The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本で反政府運動組織が活性かする理由は何か

2015-08-13 05:41:16 | Weblog
日本の歴史からすれば、日本国内がさほど荒れているとは言い難い。だから生活に困らないような学生たちが反政府運動を楽しくやっていられるのだろう。ファッション化したファッショ、と誰かが言っていた。まさにこれだ。戦争だって殺人だって、ファッションとして世間に広まれば、人々の支持を得られる。否。そこまで人間は馬鹿じゃない。戦争反対運動といえば、米国でのベトナム戦争反対運動がある。ロックコンサートを開き、歴史的イベントして歴史に残る。LSD、マリファナに酔いしれて、現実世界から逃避しながら反対運動をした。で、結果としてどうなったのか。戦争が締結したのは彼らの運動の影響などではない。むしろ、戦争に縛られる(徴兵や兵器企業で働くことで殺人共用となる)されるという恐怖から逃げるためのドラッグ多様による死者の増加。まともな企業に就職しようとしても、過去のこうした行動で難しい。もちろん、コネがあれば就職はできる。だが、こういった運動を受け入れた国のその後は、悲惨だった。民主主義国家で、政府を信頼できないとなれば、すなわちそれは民主主義の破綻につながるからだ。自由という名の下に自ら自由を掲げる民主主義国家を壊そうとするのは何が矛盾してないだろうか。

日本も安保に関する抗議デモや集会があった。これを主導するのが学生運動組織で、その組織を支えたのが共産党や社会党という政党だ。そりゃ革命こそ正義の証みたなことを政治家が言うぐらいだから、彼らにとってはこれは当然な行動。反面、一般民からすれば「迷惑」しかない。当時、こういった運動を批判したり、無関心な学生は彼らから非国民と呼ばれたこともあったらしい。彼らの提唱する意見の中には、現代でいう平和維持とか、平等とかはないが、共通するのは倒閣。なんでもいいから政府を倒す、これだけだ。だから彼らの理論や演説がアニメや小説のネタにすらならないぐらいに、内容がない。

共産主義に憧れるのは、なぜなんだろうか。不公平感を強く感じるからだろうか。共産主義社会であっても、収入格差、身分格差はある。むしろ、自由な民主主義社会よりも格差は大きく、権力差も大きい。そして誰も指摘しないのが、自由がない社会という点だ。ここは何よりも重要。自由がないということは、政府への抗議デモをやりたくてもできない。それでも彼らはこういった政治組織の支援を喜んで受ける。危険だとわかっていても惹かれていくようだ。まさに若者じゃなければ、効果がない手法かもしれない。いったい日本をどうゆうように改革したいのだろうか。綺麗事ではなく、民主主義という名は残し、政治体系を社会主義にしたいのだろうか。ならば、かつての共産主義や社会主義を実行し、国民すべてが平等で、経済格差もない国ができているなら教えて頂きたい。なぜ、ソ連は崩壊し、民主主義を選択したのか。中国は竹のカーテンをなくし、国を開き、資本主義経済を選択したのか。たぶん、唯一の成功例としては中国なのかもしれない。あれだけの革命で多くの国民を殺し、反政府組織が生まれても、共産主義は不動。今や世界トップの富豪国だ。もちろん、影として貧困にあえぐ人たちの数も相当いる。自由を政府が管理し、人権も政府が管理する。だから人権派弁護士が逮捕されている。この事実を日本の左翼や左派、人権団体、弁護士組織は見て見ぬふりをしているのだ。不思議だ。日本外には人権がなくてもいいって判断する。だから反政府運動で、安保法制によるアジア、世界に貢献することも反対するのだろう。

日本国民は何をしたいのか。どんな日本がいいのか。そのためにはどうすればいいのか。これを考えないで反政府運動をしても、所詮はパトロン団体や組織の操り人形でしかない。なにせ、倒閣したところでまた選挙で自民党が勝つのはわかっているからだ。ほかの政党で日本国民の生命と財産、日本国領土をまもろうとする政党がない。これはグローバル化した現代のビジネスにおいて、国としては必須な条件だ。どの国も自国の食料を守ろうとしているが、異常天候による食料不足はすでにはじまっている。だから異常気象対策でCO2排出制限が今まで以上に注目されている。同じく安全保障もだ。一国の軍備が暴走しないためには同盟国による組織かがもっとも有効。一方、災害などの救援活動としては利害も一致するのであれば、協力できるはずだ。これをどう考えるのか。米国は中国を軍事演習に招待し、参加してもらった。力の差を見せつけるためと、相手の力を見極めるためにはいい機会と言われている。こういった接近を積み重ねていても、根本的な侵略構想は変わらない。なぜ、侵略するのか。たぶん、この構想に賛同できる国は、自らも世界征服という魅力にとりつかれているからだと思う。組織は巨大になればなるほど、お互いの足を引っ張り合い、対立が激化して、崩壊する。まとまるための要が金目でしかないのなら、金が縁の切れ目になる。世の中、金がなければ戦争もできない。資源があっても武器を作るための人材を生かすためには、コストがかかる。兵士も金がかかる。巨大な軍になればなるほど、働かせるためにコストに見合うだけの戦争を起こさないといけなくなる。もし、戦争もなく兵士や軍事産業が栄えているなら、一般民からの反発による暴動や反政府組織が生まれ、活動するからだ。これが民主主義国だと選挙によって民意は反映する。日本という国は、特殊な国民のおかげで「戦争反対」と呼ばれるなにがあっても戦争には参加しない、という思想が正義としてはびこっている。つまり侵略されようが、反撃せずに死すことこそ美学だそうだ。醜く似ても生きることに執着することこそ、人間として当然の行動なのだが、それをしないことを美学というのは何かおかしい。日本は、人が死ぬことに対して、何かこう歪んだ価値観を見出しているように感じる。死刑にしても、当然と支持する人が多い。しかし、他国から武力攻撃される戦争には反撃しないで死ぬのを望むと。この異常性にいったいどれだけの日本人が気付いているのだろうか。







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