The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

政府与党はここが日本国の本当の正念場と自覚しているのか

2015-08-02 06:18:21 | Weblog
安保法制についての外国人の意見とかもネットで多く知ることができる。反対の理由は概ね2つ。1つは戦争ができるという漠然とした日本語で反対している。意味は侵略戦争を日本からしかけるというだけではなく、反撃としての戦争ができることへの懸念とも取れるが、あいまいな表現だ。もう1つは 賛成だ。理由は賛成している日本人と同じで、決して侵略戦争ができるようになることを歓迎している訳ではない。

SNSではひたすら若者集団と政治的、思想的組織の関係とか、いろいろ言われている。それでも夏休みでバイトもしないでよい裕福な大学生や高校生たちは抗議デモに参加することで有意義な夏休みを堪能しているようにも思える。親は心配で参加するな、と言っている人もいるようだ。

さて、日本に言論の自由はあって、外国人にも自由がある。暴力行為や社会に迷惑をかけるデモや集会でない限りは機動隊も警備目的としての出動で済む。ある意味、日本ってやっぱりいい国だと思う。これが米国なら銃などでリスクもあるだろう。中国や韓国だとすかさず政府からの圧力があって死傷者がでるかもしれない。自分としては少々嬉しい夏だ。この自由を誰が維持しているのか、抗議デモや集会に参加している若者はじっくり考えて欲しい。確かに日本の政治は海外から見ると政権が同じ政党でずっと継続してきた。昨今、それがどうしてなのか、いろいろな国が分析してやっとわかってきたようだ。そう、日本には右翼も左翼もないのだ。あるのは政府と反政府という構図のみ。保守だとか革新とかもない。あるのは自国のためか、他国のためかだけだ。これではまともな民主主義による政党政治はできないだろう。おまけに日本は自国民によるテロ組織にも甘い。だからいつまでも残骸やら幽霊が悪さをする。徹底して殲滅できないのは、同一民族だからだろう、とどこかの外国人が解説していた。自分もそうかもしれないと思う部分はある。

例として、日本国に盗聴の支援を持ちかけたような記事が発表された。今、米国が日本政府および企業の盗聴とリーク情報が公表された。ここで思い出すのが官邸だかどこかに盗聴機がしかけられたと政府関係者が表明していたことだ。前政権時に大量のパスを発行し、いろいろな人間が出入りしていたとの記事が新聞や週刊誌に書かれている。日本人として「盗聴するだけ日本って価値があるんだ。」と感心した。もし、日本が米国の言いなりであれば、大量な盗聴は不要だろう。つまり言いなりにはならないからだと思う。かつて貿易戦争とも呼ばれた交渉ですら、日本はなかなかタフネゴシエータだったようだ。これは官僚というよりは、政治家が良かったのだろう。かつての日本は外交としてはおせじにもうまいとは言えないから、米国をはじめ連合軍と戦争になった。だが、戦後の日本といえば、なかなかの交渉人だったと感じる。もちろん、他国の政治家だってそうそうな人物ばかりだ。ならば世界中において、現代で歴史に残る政治家はどれだけいるかと言われると、悩む。

政府与党の執行部はそろそろ野党トップとの会談やら交渉やらとはじめてはいかがだろうか。もちろん、同意してもらえるとは思えない。だが、夏が終わっても抗議デモや集会が継続するとなると、状況は変わる。国内の治安として、強硬な抗議手段に変わる可能性を否定はできない。香港や台湾での学生デモでも時間が経過すると政府側が制圧せざる得ないのは、治安を維持するためだ。社会にとって迷惑だからだ。一部の市民が支持したとしても、社会の機能において、長期間に渡る抗議デモや集会が邪魔になるのは当然だ。それどころか、集団が過熱してヒステリックになれば危険度は増す。人間は同じことを繰り返すためには成果が必要だ。さて、彼らが望む成果とは何なのか。その成果が得られないと分かれば、暴力的手段も取るだろう。かつての学生運動がそうだったからだ。政治組織や団体が支援しているとしても、そちらまで逮捕し、起訴できるのだろうか。難しい・
安保法制も重要だが、内部侵略に備えた法整備も必要だったはず。

ラオス航空機のリターン事件とか、中国機による領海近郊への飛行といい、あれこれ試してきている。同時に国内での動きについても注意してないといけないだろう。だが、こういった状況でも未だにビザなし来日を継続させるというのは、有事が発生しても対応できるだけの準備ができている、と日本国民は安心してもいいのだろう。原爆投下の日についても、式典は多いが、休日にしないのは何故なのか。せめて、当時地域では休日としてもいいと思う。日本が核兵器を持たないでも近隣諸国からの核攻撃に反撃するにはどうすればいいのか。ぜひ、安保法制に反対している野党に質問して欲しい。核兵器を持っている国と友好になればいい、というのはダメだ。友好関係が築かれたところで、核ミサイルの標準を変えることはないからだ。せいぜい、知り合いを大量の財産を持って先に逃がしてから核ミサイルを打つぐらいだろう。資源もないし、日本人労働者もいらない。あとから技術などの情報を手にして占領すればいいだけだ。ミサイルを一発でも日本が受けたら、おそらく日本国を守るというよりは、日本を売るような人が溢れているのだから、安く、簡単に占領できると想像する。

ISのようなテロ組織が暴れていても、アジア、欧州とか遠い場所の出来事だから眺めているだけだ。南米もアフリカも自分たちの内乱で手一杯だ。ベトナムやフィリピンのように弱い国なら簡単に占領できると読んでいるのだろう。大量の兵器を使って攻撃すると、占領したのちに大変だし、コストもかかる。だからジワジワと攻めていく。おそらく台湾、日本の一部は確実に狙われている。国連ですらウイグル、チベットが侵略されても見ているだけだ。人権派弁護士が大量に逮捕されても、国連の人権なんとかですら見ているだけで声明すら出さない。
こういった点で何かおかしい、と感じないのなら、やはり日本は平和ボケなんだと思う。

国を守るために戦争で戦うだけが守ることではない。戦争にならないための交渉をさせるためにも、日本がそうそう簡単に相手側の意図に従わないだけの根拠を持たなければいけない。その1つが軍備だ。経済については、あまり心配ない。将来の年金が消滅しても、国が残っていて安心して生活できるのなら社会保障なりでなんとかできる。日本国の総資産がどれだけあるのかよく調べてみよう。別に安保法制があってもなくても、戦争は起こる時には起こる。いい加減、戦争が相手があってのことと認識したいものだ。つまり、法律が廃止されたところで、戦争は起こるのだが、その時にはどうするのだろうか。
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