り起こすもの」というのも印象的でした。
もともと持っているものとのことです。
そして「「わたし」の価値を自らが決定すること。これを自立と呼ぶ」というのも印象的な言葉でした。
「わたし」の価値を他者に決めてもらうのは他者への承認欲求であり依存とのことです。

「われわれは自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認を必要としているのですよ!」と言う青年に対し、哲人は「おそらくそれは、「普通であることの勇気」が足りていないのでしょう」と言います。
そして「その他大勢としての自分を受け入れましょう」と言います。
この「その他大勢としての自分を受け入れる」は、近年の私が意識しつつあったことです。
哲人は「「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのが本当の個性というものです」と言っていて、私はそこまで意識したことはなかったですが、この考えは良いと思うので意識していきたいと思います。
哲人が「無条件の信頼」についてかなり印象的なことを言っていました。
「あなたがわたしを信じようと信じまいと、わたしはあなたを信じる。信じ続ける。それが「無条件」の意味です」
アドラー心理学のこの信じることの力押しは凄いなと思います。
私はとてもここまでは信じられないです。

物語のラスト、議論が終わって別れを迎えた時、哲人が青年にかけた言葉は印象的でした。
「この先あなたがどこにいようとも、わたしはあなたの存在を身近に感じ続けるはずです」
この先二度と会うことがないとしてもその存在を身近に感じ続けられるというのは、その人が人生に良い意味で大きな影響を与えたということで素敵なことだと思います。

岸見一郎さんのあとがきにアドラー心理学が悪用ともいえる扱われ方をされていたと書いてありました。
「特にその「勇気づけ」というアプローチは、子育てや学校教育、また企業などの人材育成の現場において、「他者を支配し、操作する」というアドラーの本意からもっともかけ離れた意図を持って紹介され、悪用ともいえる扱われ方をされる事例が後を絶ちませんでした」

悪用は前作「嫌われる勇気」を読んで思ったことでした。
アドラー心理学の「勇気を持て」は体育会的な面があるため、企業などがそのまま体育会的な解釈をして「変わるためには勇気を持て。心理学三大巨頭のアドラーもそう言っている。変われないのなら、それはお前に勇気がないからだ」と言うことができてしまうのです。
なので都合よく社員への研修に「勇気を持て」を使うのではと思ったら、やはり悪用されていたようです。
アドラーという心理学三大巨頭の名のもとに「勇気を持て」だけ言って無理やり都合の良い方向に変わることを迫るのは、もはや心理学ではなく単なる体育会論です。
せっかくの生きることを楽にするための心理学、悪用されないことを願います。
そしてそういった悪用してくる人と対峙した場合に備えて、「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」などでアドラー心理学の考え方に触れておくことは役立つかと思います。


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