The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

ハンストによる若者たちの抗議行動にみる現代風俗

2015-08-21 06:13:21 | Weblog
ハンストといえば、有名なのは非暴力主義で英国に抗議したガンジーだろう。ただし、インド人に聴いてみるといいが、ガンジーは手段としての暴力を使っていて、非暴力行動としてハンストという行動を選択している。また、これが一般民によるハンストだとしたら、抗議行動としての価値は一切ない。そういえば、今の法王様も元は銃を持って戦った人だったような気がする。

あとは、有名人も指摘しているようにサウム(断食)からすれば、断食とは呼べない。何故ならサウムだと水のような液体も飲まない。だが、妊婦、疾病、子供や老人などは断食をしない、という点も日本のメディアが正しく伝えてない。そもそも何故断食するのか、ここがポイントだ。しかし、断食であろうが、彼らはバリバリ働く。そりゃ現代はエアコンもあるし、衣服による保湿効果もあるから、大丈夫なんだそうだ。周囲はコーヒーなどの香りがするような飲み物を近くで飲まないように気を使うのだが、彼らは「慣れているから大丈夫だよ。」という。
医師の指導による体調不良による断食を実行している人もいる。まあ、騒ぐことはないレベルと言えるだろう。しかし、氷とか水を用意し、断食の時間も発表して、どんな効果があるのか。彼らは自ら信じる未来のために御身の犠牲を捧げるのか?まったくもって現代版新興宗教だ。確かに何を信じるのか、個人の自由。ならば、周囲もそういった目で見てあげればいいだろう。

外国人の友人が「日本で女子高校生が抗議デモしているらしい。どこかに画像とか映像はないのか。」とたずねてきた。彼の動機はまさに制服のミニスカートで女子高校生が踊るというイメージらしい。自分は「夏だから暑いので水着とかならいいね。」と言ったら「そりゃもう、大感激だ。そうなったら世界から取材が殺到すると思うよ。あ、日本は公共の場で水着になってもいいのか。」と聞いてきた。つまり、公共の場で未成年が肌を露出してもいいのか、という疑問だ。確かに銀座とか官邸周辺で水着の女子高校生による抗議行動なんていえば、世界に訴えるには最高なんだろうが、児童ポルノにひっかかるかもしれない。それぐらに昨今の女子高校生たちの水着はヤバイ。それを売っている店も着るのが未成年かどうかなんてわかるはずもない。海外では幼児の女の子にビキニの水着はダメというところもある。世の中、だんだんおかしくなる。天使は赤ちゃんなどの幼児の裸をモデルとしていた。これもダメとなって、現代では天使の絵すら使うのにいろいろ気にしなければいけない、と広告代理店のデザイナーが言ってた。自分はラファエロのシスティーナの聖母が大好きなんだが。

まあ、日本のイスラム教徒たちはみなおとなしいから抗議しないのだろうが、ハンストパフォーマンスでサウムと比較したり触れた発言しないように願う。相撲の大砂嵐はサウムを守りながら相撲を戦う。まさに聖なる戦士と誉れるべき人と言ってた。これを聞いて自分は「そりゃないだろう?」と言ったところ、かれはきちんと守っているそうだ。それであの成績を出すのだから、イスラム教徒たちからすれば、英雄だろうな。
http://islamcenter.or.jp/about-islam/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%A0-%E6%96%AD%E9%A3%9F/

命をかける、と簡単に口にする人には、本当の危機や危険な状態を知らないからだ。2週間、船の上で水もなく、食料もない暑い状態が危険と知っていても、船による難民たちの避難はなくならない。もちろん、実際には多くの難民が亡くなったそうだ。だから最近は水や食料を用意して船に乗るらしい。それでも金がない人たちは海の水を飲み、ひどい脱水症状となって死ぬか、運良ければ保護されると聞いている。

自分が怒り心頭した理由はこういった理由だ。ハンストで命をかける。この行動が現代日本において、いかにシリアからの難民、ロヒャンギャたち、アフリカからの難民をバカにしているか。日本政府は難民の若者たちの話を日本の若者に聞かせるべきだ。修羅と呼ばれる地獄がどこにあるのか。過去の戦争が悲惨?冗談と思うぐらいに悲惨だ。水すら飲む力もなく、点滴などで治療しないと死ぬ。飢餓とは何か、しらないような人がハンストで命をかけるなど、本当に許せない言動だ。今、この時にも生きるために危険を犯しても逃げていく難民の誰かが死んでいるのだ。日本は戦争をしない?ならば、地球上で戦争による被害から逃げてくる難民を誰が救うのか。
国連は何をしているのか?世界から金を集め、その金で難民の治療や生活支援をしているのか?ただし、国連食人や関与している人にかかるコストがどれぐらいで、ボランティアはすべて無給と知っているのか。ユニセフなんて、職員たちの賃金や生活はどんなものが知っているのか。国連弁務官だった人たちがどうして辞めていくのか。こういった点で世界のジャーナリストはメスを入れない。どんな崇高な目標がある組織も団体も金で腐敗する。日本も同じで崇高な目標を掲げて、訴えるのならまだしも、倒閣だけでハンスト、それもダイエットよりも楽なハンストだ。糖尿病患者のダイエットの方がずっと厳しいと感じるのだが。

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戦後の日本が変わるために必要な改革とは何か

2015-08-20 05:57:21 | Weblog
武力や暴力による問題解決を否定する姿勢を貫く。これは何よりも大事なのだが、どうも日本には暴力という手段すら放棄せず、手段として使ってまでも革命を起こして改革しようとするような組織や団体がある。これが政党や公的組織を含む公的組織となると、話はやや変わってくる。前政権でメディアや有識者が使った言葉、「暴力装置」というのを覚えているだろうか。そう、自衛隊を指して、こういった表現をした政党があった。だが、この議論はあまり盛り上がらないで終わったとしても、現在のこの政党とは違って、はっきりと暴力という手段による問題解決を否定した姿勢は素晴らしい、と自分は感じていた。今は、違って、国会採決において、暴力を使ってまでも阻止する、という行動を堂々と公言して認めた。
また、別な政党は戦後、占領軍からも監視対象となっているコミュニスト組織を土台としており、ここも堂々と暴力や武力による革命を認めているが、不思議なことに他国との戦争だけは日本国として暴力装置を使ってはいけない、と反対していたはず。それが最近では自衛隊すら否定しないと変化しているのだが、外国との交戦については認めていない。

日本国の政治が平和、という人に尋ねたい。こういった組織や団体に対してはどう感じるのか。もちろん、平和維持は日本国民の総意なのは変わらない。しかし、他国から武力攻撃を受けて、反撃せずに死ぬ、というのは何かおかしいと感じないか。人間だって生き物だ。同じく人間社会において、世代継続してまで追及される罪を一体誰がどうやって法的に追及するのか。人道的というのなら、現在のG7すべては植民地を持ち、戦争によって利益を得た大国だ。これからの国がすべて元植民地に賠償しなければいけないのか。過去にさかのぼってまでの賠償を法的に認めるとなれば、その過去の幅はどれぐらいとなるのか。また、日本国は過去の戦争において罪の意識があるから、アジア諸国にODAや経済支援という方法で貢献してきたのか。
そういった視点から日本国外務省は日本の貢献度を示す文書を公開して頂きたい。もし、貢献度に対して、受けた側の国が貢献してない、というのならどうやって投資した金額を回収するのか、それも公開して頂きたい。何故ならこれらはすべて税金だからだ。税金の使い道を透明化する意味は、日本国民として知る権利がある。政治献金だろか、資金だとか、そんな小さい金額ではないから、知りたいのだ。同じく、中国や韓国からの留学生支援に使われている税金による金額も詳細を公開して頂きたい。詳細とは支援した学生が日本国へどのような利益をもたらしているのか、という効果だ。これが明確でないのなら、こういった支援策は無意味になる。

日本国内における報道機関が取り扱う情報の真偽に対して、審査するべく機関を新たに設置し、既存の機関を廃止する。理由は報道企業と審査機関の癒着だ。情報管理の有識者を含む中立思想の一般民による審査機関だ。確固たる証拠を提示できないような情報を公言した場合の処罰を含み、判断する機関。これは日本国内から発信する情報すべてに適用とする。これを情報への枷と見るのなら、情報戦争を防ぐための手段と策を提示してもらえばよい。意見の自由、表現の自由は守られなければいけないが、その意見や表現が事実ではなく、扇動や揺動するための情報戦となれば話は違う。世界にはこういった監視する機関による情報戦略への対策を取っている国もある。自由を掲げる国ですら、きちんと公言する情報の真偽を監視している。これがどれだけ重要かわかるだろうか。国内を揺動する目的とは、社会不安を煽り、人々を集団で反政府行動へ駆り立てる。これによって政権が不安定になれば、革命を起こしやすい社会が出来上がる。歴史の直視とはこういった過去に起こった社会の出来事を見るだけでも価値はある。自由の中に暴力を使う革命というは存在しているのか。たぶん、ここがポイントだ。平和を訴える人たちが、地域社会の平安を維持するためのルールを破ることと似ている。訴える側の要望のためには、手段はなんでもよい、と。ここに気づいている日本人は多い。だが、みな反対すれば何かされる、という恐怖もある。SNSでさえ、反対意見を述べると反撃され、悪者扱いされるのだ。イデオロギーなんてない。あるのは、自分たちが望む方向と同じか、違うのか。違いは一切認めないという、恐怖社会。これが平和?と疑問を持つのは当然だろう。

そういえば、ヘイトなんとかの審議は国会で進んでいるのだろうか。是非、こういった個人の意見にまで恫喝したり、脅迫指定くるような人への処罰を徹底して頂きたい。人種だとか民族、身体の違いと同じく、思想、宗教や意見の違いを恫喝や脅迫してくるような人への処罰は不可欠だ。特に、意味もない相手をバカだとか、罵倒する言動をSNSのような公的な場で個人を提唱に公言するような人への処罰も必須だ。これをやらないでヘイトなんとか、というのは成立しない。実際に外国でのヘイト関連法律では、相手をバカにしたり、卑下したり、恫喝や脅迫したような言動でも訴えられる。即刻、裁判だ。
別にこれが生活上不都合かといえば、夫婦や親子による喧嘩ですら、訴訟で戦う社会になるだけだ。だから日常から言葉や態度がどれだけ大切かを学校も社会も徹底して教育する。酒の上となれば、これはまた別な犯罪となる。つまり酒でよって暴れるのも、社会にとっては立派な犯罪だ。ここまで審議してもらわないと、特定組織や団体、集団のための法律になりかねない。現在の日本は日本人が外国人から差別されている事項が多い。自国でありながら、日本人であるということが辛い社会というのがおかしいだけだ。日本人にとって、社会が利点としている部分ですら、特定民族、種族たちによって変化せざる得ないとなれば、社会の形態が大きく変わる。これは本当に日本人にも特定種族や民族以外の外国人にとっても利点があるのだろうか。

この疑問はまさに憲法で定めた主権、日本人という部分にまで及ぶ。生活保護を含む社会保障を対象を外国人とするかどうか。ヘイトなんとかよりも優先順位が高い、永住許可を持つ外国人への社会保障について審議するのが先だと思う。なにせ、日本は高齢化社会に移行しつつある。ここに外国人向けの社会保障費が増大となれば、当然、税収も上げなければいけない。税収を上げるためには、労働者の賃金が上がらなければならない。この労働者の賃金を上げる一つの手段としては、高度スキル保持者による労働者を増やす。労働ビザにおける外国人労働者の場合、健康保険は日本の公的保険への加入を必須とすればいいとしても、問題は年金と失業保険。労働中の事故による障害となれば、障害金の適用対象となる。だが、これも曖昧なため、製造現場なでの労働者が怪我しても治療のための費用ですらでない、という現象もある。労働を管理する官公庁はいつもこういった問題を放置している。同時に労働ビザの問題もある。一括で管理できるように外国人労働者専門の省庁として分離してもいいのではないだろうか。社会保障などについても、民間金融機関による保険への加入を義務づければいいだけだ。永住許可または帰化した場合には、民間機関から日本国への公的な年金へ移行するパスを作ればいい。
現在の外国人によるお年寄りで、公的年金を納めてない人への生活保護支給は廃止する。帰国してもらうか、親族に面倒を見てもらう。日本人で年金を納めてない人は、専用施設で共同生活をしてもらう。住む場所さえあれば、あとは食だ。衣服については、年にいくつかを支給とすればよい。生活のレベルというのなら、働いて収入を得てもらう。日本人のお年寄りの場合、戦争経験者がまだまだ元気に生きている。この人たちで年金を納めてないような人の数はどれぐらいいるのだろうか。大半の日本人は納めているはず。外国人だって納めている人も多い。少数の人を救済するというのはいいが、納めてない人と納めた人が同じレベルの生活を維持というのは、自浄努力を無視しているようで意味がないと感じるのだが。

永住許可も更新性とする意味は、本人かどうか、一定年数ごとに確認するためだ。そこには本人のバイオ情報の紐付けも重視する。同じく日本人の戸籍も本人を特定するために、本人のバイオ情報と紐付けする。これをやらないと、戸籍乗っ取りも簡単に横行する。反面、日本人や許可された外国人市民の安全管理として、バイオ情報登録はメリットがある。事故や災害時に本人の特定がいかに重要になるか、日本人なら理解している。印鑑証明にしても、本人が特定できなければ、意味がない。管理社会と反対する人がいるとは思う。だが、管理社会は反社会的思想の人にはデメリットばかりだが、一般民にはメリットも多い。特定疾患を含む常時ケアが必要な疾病を持っている人とかは、災害時の避難などにおいて、どこにいるのかが明確になれば優先して避難もケアもできる。子供も同じだ。監視社会と否定ばかりする人は、おそらく、反社会的な思想や行動を正義としているからだと思う。犯罪を防止するための監視カメラが個人のプライバシーをうんたら、という例がある。だが、この監視カメラのおかげで、夜間の女性やお年寄りが一人で歩いて帰宅することも可能にしている。わずかな例とだとしても、実際にはあり得る。社会の治安を守るための手段と、個人のプライバシーを守るのとどちらが重要か。
個人のプライバシーが重要なら、山の中か、孤島で一人で生活すれば、完璧なプライバシーが守られる。しかし、集団社会で生活しようとするのなら、ある程度のプライバシーは公開せざえない。この妥協点がどこか、それはまさに人それぞれであって、集団で反対する判断ではない。日本人の悪い点は、集団で抗議するべく内容と、個人に利益や利点がある内容を混ぜて考える点だ。賃金上昇という抗議デモですら、日本では意味がない。何故なら賃金の格差が世界でも開いてないからだ。だから最低賃金の上昇を政治で決定してもらっても、一般庶民の生活が楽になることはない。だって、賃金をあげれば、企業は製品やサービスの価格を上げて利益を出さなければいけないからだ。はっきり言って、標準日本人の生活は贅沢だと感じる。ここに合わせて、社会保障を考えることに違和感がある。少なくても生きるためとしては衣食住。この標準をどう定義していくのか。ここを議論しないと生活保護の適用価格は今後も上がっていくだろうし、その分、税金負担も増える。ならば、いっそ、収入保護としての保険に労働者すべてが加入するというような策も必要になる。加入しない人の受け皿としては、過疎地に施設を作って、自給農業などによる労働と生活するための資金を支援すればよい。外国人が固まって生活しているのは、協力することで生活コストを下げる。同時に同じ価値観を持った人が集まることで、そこにビジネスが生まれる。生活保護対象の人も機会があれば、ビジネスによって利益を生むかもしれない。試みる価値はある。

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アンフェアな人選と選抜理由でない公的なイベントは疑惑を生む

2015-08-19 06:23:07 | Weblog
先にオーストラリアで慰安婦像設置の有無を市議会が判断するための公聴会があった。この判断をするための人選から慰安婦族設置を要望する団体と関係する人をはずして結果も公表した。誰もがフェアな対応と評価した。
もちろん、要望した団体である近隣諸国関係者からは日本が金を巻いたとか、いろいろ言われているのだが、証拠もないし、あの理由から日本が金を出す必要もない。ゆえに、大騒ぎにならならないで終わった。

さて、日本と言えば、東京オリンピッック関係のトラブルについては、何かこうスッキリな透明感がない。新国立競技場の予算といい、今回のエンブレムもだ。なにせ審査する人選も仲間内で賞を回している感がいなめないし、親族に官僚やら広告代理店やらと関係者が連なっていく。こういった点での関係者の調査すらしてない。こういった税金によって開催されるイベントについては、どこがキャッシュフローを監視しているのだろうか。野党と言えば、政治資金や献金の不正をあばくのが得意なはずなのだが、今回はこういった点での暴露もない。不思議だ。
広告代理店や建設会社やらの癒着だって、ゼロとは言い難い。何千億円という金が動く中でのわずか数億年ぐらいポッケに入れたところでごまかしは聞く。そもそも公的イベントの賞金というのもおかんしな話だ。名窯は名誉、金は金。おまけに公募したかどうか、こういった点からの調査もない。まさに新国立競技場のコンペと類似して不思議なコンペ。

芸術作品における盗用の判断は難しいらしい。確かにインスパイアされる場合もあるだろうが、今回のようにインスパイアされた作品ばかりのデザイナーとなると、話は違ってくる。特に数学的見地からの分析をネットに発表している人の多くが同じ結論を出している。幾何学的形を正四角形の中に配置する場合、正円なら数が同じであれば類似するだろうが、楕円は違う。楕円の作り方という基礎中の基礎を知らない大人は恥ずかしいと自覚して頂きたい。つまり、正四角形が同じだとしても、中につくる楕円が同じとは限らない。まして、赤い正円を使うのに、背景に楕円。おまけに文字としてTであれば、足の部分がくっつくのが不自然なデザインだ。ベルギー側のデザインではTとLという文字を使っていると説明している。これだと確かに右下の足の部分がないとLという文字だと認識できない。どんな言い訳をしたところで、ベルギー側の主張を覆せるだけの説明はできないのだが。

組織委員会および大臣は、いったいどんな役割をするために職があるのか。ここから日本国民および税金を納めている民への説明がないと、今回の騒動はますます炎上していくだろう。少なくてもオリンピック開催に関与する企業についても、同業の企業は複数ない。どうやって決めているのか。イベントを仕切る広告代理店も同じで、日本国内だけでコンペというのもおかしな話だ。むしろ、国際コンペでやって当然。審査内容には費用も含める。くやって公開してコンペをすることで既得権益を優先する企業だけではなく、新しい企業に日の目があたる。これこそ、フェアと言わないだろうか。こういった価値観を持てず、従来通りの企業や産業癒着型のイベントとなれば、そこには汚職の温床がいくつも生じる。野党はこれこそ、国会で追及するいい機会になるはずだ。
もし、前政権でなんらかの癒着があったとすれば、与党としてもこれを排除して当然。それとも国際コリンピック委員会まで関与するような問題につながるのか。確かに「FIFAの汚職はIOCより深刻」と発表した騒動もあった。だからこそ、日本政府は透明感をしっかり強調するぐらいの采配をしていかないと、既得権益疑惑は払えない。これは汚れを嫌う日本文化とは相容れない価値観だ。また、エンブレムデザインにおいて、国際大会という大きなイベントの競技会で、黒を使うという点もいかがなものか。金銀赤という色が何を表すのか、想像はできるが、何故、黒か。過去のエンブレムで文字やオリンピックの輪に黒が含まれるため、エンブレムそのもには黒を使わない。黒という色の象徴が何か、問いてみたい。金銀があっても銅がないし、赤と白は日本国国旗だとしても、やはり黒の説明が付かない。

すでに多くの人が新しいエンブレムにチャレンジしている。ならばこの機会に公募に切り替えるのもいいと思うの。すでに発注したとしたら、その責任は現デザイナーとそれを選択した関係者に賠償してもらいたいものだ。訴訟でどういった過程で決まったのか、関係者にはどれだけの利益が生じたのか、明確にしよう。不正を許さないという確固たる姿勢こそが、国際競技への信頼を築く。この鉄則を無視すれば、東京オリンピックの競技には不正が横行する、と言われても仕方がない。そうなれば、確実にオリンピックによる経済効果は失速し、日本経済の足をひっぱる。日本政府は早急に決断せざるえないほど、問題は炎上している。
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現実を見つめ謙虚に対応する日本国政府は疑惑エンブレムを放置するな

2015-08-18 04:49:23 | Weblog
オリンピック組織委員会とは、日本国政府の認識とはまったく違う認識を持っているらしい。あれだけデザイン盗用疑惑が濃厚になっているのに調査すらしないで、「問題ない」というのは如何なものか。どうも東京オリンピックに関わるすべてのことが既得権益者のために、なにかしら仕組まれているという疑惑もある。新国立競技場ですら怪しかったのだから、ほかも怪しいと思われて当然。ゆえに、決まっていく過程をいかに透明化できるのかが、成功の鍵となっているはずだが。まさか日本政府は委員会に丸投げしておけばよい、という感覚であれば、それは大きな間違いだ。

管理するとは、まず、プロジェクトの進行を大枠からみていく。特に納期と予算を越えるかどうか。こういった管理ができないのなら、管理できる担当者に変える。それぞれの小さいプロジェクトについては、日々単位で何をやったのか、何をやるのか、ここまでみっちり確認していく。決定するべき項目の会議については、確実に議事録を作成し、関係者に配布する。これをやらないと、問題が発生した場合、何が原因なのかが不明となり、最悪な場合、一からやり直しせざる得なくなる。今回の大きな問題は、全体を束ねている統括管理者の能力がダメというのが明確になっているのだが、誰一人更迭されない。スキル不足の人間に期待しても、ダメなものはダメ。これをトップリーダが責任を持って人事の改革をしないと、世間に有名なデスマーチ化するだけだ。

デザインの重要性とは、まさにイメージ戦略にとっては、生命線。それがここまで疑惑だらけのデザイナーを未だ使うことに執着する理由がわからない。経済団体や大企業トップにコンプライアンスでも教えをこいて、対応するしか方法はない。日本国首相および組織委員会の幹部メンバーに企業経営の経験者がいるのであれば、今回の問題がどれだけダーメジとなり、損失となるのか認識できると思うのだが。おまけに東京都知事の経営者センスというか、コンプライアンスの感覚もダメ。知事はプロジェクト管理のスキルがないのは、前回の厚生大臣職でわかっているのだから、別な東京都行政の担当者を準備させるのが賢明。そうじゃないと統一したデザインパッケージできない。これをやらないと、都市を中心とした大きなイベントは成功しないのだが。

一つには、こういったイベント設計における統括管理を組織委員会が関与してないのが問題。ロイヤリティー登録だけ管理しておけばいい、という訳じゃない。法的に問題がなくても、盗作疑惑という世間での話題が尽きまくれば、すでにそれはダメージだ。イベントにおける利益となるノベリティーグッズに企業が関与するとして、そのデザインが盗作となれば、関与する企業側のダメージにもつながる。だからこそ、こういったイベントの管理組織には必ず企業経営者が関与するはずなのだが。もし、オリンピック委員会組織そのものが、関与しているのであれば、「既得権益による疑惑でイベントそのものがダメージ」と説明し、さっさと変更すればよい。

二つ目は、なぜ、立候補時のエンブレムを使用しなかったのか。アンケートをとればわかると思うのだが、大半の日本人が選択するのは、立候補時の桜を使ったエンブレムだ。花による平和をアピールし、花びらによる五大陸を象徴。すでに東京法被をはじめ、日本らしさを十分に引き出せるようなアイデアが民間にたくさんある。これらをさっさとロイヤリティー登録させるのも日本株式会社の経営者がやるべき仕事のはずだが。ネット上では花のエンブレムだと隣国からケチがつくから止めたのではないか、という疑惑もある。桜は日本以外の国だって大好きだ。だから桜をイメージしてそれを各国が使ったデザインがあっても、日本は文句を言わない。それとも日本は桜は日本の花だから、どこの国も使ってはいけない、と考えて、他国からの文句を恐れているのか。
なんて肝っ玉が小さい日本人だろうか。もっと懐深く、広く持ってもいいはずだ。台湾、中国や朝鮮半島もみんな桜が大好きだ。だったら尚更、桜の花を使ってもいいと自分は思う。みんなで2020年の桜の季節には、花見でプレオリンピックイベントとして、近隣諸国でそれぞれ催せばいい。まさにここはアイデアだ。周遊券方式で、日時をずらして、各国を旅するなどの企画をすればいい。ポジティブに考えていくのなら、アイデアは次々に出てくる。それこそ若者たちは、現在、問題となっている島でイベントを共催すればいい。釣り大会とか、BBQ 料理大会とかだ。海鮮料理なら食べられないという制限も少ないし、アジアを中心とした各国から参加できる。
イベントは特別化すればするほど、参加する人たちから嫌厭される。

桜の花を見ながら、アジアン料理を食べる楽しさを知らないのだろう。自分が育った街では毎年花見がアジアンどころか、グローバル化してた。あの光景こそ、平和な世界そのものだ。オリンピックという運動競技が目指す方向も同じではないのか。すべての人が平等な条件下で、純粋に運動で能力を競う。ここには政治が関与しない。だが、不正は認めない。こういった白黒がはっきりとして、誰でも理解できるような透明性こそ、何よりも信頼を築く。毎回話題になる審判の中立性についても、しっかり管理していかないと、イベントは失敗する。

なにわともあれ、現在の執行部メンバーは更迭させるのが適切だ。仕事の引き継ぎができないぐらいに、書類などがきちんとされてないのなら、更迭だろう。金をもらっているのなら、プロして仕事をさせろ。工程表と進捗管理表だけあれば、管理できるのだから、しっかり管理側の担当だけでも人事改革しないと、失敗するだろう。

広告会社についてもコンペで関与する会社が決定されたのか、どうか。ここから調査するのが筋だ。これをやらないから既得権益の企業のみがイベントを回す。そりゃ癒着は当然だろうし、できてくる成果もひどいのは当然。いっそ、世界規模でコンペさせる方がコストも安くなっていいと思うのだが、どうだろうか。
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平和な日本国の中、まだまだ続く反政府運動と新しいネタ

2015-08-17 05:10:19 | Weblog
反政府運動が倒閣と大声でわめくための理由は、反戦と反原発。どうして政府による経済政策反対というのがないのだろうか。
過去の過激な左翼組織や団体による抗議運動で、政府による経済政策に対しての抗議というのがほぼゼロだ。経済に詳しくないのか、はたまた経済政策には同意しているのか、わからない。

これからも官邸周辺とか、渋谷、銀座では抗議活動やるんだろう。やがて見世物となり屋台とかも出てくるかもしれない。ネットで若者たちのやりとりを観察していると、なんと異性の評価まである。顔が売れれば、そりゃ可愛いとか、可愛くないとか、評価が出てきても当然なのだろうが、政治的行動への評価でない点を考えると、まさにこれが日本としか言えない。これだけ日本は平和なんだ。反面、隣の大陸では大事故が発生し、海、対流によっては日本海側への影響も懸念される。でも、誰一人として心配もしないし、まして救援活動を訴えることもない。
大陸と友好関係を訴える朝鮮半島の国々も見ているだけで、ひたすら日本叩きに燃えて、自分たちの独立を歓喜するために懸命だ。一時、南北できな臭い状況が見えたが、今のところ、独立記念を祝い、日本をバッシングするこの日を十二分に楽しんでいるようだ

来年はどなるのか。たぶん、今回、大騒ぎした元首相たちをメディアや有識者、はたまた外国人団体や組織はかつぎあげて「日本は悪い。土下座して謝罪。」と大騒ぎすると予測できる。毎年のこのイベントをメディアをはじめ、反日思想を売りにしている組織や団体が黙っているはずがないからだ。なにせ反政府運動をやらないとパトロンから金ももらえない。どんな団体も組織も、金のために運動をしていると感じるのは、彼らの話に大義がないからだ。時間がくれば抗議活動も終え、公共交通機関で帰宅する。反政府活動を専門とするプロ運動員と言えばいいのかもしれない。これは沖縄米軍基地前の反対運動をしている人も同じ。ある意味、こういった人たちが稼ぐ金は経済効果に影響しているのだろうか。もし、活動している人数すべてがどこかから金をもらっているのなら経済的には貢献しているのかもしれない。なにせ、メディアが取材するために動き、その記事が世界に配信されるのだから、ここも経済的効果となるとバカにできない。

銀座は外国人観光客も多くやってきる場所だ。そのうち世界に「日本の銀座では可愛い女子が抗議デモしている。」と観光名物になるかもしれない。これは真剣に感じる。靖国では兵士のコスプレがどうたら、という騒ぎがあり、これも世界では彼らの写真を見て「アニメのなんとか、というコスプレはないのか。」というような現実から離れた意見が出てくる。日本のメディアが目指す日本政府の右翼化、軍備巨大化なんてのは誰も心配していない。たまに近隣諸国で日本は再び軍事国家になる、というのがある。しかし、こういった意見への反論は「もし日本が軍事国家になればガンダムによる軍ができる。楽しみだ。」となる。何故、ガンダムなのか。あんなでかくて無駄なロボットよりも、人と同じサイズで、飛べて、水や土の中で活動できるクローンの方が役立つ。AI搭載の爆撃機、陸上での対人間攻撃ロボットの方が殺傷効果は大きいし、建物をできるだけ壊さないで済む。日本は小さい国だから、昔から怪獣とかロボットとか、なんでも大きな製造物が主役になるアニメ、漫画が多いと言われている。なんだったらゴジラの知能をあげて、生体攻撃生物という発想もあり得るかな。

こういった話をバカにしている大人に言いたい。飛行機が発明された動機は何か。空を飛びたいという欲望からだ。銃が発明された動機は何か。これも弓矢のようにかさばらないで済む武器という発想だ。兵器として使うのか、それとも別な目的なのか、関係はない。人間は道具を開発して進化してきた。戦争がなくなるためには、人間という種族が争うことがいかに無駄なのか、を認識しないといけない。戦争反対を訴える人たちは、この意味が理解できるとは思えないほど、暴力的だし、暴力も肯定し、手段を選ばないという。反戦運動で盛り上がるのは、日本だけということもメディアは報道しない。そりゃ、反戦運動をもっとも欲しているのはどこだろうか。
もっとも旬なのはシリア。ところが国連総長はシリアの問題よりも、日本国首相の談話に謝罪がないと文句をつけるぐらいに暇なようだ。地中海では多くのアフリカからの難民もどきが船が転覆して溺れて亡くなっている。
彼らのインタビューが何故か流暢な英語で答えているのも不思議なのだが。トルコもシリアからの難民流入を止める手段で苦労をしている。ここまでくれば、人道うんぬんというよりは武器を持たない集団の侵略とも言えるぐらいにすごい。しかし、国連はひたすら難民を欧州は受け入れろ、という。トルコに対してもそのうち似たようなことを強要するのかもしれない。つまり、国連という存在が意味消失しつつあるのだ。

さて、日本国内のもう一つの騒動は、日本人デザイナーによるデザインコピーによる問題。オリンピックのエンブレムは、ベルギーのデザイナーから国家規模に相当する集団によって訴えられている。実はこの訴訟相手が日本人デザイナーだけではなく、オリンピック運営だか執行部だかなのが気になる。もし、エンブレムデザインが盗用と認められれば、そこに発生する損害金額は相当なものだ。個人で賠償できる規模を超える可能性が高い。

ところが日本のオリンピック運営団体だかは「問題ない。」の一点張り。だが、訴訟で盗用を認めた場合、一体誰が損害賠償金を払うのだろうか。最高責任者は日本国首相になるのか? 税金で払うのか? こちらの方が日本人にとっては大問題だ。ほぼ誰もが盗用と認められる、という意見を出している。オリンピック以外のデザインでの盗用も疑惑ではなく、実際に認めているから企業による市場での配布も停止した。だが、盗作元のデザイナーからは訴訟やら挑戦を受けている。日本にはこういった盗作疑惑を判断するような商品管理の組織や団体がないのだろうか。登録してなければ何をしてもいいのか。これこそ、日本国の文化の根幹に関わる大問題だ。
国の大イベントをこういった日本人一人のミスによる影響で、叩かれるイベントにしていいのか。これを回避するものトップリーダの責任だ。中間管理職として、オリンピック問題を収めることができない大臣はどう説明するのか。首相にばかり頼らないで、しっかり日本国民に説明して頂きたい。なんせ専任のオリンピック大臣がいるのだから。

オリンピックに関わる経済効果は大きい。だが、こういった手抜きによるサービスや商品も多い。これを管理できないのなら、オリンピック専任大臣の役目とは一体何なのか。競技場の問題も同じ。前政権時に何があったのか、メディアはきちんと報道しない。こもおかしな話だ。他国で土下座して謝罪する前に、日本国民に税金の無駄使いを謝罪し、自らの資産をすべて投じても賠償して頂きたい。ここまでやるなら日本国民として元首相による日本を卑下する理想的な意見へ、少し時間は耳を傾けてもいいだろう。ただし、聞くだけだが。
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8月15日はVP (Victory in the Pacific) ? VJ (Victory over Japan) Days?

2015-08-16 06:47:23 | Weblog
日本にとっては天皇陛下が玉音放送を流した日を終戦としています。しかし、オーストラリア(Commonwealth of Australia)を含めて連合軍側だった国では違います。これは正式に日本が降伏を受諾した日9月2日だからです。オーストラリアではVPの日8月15日なんですが、この日は米国、隣のニュージランド、英国はVJの日。そう、オーストラリアは英国領だった国ですが、ここだけは違います。ところで、日本の英国外人墓地にウイリアム王子が参拝したことを覚えている日本人がどれぐらいいるのでしょうか。ANZACの日と呼ばれる第一次世界大戦でガリポリの戦いで戦死した兵士を慰霊するために王子が参拝したのです。日本にはこういった外国人兵士の墓がいくつかあります。こういった墓を維持するために、地域の人たちは貢献しています。もちろん、参拝に訪れる外国人で、日本国や日本人への憎しみを持っているため、罵倒するとか、抗議するとかもありません。何故か、考えてください。

人の死に対しての敬意は民族や文化、宗教が違ってもあります。だから自分とは違う属性を持つ集団への死者への行為についてはなに人も干渉できません。中国は個人が先祖への慰霊として訪れるなら靖国参拝を否定しない、とかつて発言しています。そりゃ個人の行動までまなりならる、となればすべての宗教への弾圧と同じだからです。

終戦といってもいろいろな受け止められ方があるように、価値観が違います。ここに異文化間に必要なコミュニケーションのルールがあります。まず、相手の行動や思考をまっさきに否定しない。英語を学ぶ人たちは、答えのはじめにYesかNoと言わないといけない、と日本では習います。相手が好意を持って「今夜、みんなでパーティー開くんだけど、来ない?」と質問されて、NOと答えたら質問者はどんな気持ちになるでしょうか。Respectとはこういった時の説明です。相手への配慮をしながら断る。日本的な作法です。残念ながら、参加したいけど(本当は行きたくなくても)その日は別な約束があるのでいけない、と。まして、親しくない相手であれば、より相手の気持ちを意識して答えます。だから答え方にパターンはないのです。英語以外の中国語、フランス語も相手側の気持ちを配慮する会話例がいくつもあるのに、何故か日本で教える英語会話は違う。外国語教育とは、ある意味、その言語を使う国の文化や習慣も学ぶ。ですが、日本の英語教育がおかしい。外国では英語を教えるための資格があります。しかし、日本では英語を母国語としない外国人でも簡単に英語教師になれます。そろそろこういった点を問題とし、資格がない人は外国語教師になれない、というような法的整備も準備してよいと思います。なお、海外でも日本語が話せれば日本語教師と言えなくなっています。敬語、謙譲語すら区別できない日本語教師に教えられたら、いくら日本語がうまくても日本で仕事を探すのは難しいでしょう。同じです。

さて、もう一つは国によっては滞在するためのビザです。労働ビザも種類があり、特定職業として滞在ビザが出ている場合も多いです。例えば、外国語の教師。このビザを申請する時には自分が教える外国語教師の資格を示さないといけません。こうすることで不良外国人(スパイ目的)を殲滅してます。日本もこういった他国の良い仕組みはどんどん取り入れていってはいかがでしょうか。

終戦の日に感じることは、どの国、民族であっても、過去に自国を自国民を守るために戦った兵士、民間人への感謝の気持ちを持っているということ。敵国を憎むとか、戒めるというような行為をこの日にする人たちはいません。憎みとか戒めるという行動がいかにネガティブなのか。これは宗教だとかではなく、人間という生き物はポジティブな思考をしていくか、ネガテイブな思考をしていくかで、進む方向が違うからです。なんでも極端に白黒で割り切れるものではありません。しかし、過ぎた事実を過去に戻って変えることなど不可能です。タイムマシンを作ることは不可能と研究成果が発表されたように、時間を戻すことはできないのです。ならばどう生きるのかいいのか。歴史から学ぶ。確かに重要です。しかし、歴史に囚われて生きるのは意味がない。平家物語を琵琶法師が平家の落ち武者に語る話で、ハーンが伝えたことは何でしょうか。

先の首相談話が意図しているのは、まさにこれです。歴史は変えることはできないが、それにいつまでもこだわらず新たな道を切り開く。その手段としては従来通りに武力を酷使はしない。非核三原則は守る。一体どこに不満があるのでしょうか。日本へ怨みや憎しみを持つ国があるのは仕方がない。これをどうにかしようとすることこそ、道理に反します。日本国や国民は神ではないので、そういったネガテイブな感情に囚われた人や国を救うことはできません。まして、こちらが感染してまで苦しむ義理もありません。だから赦しの宗教と呼ばれるキリスト教の法王様が訪韓したのではないでしょうか。日本人が関与しないことも愛の行為だと考えます。
中国は多くの哲学者、思想者を生む出した国。過去のこういった文化をすべて破棄した歴史もありますが、老子、孔子はいまでも学問して学んでいるそうです。演劇の演目にしても、勧善懲悪の中には復讐だけではなく、愛がある、徳がある演目がたくさん残っています。だから誰もが人を赦すという行為の意味を知っているはずです。

戦争は民間人によって引き起こされるのではなく、戦争によって利益を得る人たちによって引き起こされる。この鉄則はどんな歴史の戦争にも当てはまります。ならば、これから戦争を回避するためにはどうすればいいのか。まずは一般民どうして憎しみあう意味を考えましょう。怨みや憎しみを維持することで何かあなたに利益がありますか。もし、具体的な怨みや憎しみの原因がわからないのなら、どうして怨んだり、憎んだりするのか原因を考えてみましょう。その原因は何故、あなたにとって大切なのかも考えてみましょう。

自分は過去のしがらみに振り回されるのは嫌です。反省は重要ですが、それは自ら反省し、同じ間違いで自分が損しないためです。損得でしか人間は思考の価値観を測れません。感情は損得になりますか?物質的な損得と、心を制御する損得では意味が違います。怨みや憎しみも立派な生きるための原動力になります。しかし、よい例が近隣諸国にあります。あなたはあのような社会で生きることがあなたを幸福にしますか。
日本社会はルールが多く、厳しく息苦しいという外国人の多くが感じているそうです。でも、これは単なる習慣が違うために混乱しているだけで、長期間滞在している人は慣れると苦ではなく、むしろ快適に感じるそうです。ゴミ出しは面倒ですが、例えば、きちんと清掃しておくことで、カラスやネズミがこなくて快適です。ゴミの選別にしても、リサイクルによって貢献を受けるのは一般民です。これは日本に資源がない、と実感した人は必ず感じることです。住むためのルールは、誰もが快適になるように作られたためなので、今、苦と感じるあなたもやがて快適な生活を感じる日が来るために備えたルールと考えてみてはどうでしょうか。

日本を戦争に巻き込まないメリットは、日本人以外の日本に滞在している外国人にもあります。災害は多いけど、恩恵も多い自然。日本風に変化したアレンジ料理や菓子が多い、日本という国。安全と水の国というブランドをこれからも維持していきたい日本という国。近隣諸国の外国人に問いたい。あなたは自国と日本とどちらで生活したいですか。



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談話が導く日本国の未来と近隣諸国との関係

2015-08-15 08:44:15 | Weblog
首相談話はもっと短い方が良かった、という意見が多い。確かに長いおかげで、現代の若者たちや日本語能力欠如の大人からすれば、何を言っているのかわからない、という印象もあったようだ。これは今後の課題にもある。世界にはスピーチライターという職業がある。いかに利き手を引きつけ、飽きさせないで本意を伝えるのか。選択する単語だけではなく、一回に口から出るセンテンスの長さまで計算して原稿を作る。報道のライターも同じで、いかに重要な事実情報を短く、確実に伝えるのかを訓練する。昨今では、非母国語出身者にも伝えるための訓練もする。どうして、こんな職業訓練をするのだろうか。伝えなければいけない情報があり、それを伝えるのが使命。

「同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。」
これを読み取れない日本のメディアは如何なものか。

「しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。」
何よりも何故、日本国が戦争を選択したのか、しっかり分析している。野党や左翼はこの意味が理解できるだろうか。平和を訴えるのなら、こういった分析を表明してこそ、平和への道を模索しようと言える。ただ、戦争しない、軍備も持たないとなれば、誰が空想や夢に聞く耳を傾けるだろうか。現実として、経済のブロック化とは具体的にどういったことか、よく考えて頂きたい。

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。」

この言葉のどこに悪意があるのか。過去の歴史を直視し、反省したからこそ口から出せるのだと思うのだが。
TPPが難航している。まさにブロック化をどう止めるのか。貿易こそ、世界を安定させる。どこかの国のみが繁栄するような貿易は是正し、貧困を撲滅させるべく、産業を育てるように支援していく。貧困も戦争の動機になる。民が貧しく、食料も欠如すれば、生きるために向かうのは政府。どんなイデオロギーであっても同じだ。だって人は食べなければ生きられない。子供を産んで、乳が出ずに死んでいく我が子を見つけている母の顔を見たことがありますか。涙なんてでない。そこあるのはただ死のみ。絶望や希望なんて、余裕があるから感じるものです。難民も同じ。勝手に武器で殺し合う中に巻き込まれ、逃げるにしても乗り物もなく、隠れる場所もない。
水も食料もない。道端にゴロゴロと屍体がある風景。

「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
 終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。」
誰に向いて決意を述べているのか。外国ではなく、日本国民に向けて決意を表明している。つまり、外国から内政干渉でとやかく言われる筋わいではない。これからの日本は内政干渉してくるような国は見えない、聞こえない、答えないという三原則を民間を含めて実行することで、無駄な闘争を生じないようにすればよい。相手が勝手に騒ぐだけだ。他国でこういった騒ぎを起こせば、今度はその起こした国がどう見られるのか日本人は観察しておけばよい。人間はともに汗を流して利益を分ける相手と、一方的に利益を与えてくれる相手と行動が違う。
日本はまさに平等という価値観を持って、ともに汗を流し、利益を分ける相手を増やすことで、武力勃発の抑止力とする。同盟は軍備拡大への抑止力にもなる。もちろん、経済的利益もある。

日本のメディアが何かおかしい、という指摘はすでに海外のメディアからもされている。法的にどうすることもできない。ならばどうすれば自浄作用で中立な日本国メディアに戻れるのか。これは日本の左翼にも言える。ある意味、日本国には左翼も右翼もいない。そうイデオロギーなんて役に立たない。これは現代の民主主義国では似たようなものだ。それだけ民が移動している証拠でもある。移民へ抵抗がある人にたずねたい。人類の歴史とは移動によって多民族との交配で新しい種族が生まれ、新しい環境に適用してきた。この事実をどう考えるのか。価値観が違うのは当然だが、いっしょに暮らせば、共通部分も増えてくる。夫婦は元は他人。動物は人間のように一夫一婦制をとらないのが大半だが、ルリオーストラリアムシクイのような鳥もいる。人口増加の抑制を強要となる前に、同性婚なりで生殖を目的とした生き方以外も認めたいものだ。子沢山な地域は貧困層が多い。どうしてなのか。実は戦争中であっても生まれてくる子供は増えているというデータもある。ただし、食料不足や医療などの事情で育たないで亡くなる。本能にのみ従うのなら、人類はお互いに殺し合って絶滅する、と誰だがか言ってた。まさに具骨頂。共通点を見出し、どうしても妥協できない部分を見出し、そこから交渉をはじめるしか戦争を回避する策はない。この話し合いを実現させるためには、あらゆる手段を持って圧力をかける。これを恫喝といっしょにする人も多いのだが、国政政治で恫喝を悪としてやってはいけない、なんて言う人はいない。もし、交渉ができなければ武力衝突で多くの一般民が死傷するんだ。戦争反対、平和維持と叫んで、今日は平和に抗議デモできたとしても、来週には他国から武力攻撃される可能性はゼロではない。戦後の日本が他国から攻撃されなかったのは憲法9条があるからではない。そんなものは中国や朝鮮半島の若者に聞いてみても、知らない人の数は多いし、お年寄りなんか知るはずもない。今回の安保法制を戦争法制と言い換えて、本来の法律の意味を曲解させるようにしている組織や団体に対しては、正統な方法で抗議していくしかない。言論の戦いの場は外国ではなく、日本国内だ。

反対意見の方にたずねたい。多種多様な価値観をお互いにを認められるようにするにはどうすればいいのか。
戦争を抑止するためには、まずはコミュニケーションが取れなければ無理。だとすれば、どうやって価値観が違う、見ている視点が違う者の間で会話が成立できるのか。日本が戦後とった手段は、日本が頭を下げて、相手の怒りを収めれば、話ができると信じてきた。これは政治以外もビジネスでも文化交流でもすべてにおいてだ。
その結果、成功した成果に何があったか。ヒントはある。かつて日本に多くの華僑と呼ばれる人いて、日本に住むためにいろいろな努力もしてきたし、もちろん、地域との揉め事も多かった。朝鮮半島出身者も同じで、地域に溶け込む努力をしてきた人も多い。地域のイベントにも積極的に参加してだ。だが、一つだけ違うのは、朝鮮半島出身者だけが大使館や領事館とは別な独自の組織を持ち、日本国の政治に関与してきたことだ。そして、この組織が産み出した新しい民族、在日朝鮮人らしい。自国の人とも亀裂を生み、生まれ育った日本人とも亀裂を生む。これでは心が安らぐ場など地球上にない、と自分は感じる。これからどう生きるのかを選択する自由と権利は在日と呼ばれる人たちにある。だが、日本国および日本人がそれに関与することは一切ないし、責任もない。それでも友といって手を差し伸べる日本人がいるのは、それはあなた方個人が築いた日本での絆のおかげだ。国だとか民族とか関係ない。今日はこういった在日と呼ばれる人にとっても新らたな出発となると感じる。

日本政府はぜひとも朝鮮半島出身者が帰国しやすくなるように韓国、北朝鮮それぞれの政府と話し合いしてあげてほしい。反面、日本で住みたい、帰化したい人のためにはその道をわかりやすく公開してあげて欲しい。在日と呼ばれる人をどうしてあげるのかいいのか、これは韓国政府も考えなければいけないことだ。

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終戦70周年日本国首相談話は集大成で大成功

2015-08-15 06:16:29 | Weblog
内容がどうなるのか、心配しているのは日本人だけで、中国や朝鮮半島は内容がどうであろうが反発する内容をどうするのかというだけで心配はしていない。むしろ、脅迫や恫喝とも取れるような発言をトップリーダを含めて堂々を公表しているので、日本国や日本国民からするとありがたい。この構図こそ、世界に知ってほしいからだ。

過去の歴史による被害者というのなら、これはすべての国の国民はみな同じ。戦争による殺傷、餓死および文化崩壊は、あきらかだ。朝鮮半島は植民地化と未だに拘るが、世界のどの国も朝鮮半島の言い分を真に受ける国はない。また、朝鮮半島の若い国民も国を出てみると事実を知るので同じ。問題なのは、事実を隠蔽し、彼ら独自の歴史を強制するために、彼らの監視組織を世界中に設置している点だろう。これが民主主義国というのなら、やはり南北どちらの朝鮮とも同じ国だ。そろそろ彼の国の国民たちも、自国の方向性が問題と気づいている。だから国を捨てて外国に出て行って、戻らないのだ。これは中国も同じ。過去にしがみついているような人は海外には出ていけない。そりゃ歴史がどうたら、と拘るようなら、外国で生きて行くことが相当難しくなる。世界の国がみな平等な視点で歴史を認識している訳じゃない。だが、それをいちいち間違っていると指摘していくような外国人を受け入れる寛容さももってはない。外国における現代日本人は同じ国どうしで集まって生活しない。正確には食材やら医療品などの販売店の近くには住むだろうが、日本人コミュニティーはあるが中国や朝鮮半島ほどの活性化はしてない。する必要もない。反中国、反朝鮮半島運動なんてしないからだ。せいぜい日本文化を外国で味わおうとか、学ぼうというぐらい。日本人からすれば、日本政府はこういった海外の日本人を本当に支援しない、と感じてはいる。だが、これが正しい。

揉め事の手段として戦争を選択しない、ときっぱり断言した談話を評価できない国は、日本国にどうしてほしいのか。謝罪というが、幾度も謝罪しても変わらないのだから、まさに元首相の土下座像でも作って、プレゼントしてあげてもいい、と考える日本人は多い。できるなら、お詫びの言葉も聞こえるように作ればいい。賠償というのあら、土下座像のそばに過去の締結した条約を石碑にして設置すればよい。特に賠償についての部分は拡大してだ。

地球上に被害者とか加害者というような犯罪の構図を国単位で作ると、ますます世界に戦争は溢れていく。これを理解しないから、他人の領土と言われる場所を武力で奪っていけるのだ。世界はそろそろチベット、ウルグアイで何が起こっているのか、国連人権委員会も実地調査をやるなど、対応を真摯に考えて行動する時期かもしれない。ロヒンギャ難民に対してもだ。調査をしないであれこれいうような人権委員会など、どの国も信頼などできないだろう。同じく欧州におけるアフリカからの難民もだ。本当に人命が大切ならば、逃げるために危険を冒すだけの価値はない、というような状況が必要になる。オーストラリア式に難民を別な場所に収容し、申請期間中はそこで自給自足をベースとして生活してもらう。子供の教育とがいうが、そもそも教育とか医療というのは属する国ごとに違う。これを統一して提供しても、民族的、宗教的と文句はでる。言語なんて部族によって違うとなれば、とてもじゃないがすべての難民に同じレベルで教育を提供するのは無理だ。しかし、難民という被害者は無理だろうが、なんだろうか要求するのは当然と要求する。これが通らないと暴力行為を収容施設で繰り返し暴れる。被害にあるのは同じ難民たちだが、そんなことは一切考慮しない。国連はこの現実をどう受け止めるのか。

中国は今は天津の事故があって、心配している。いったい何が爆発したのか。近隣地域への影響はどうなるのか。日本も他人ごとではない。日本海への汚染も大変きになる。もし報道されているような化学物質ならば、日本海の海産物への影響は膨大だからだ。つまり、食えない。化学物質も放射能並に十分に危険な理由がわかるだろうか。これを除去する方法はない。こんな状況で日本批判を繰り返したところで、中国政府は国民から「国民を救済せよ。」と言われるだけだ。もし、国民が暴動でも起こせば大変危険な状況になる。

朝鮮半島については南北のどちらも、いつも通りの反応なのだから放置しておいてよい。むしろ、国を見捨てても日本に留まりたいと考えている人たちの数は増えているだろう。おまけに帰化しても、なお元の国に縛られるなど、とんてでもないと言う人たちも多い。不思議なのは彼らは自国を見捨てても、日本国籍を持っていても、日本人じゃないという認識が大変強い。だから自分たちが望む日本に改革したい、と考えるのも当然だろう。
ここに日本政府による過去からの移民政策の失敗が見えてくる。日本という国は民族的文化的な相違はあれども、ほぼ同じ言語を話し、同じ天皇を崇拝し、徳川体制以降は同じ権力者の下にまとまった国民。さて、この天皇という存在は権力を自ら持つことではなく、権力者を別に立て、自らは保護してもらう体制を長期に維持していきている。日本の歴史で天皇が何かしら政治的改革をしたとかあったのか。自分は知らない。他国からの宗教が来ようが、黒船が来ようが、それに対してどうするとリーダシップ的行動は権力者側が示すのみだ。先の大戦にしても、皇族たちが自国を守るために戦争に参加したのか。否。つまり他国の王族のように自国を守るために戦うことすらしないのが天皇だ。日本の歴史上、皇族どうしの争いはあるのにだ。昔から象徴でしかないのだ。
だが、この天皇という象徴こそ、日本という国が厳し自然を受け止め日々生きることを示しているとも言える。
なにせ農業的な神事こそが天皇の本業。災害が起こらないように自然の神に祈るのも本業。日本の神話でもっとも象徴的なのは、大神が怒って天罰を下すために、なんと岩屋に隠れるのだ。太陽の神が隠れれば、世間は暗く農作物はダメになり、病も流行し、魑魅魍魎が動き回る。これが天罰。他国の神が下す罰とは違う。小さい時に祖祖母が聞かせる古事記の話も同じで日本の神は戦争をしないのだ。これこそが日本文化の源だと感じるのだが、違うだろうか。

現代日本が示すべき道は、横暴な国へはそれなりの対応をし、手を差し伸べる国には誠意を持って答えることだ。ここに経済、宗教などの違いを超えて、共に平和な社会を作れる相手を探して、どんどん挙力していく。異常気象による災害は世界各地で発生している。原因はCO2と言われているが、今更規制しても従来の安定した気象に戻る保証はない。ならば、こういった災害への対策、発生時の救済などの協力体制はどの国にとっても決してマイナスではない。

世界の統一という構想は幾度も出てきている。だが、言語、習慣などが違う人をまとめることの難しさ。聖書に出てくるバベルの塔のように、人が集まり、本来の目的とは違う行動を起こすことへのリスク。知徳合一(the unity of knowledge and virtue)という価値観。ギリシャは自ら生んだ哲学者の言葉すら捨て去ったために、苦しい未来を選択している。日本はどうなのか。日本文化の根底にあるのが村社会。共に支えあることで数々の困難を乗り越えようって考え方。これは最小単位社会である家族にも言えることだ。同性婚がいろいろ話題になっているが、もっとも大切なのは家族とは何かという点だろう。既存の価値観がブレークされる瞬間とは、おそらく誰もが知っていると思っていたことが実は誰も知らなかった、と気づいた時だと自分は考えている。つまり、世間にある問題とは、実はさほど深刻ではなく、視点を変えたら即解決する、という意味でもある。

日本国は良い協力関係を築ける国を増やし、災害に対抗できる技術の開発に力を入れる。食料生産についても、広い海をいかに広大な農地として利用するか、こういった研究も継続していきたい。太平洋にある小さい島は海位上昇によって島を失いつつある。ツバルとかだ。こういった人たちのためにも、日本が持つ技術開発は必要だと胸を張って言える。砂漠化現象も同じで、砂漠でどう農地を維持するのか。一つには治水技術がある。ここも日本が得意とする分野。戦後の日本が海外技術支援で培ったスキルは無駄ではない。戦争なんて人間同士だから終わりもあるが、自然は終わりがない。継続する変化にどう対応していくのか。まさにここだ。経済だって同じで、金で飯は食えない。だが、金がなければ農業の土台となる肥料、種すら買えない。SF小説ではないが、経済はいつかはなくなる。理由は簡単。先に発表されたように宇宙はゆるやかな死を迎えると。また、太陽系は高速で移動している、との発表もある。つまり、従来通りの状況から変化しつつあるのだ。目の前にある危機とは、戦争ではなく、本来は異常気象。食料危機がより深刻化すれば、戦争などしないでも多くの人が死んでいく。

こういった現象については、土下座謝罪で話題の鳩山さんが翻訳しているのだが。鳩山さん、どうしてあなたは本来の道として、世界の危機を回避するためにどうするというような行動をしていかないのでしょうか。残念です。どうか現首相は世界における異常気象をもっと税金を投じて研究し、食料危機への道を回避する方法も研究させて頂きたい。農業をロボット化、工場化するためにはどうすればコストが安定し、食料供給として実用化するのか。同じく水。日本だけではなく、アジア、しいては世界全体にとって、もっとも必要な技術は、異常気象対策と安定した食料供給。時代は食料と水。よろしくお願いします。

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迷走、霧中の日本に日は昇るのか

2015-08-14 05:38:22 | Weblog
戦後の日本はまさに敗戦による経済破綻というどん底を体験した。ここからすごいのは、何もないところであっても、あきらめないで戦争が終わった喜びを明日への希望へ転化して復興した。もちろん、復興には米国をはじめ、多くの国が支援してくれた。

台湾は日本から離脱して、独自の道を模索し、経済的、技術的にもアジアではトップグループに入るぐらいになった。朝鮮半島は朝鮮という一つの国から自らの野望で二つに分かれて戦争をはじめ、パトロンに大国をつけたおかげで停戦するのにも、それぞれの国が停戦条約を結んでない。そう、今でも戦時中。
こんな国に喜んで観光に行く日本人の気が知れない。仕事で行くにしても、保険やらで制限があるのに気づいてない日本人も多いようだ。台湾にはこういった制限がない。

それでも朝鮮半島の南側にある韓国は自らの歴史を作り、それを正史として日本へ戦後70年も攻撃し続けている。たぶん、これが彼らの生きがいなんだろう。北側にある北朝鮮はパトロンのソ連は崩壊し、中国との関係も未だ修復できずにおこもり状態。食料危機に何度瀕しても経済状態を改善するどころか、ひたすら戦争兵器や兵士へ費やすおかげで、今でも食料事情は相当悪いのに、リーダはまるまるしている。ちなみにここのは人民民主主義と民主主義の名がついているのだが、一般民の選挙ってないと思ったが。おまけに自由もない。

中国とロシアと台湾と日本の関係は、まさに事実による過去の歴史が重要だ。なにせ流れた血の量、骸の数は半端ではない。反面、満州という土地で築かれた経済圏はアジアではトップグループでもあった。この満州で起こった満州事変が日本の侵略と表現される原因でもある。愛新覚羅溥儀を皇帝として建国した。うちの祖祖父母に言わせるとそりゃもう豪華な町で、暮らしもよかったそうだ。祖祖父の出身は今の台湾。だから働いている中国人たちも自分たちもみな平等という意識が強く、食事も仕事も、なんと経営者の給料ですら同じだったそうだ。だから働いていた人の暮らしもよかった。このおかげで暴動から家族みなが彼らに助けられて、祖祖父以外は逃げ切って帰国したそうだ。だから命日は8月16日。骨がないから遺品で墓を台湾に作った。こういった怖い話よりも、楽しかった話ばかりで、そういった話しか自分は憶えてない。誰一人として、悲惨な話をしない。だが、戦争がどれだけ悲惨で、被害をくらうのはいつも一般民というのは伝わる。おまけに被曝被害者となれば、話さないでもそれが伝わる。だから日本もそろそろ怖い、辛い話ばかりではなく、悪い状況でも負けないで生きて来た、というような話で戦争を伝えるようにしたいものだ、と強く願う。

先に大震災も同じで、あの辛い状況の中でも、明日を信じて歯を食いしばっていた人たちがいる。いったいどれだけのメディアがこういった人にフォーカスして実情をレポートしたのだろうか。世界、日本のメディアの大半は悲劇にフォーカスしてお涙頂戴物語にしたと自分は感じている。報道とはいったい何なのか。事実を伝えるのなら、お涙頂戴物語になどしないでもいいはずだ。どうして事実を脚色してドラマにするのか。ここに読者や視聴者数獲得というスケベな欲望が見える。商業報道だからというのなら、報道なんて名前は捨て去るといい。
世界の新聞の中には、小さいながらも事実のみ伝え、地域の災害などでは掲示板的な役割も果たす。だから広告収入だけにこだわらないで今でも経営している。それでも大手による合併やらが必要になってくるのは、地域外のニュースソースを購入しなければいけないからだ。その値段が安くない。問題はこういった世界的ニュースソースを取り扱う企業が報道としての事実のみではなく、脚色したドラマとして配信していることだ。だから世界の大手メディアはピュアは事実を入手するのが難しくなる。むしろ、視聴者はたんたんとした事実を知るよりも、よりダイナミックにドラマチックなニュースを欲する、として生まれたケーブルテレビ。中東戦争ではまるでゲームか映画のように戦争を生中継する。自分も見ていて、現実なのか、虚構なのか、錯覚するぐらいな感覚だ。おまけにミサイルによる爆発が見えていても、そこに人間がいて、死ぬというのが見えてこない。世界中でボタン戦争と呼ばれたのは、こういったメディア効果によるものだと感じる。

自分は左翼だとか若者による抗議デモや集会は、日本という国が自由な意見が言える国と世界にアピールできるのはいいことだと思う。そこにパトロン組織がいて、資金も出してとかいろいろ言われている。それでも自由が確保できている点だけは誇れる。日本をあれこれいう国には自由がない。なにせ自分たち政府を批判すると即逮捕。それを弁護する弁護士までは逮捕する国もあるが、この国に対して、自由を掲げる国からの全面的な抗議がない。そう、チベットやウルグアイの実情を知っていても、国連の平和なんと、人権なんとかいう委員会すら何もしない。なにせ国連総長が内政干渉しても問題ないと考えているぐらいに、国連がおかしくなっているのだ。
国連がまともじゃない点を訴える国もない。訴えれば、今度は自国が国連から何かされるという恐怖もなる。中国が御身第一思考であちこちの海に自国の基地を設置する。これをASEANを含めて抗議もする。だが、国連には誰もしない。シリアだって国連は何もしないで眺めている。難民を出すだけで出して、欧州に受け入れろと命令絵する。アジアでもロヒャンギと呼ばれているが、実はバングラディッシュ人による偽装難民が増えているが、これを受け入れろと命令する。何の問題解決にもなっていない。国連が問題なのは、その道のスペシャリストがきちんと対応しないから、いつまでも世界の紛争問題ですら解決の糸口を見出せないでいるように感じる。
高等弁務官ですらこういった国連の異常さに気づいて、改善しようと努力もするが、上司がダメだと糠に釘。

日本政府は国連分担金を見直して納めるようにしよう。できるのなら組織の体質改善を実現しないと国連という存在そのものが不要な組織でしかなくなる。既得権益の温床となっている組織に対しては、より監査基準をきび疾駆して見直すぐらいじゃないと、国際組織は存在の意味を消失する。これでは本当に本末転倒だ。
オリンピックも同じだからこそ、透明会計にしてやり直す。あとはエンブレムにしても揉め事が起こっているのだからやめて、立候補時のエンブレムにするのが好ましい。SNSでも立候補時の桜の花こそ、日本にふさわしいという声も多い。近隣諸国が文句を言う?何故か。中国の冬季オリンピックは冬という感じをアレンジしている。ならば日本だって桜の花でいいだろう。ノベリティーグッズも桜の花エンブレムの方が売れると思える。なにせSNSで世界から支持されているのもこの桜の花バージョンだからだ。新国立競技場と同じく、エンブレムについても政府がリードして改善してもらえるのを説に願う。 まあ、ある意味、朝鮮半島との国交は制限する覚悟を持って今後はいかないと、ますます彼らはヒステリックに行動してくると予想できる。たぶん、もっとも恐れているのが彼の国の出身者たちだろう。そのためにも特別永住許可を廃止し、一般永住許可とし、5年ごとの更新性とし、更新ごとに申請代ももらう。申請条項は年々変わるので、ここで更新不可という人も出てくる。逆に過去に却下された人でも5年経過したら再申請できるとかにすればいい。もちろん、税金や各種公的費用の支払い状況の記録提出は義務づけ、これも審査ポイントする。生活保護については、配偶者が日本国籍保持者以外には適用しない。あくまで配偶者であって、子供が日本国籍であっても適用しない。他国の基準を見習って頂きたい。

現政府だからできるのは、ポジティブ思考による政策実行。期待している。

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日本で反政府運動組織が活性かする理由は何か

2015-08-13 05:41:16 | Weblog
日本の歴史からすれば、日本国内がさほど荒れているとは言い難い。だから生活に困らないような学生たちが反政府運動を楽しくやっていられるのだろう。ファッション化したファッショ、と誰かが言っていた。まさにこれだ。戦争だって殺人だって、ファッションとして世間に広まれば、人々の支持を得られる。否。そこまで人間は馬鹿じゃない。戦争反対運動といえば、米国でのベトナム戦争反対運動がある。ロックコンサートを開き、歴史的イベントして歴史に残る。LSD、マリファナに酔いしれて、現実世界から逃避しながら反対運動をした。で、結果としてどうなったのか。戦争が締結したのは彼らの運動の影響などではない。むしろ、戦争に縛られる(徴兵や兵器企業で働くことで殺人共用となる)されるという恐怖から逃げるためのドラッグ多様による死者の増加。まともな企業に就職しようとしても、過去のこうした行動で難しい。もちろん、コネがあれば就職はできる。だが、こういった運動を受け入れた国のその後は、悲惨だった。民主主義国家で、政府を信頼できないとなれば、すなわちそれは民主主義の破綻につながるからだ。自由という名の下に自ら自由を掲げる民主主義国家を壊そうとするのは何が矛盾してないだろうか。

日本も安保に関する抗議デモや集会があった。これを主導するのが学生運動組織で、その組織を支えたのが共産党や社会党という政党だ。そりゃ革命こそ正義の証みたなことを政治家が言うぐらいだから、彼らにとってはこれは当然な行動。反面、一般民からすれば「迷惑」しかない。当時、こういった運動を批判したり、無関心な学生は彼らから非国民と呼ばれたこともあったらしい。彼らの提唱する意見の中には、現代でいう平和維持とか、平等とかはないが、共通するのは倒閣。なんでもいいから政府を倒す、これだけだ。だから彼らの理論や演説がアニメや小説のネタにすらならないぐらいに、内容がない。

共産主義に憧れるのは、なぜなんだろうか。不公平感を強く感じるからだろうか。共産主義社会であっても、収入格差、身分格差はある。むしろ、自由な民主主義社会よりも格差は大きく、権力差も大きい。そして誰も指摘しないのが、自由がない社会という点だ。ここは何よりも重要。自由がないということは、政府への抗議デモをやりたくてもできない。それでも彼らはこういった政治組織の支援を喜んで受ける。危険だとわかっていても惹かれていくようだ。まさに若者じゃなければ、効果がない手法かもしれない。いったい日本をどうゆうように改革したいのだろうか。綺麗事ではなく、民主主義という名は残し、政治体系を社会主義にしたいのだろうか。ならば、かつての共産主義や社会主義を実行し、国民すべてが平等で、経済格差もない国ができているなら教えて頂きたい。なぜ、ソ連は崩壊し、民主主義を選択したのか。中国は竹のカーテンをなくし、国を開き、資本主義経済を選択したのか。たぶん、唯一の成功例としては中国なのかもしれない。あれだけの革命で多くの国民を殺し、反政府組織が生まれても、共産主義は不動。今や世界トップの富豪国だ。もちろん、影として貧困にあえぐ人たちの数も相当いる。自由を政府が管理し、人権も政府が管理する。だから人権派弁護士が逮捕されている。この事実を日本の左翼や左派、人権団体、弁護士組織は見て見ぬふりをしているのだ。不思議だ。日本外には人権がなくてもいいって判断する。だから反政府運動で、安保法制によるアジア、世界に貢献することも反対するのだろう。

日本国民は何をしたいのか。どんな日本がいいのか。そのためにはどうすればいいのか。これを考えないで反政府運動をしても、所詮はパトロン団体や組織の操り人形でしかない。なにせ、倒閣したところでまた選挙で自民党が勝つのはわかっているからだ。ほかの政党で日本国民の生命と財産、日本国領土をまもろうとする政党がない。これはグローバル化した現代のビジネスにおいて、国としては必須な条件だ。どの国も自国の食料を守ろうとしているが、異常天候による食料不足はすでにはじまっている。だから異常気象対策でCO2排出制限が今まで以上に注目されている。同じく安全保障もだ。一国の軍備が暴走しないためには同盟国による組織かがもっとも有効。一方、災害などの救援活動としては利害も一致するのであれば、協力できるはずだ。これをどう考えるのか。米国は中国を軍事演習に招待し、参加してもらった。力の差を見せつけるためと、相手の力を見極めるためにはいい機会と言われている。こういった接近を積み重ねていても、根本的な侵略構想は変わらない。なぜ、侵略するのか。たぶん、この構想に賛同できる国は、自らも世界征服という魅力にとりつかれているからだと思う。組織は巨大になればなるほど、お互いの足を引っ張り合い、対立が激化して、崩壊する。まとまるための要が金目でしかないのなら、金が縁の切れ目になる。世の中、金がなければ戦争もできない。資源があっても武器を作るための人材を生かすためには、コストがかかる。兵士も金がかかる。巨大な軍になればなるほど、働かせるためにコストに見合うだけの戦争を起こさないといけなくなる。もし、戦争もなく兵士や軍事産業が栄えているなら、一般民からの反発による暴動や反政府組織が生まれ、活動するからだ。これが民主主義国だと選挙によって民意は反映する。日本という国は、特殊な国民のおかげで「戦争反対」と呼ばれるなにがあっても戦争には参加しない、という思想が正義としてはびこっている。つまり侵略されようが、反撃せずに死すことこそ美学だそうだ。醜く似ても生きることに執着することこそ、人間として当然の行動なのだが、それをしないことを美学というのは何かおかしい。日本は、人が死ぬことに対して、何かこう歪んだ価値観を見出しているように感じる。死刑にしても、当然と支持する人が多い。しかし、他国から武力攻撃される戦争には反撃しないで死ぬのを望むと。この異常性にいったいどれだけの日本人が気付いているのだろうか。







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