国際空手道 修徳会 北海道本部 札幌道場稽古日記

北広島市輪厚地区で空手の稽古をしています。練習の内容や、イベント、雑多な情報などを画像で紹介します。

BRAIN SPRING

2016-04-08 09:11:47 | Weblog
山下達郎の「HEY REPOTER」という曲をご存じだろうか。我が正義であるとマイクを振りかざすリポーターを嘲笑ったもの。1982年リリースのアルバムに収められていた曲だが、最近の週刊誌の動きを見ているとこの曲が思い出される。
ベッキーに乙武そして安村まで来ると、嘔吐感さえ催す。一体どちらがゲスの存在なのだろうか。清原やショーンKの情報は有益性があると認めることができる。だが、安村の不倫を暴く価値、公共性はどこにあるのだろう。「安村さん、パンツはいてましたか」。記者が安村に向けたゲスな言葉は自ら報道の存在を否定したことに他ならない。一連の中でも少年Aの情報を流したことは看過できない。その行為は単なる商業主義、その正当性を主張する文春の論理は問題のすり替えに他ならない。「絶歌」やネットなどの発信により、少年Aは少年法により特定を妨げられる存在を自ら放棄した。また少年法は触法少年が成人になってからも推知報道禁止を謳っているものではないと主張する弁護士を前面に立て記事の正当性を訴える。だがそれは、覗き趣味の大衆の前で旗を振っているだけに過ぎないことは明らか。また極めて悪質なのは、記事の内容が読者にサイコパスを連想させる修飾語であふれている点だ。たとえば、「左目は陶酔するかのように潤んでいた」と表現している。これはどう見ても小説の一説で、客観性が欠如し報道とは言えない文章だ。また、「彼は佐川氏を師として異端の世界で生きることを決めてしまったのかもしれません」と元医療少年院院長の言葉を載せているが、どこにその関連性があるというのか。週刊誌は彼を情報、そして物理的にも追い詰めてしまった。この発露が再犯となった場合、文春は大きな責任を負うことになる。