パスタにトマトケチャップをからめる、いかにもイタリア、っぽい。一片の雲もない地中海の青空の下のテラスで能天気なイタリア人が「ボノ」といって食べている、っぽい。しかしご存じの通りこれは日本人の創作。当然ナポリに行ってもナポリタンは売っていない。ちなみにトルコライスも当地ではどこを探してもない。
ナポリタンには苦い思い出がある。いや辛い失敗談なのか。「ナポリに行ったが食べられなかった」という話ではない。小生が中学校1年生の時、おらが町に生協ができた。中には今でいうファストフードショップ街ができあがり、オープニングセレモニーでナポリタンが安価で提供された。そのナポリに何やら見たこともないケチャップのような小瓶が一緒に出されてきたのだが、当時はタバスコの存在すら知らずに、多分味を濃くするソースなのだろうと勢いよくふりかけたが、結果はご想像の通り。世の中にこんなにも辛いものがあるということと、辛いの最上級が痛いということを初めて知った。当然ほとんど食べることができなかった。
さて今は新橋のナポリタンを出す老舗が終日満員になっていたりと、若い方たちにナポリタンがブームなのだそうだ。確かにイタリアンレストランのチェーン店ではペスカトーレだとかボロネーゼだとか、我々にとって具の想像もつかない代物に追いやられ、ナポリはいつしかメニューから消えた。そこでナポリの存在を知らなかった若い人たちが飛びついたのだろう。小生が通う極安居酒屋のメニューにも加えられたため、早速頂くことに。具は玉ねぎとピーマン、そしてお約束の魚肉ウインナー。オリーブのエクストラバージンオイルではなく、菜種油がケチャップを焦がすチープ感がたまらない。食べ方もあえて卑しく音を出しながら。昔はスプーンなどついてこなかった。何よりホークで麺を巻いて食べる習慣もなかった。日本オリジナルゆえ、ソバやラーメンと同じ作法、麺と同時に入れた空気を口腔内で撹拌させ香りを楽しむことが本来の作法。タバスコは少量で。若い子たちよ是非とも実践を。
ちなみにナポリではリボンナポリンも売っていない。
ナポリタンには苦い思い出がある。いや辛い失敗談なのか。「ナポリに行ったが食べられなかった」という話ではない。小生が中学校1年生の時、おらが町に生協ができた。中には今でいうファストフードショップ街ができあがり、オープニングセレモニーでナポリタンが安価で提供された。そのナポリに何やら見たこともないケチャップのような小瓶が一緒に出されてきたのだが、当時はタバスコの存在すら知らずに、多分味を濃くするソースなのだろうと勢いよくふりかけたが、結果はご想像の通り。世の中にこんなにも辛いものがあるということと、辛いの最上級が痛いということを初めて知った。当然ほとんど食べることができなかった。
さて今は新橋のナポリタンを出す老舗が終日満員になっていたりと、若い方たちにナポリタンがブームなのだそうだ。確かにイタリアンレストランのチェーン店ではペスカトーレだとかボロネーゼだとか、我々にとって具の想像もつかない代物に追いやられ、ナポリはいつしかメニューから消えた。そこでナポリの存在を知らなかった若い人たちが飛びついたのだろう。小生が通う極安居酒屋のメニューにも加えられたため、早速頂くことに。具は玉ねぎとピーマン、そしてお約束の魚肉ウインナー。オリーブのエクストラバージンオイルではなく、菜種油がケチャップを焦がすチープ感がたまらない。食べ方もあえて卑しく音を出しながら。昔はスプーンなどついてこなかった。何よりホークで麺を巻いて食べる習慣もなかった。日本オリジナルゆえ、ソバやラーメンと同じ作法、麺と同時に入れた空気を口腔内で撹拌させ香りを楽しむことが本来の作法。タバスコは少量で。若い子たちよ是非とも実践を。
ちなみにナポリではリボンナポリンも売っていない。
万字ではホークを使ってたんだなぁ。そういや、健さんも網走収監前の幸せな時代に岩見沢辺りの喫茶店でホーク使ってナポリタン食ってたもんな。
昭和40年代はおしなべて農村よりも炭鉱の都市化が進んでいたんでねぇかい。琴似村にスパゲッティーなんてハイカラな食べ物あったんだね。タバスコ使わなくとも辛い「札幌黄」が大量に入ってたんだろうね。道東の食堂ではウインナーの代わりに鯨のベーコン使ってたど。カレーには肉の代用に薩摩揚げ(天ぷらと呼んだ)。これ定番。