The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

談話が導く日本国の未来と近隣諸国との関係

2015-08-15 08:44:15 | Weblog
首相談話はもっと短い方が良かった、という意見が多い。確かに長いおかげで、現代の若者たちや日本語能力欠如の大人からすれば、何を言っているのかわからない、という印象もあったようだ。これは今後の課題にもある。世界にはスピーチライターという職業がある。いかに利き手を引きつけ、飽きさせないで本意を伝えるのか。選択する単語だけではなく、一回に口から出るセンテンスの長さまで計算して原稿を作る。報道のライターも同じで、いかに重要な事実情報を短く、確実に伝えるのかを訓練する。昨今では、非母国語出身者にも伝えるための訓練もする。どうして、こんな職業訓練をするのだろうか。伝えなければいけない情報があり、それを伝えるのが使命。

「同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも私の強い信念であります。」
これを読み取れない日本のメディアは如何なものか。

「しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。」
何よりも何故、日本国が戦争を選択したのか、しっかり分析している。野党や左翼はこの意味が理解できるだろうか。平和を訴えるのなら、こういった分析を表明してこそ、平和への道を模索しようと言える。ただ、戦争しない、軍備も持たないとなれば、誰が空想や夢に聞く耳を傾けるだろうか。現実として、経済のブロック化とは具体的にどういったことか、よく考えて頂きたい。

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。」

この言葉のどこに悪意があるのか。過去の歴史を直視し、反省したからこそ口から出せるのだと思うのだが。
TPPが難航している。まさにブロック化をどう止めるのか。貿易こそ、世界を安定させる。どこかの国のみが繁栄するような貿易は是正し、貧困を撲滅させるべく、産業を育てるように支援していく。貧困も戦争の動機になる。民が貧しく、食料も欠如すれば、生きるために向かうのは政府。どんなイデオロギーであっても同じだ。だって人は食べなければ生きられない。子供を産んで、乳が出ずに死んでいく我が子を見つけている母の顔を見たことがありますか。涙なんてでない。そこあるのはただ死のみ。絶望や希望なんて、余裕があるから感じるものです。難民も同じ。勝手に武器で殺し合う中に巻き込まれ、逃げるにしても乗り物もなく、隠れる場所もない。
水も食料もない。道端にゴロゴロと屍体がある風景。

「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
 終戦80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。」
誰に向いて決意を述べているのか。外国ではなく、日本国民に向けて決意を表明している。つまり、外国から内政干渉でとやかく言われる筋わいではない。これからの日本は内政干渉してくるような国は見えない、聞こえない、答えないという三原則を民間を含めて実行することで、無駄な闘争を生じないようにすればよい。相手が勝手に騒ぐだけだ。他国でこういった騒ぎを起こせば、今度はその起こした国がどう見られるのか日本人は観察しておけばよい。人間はともに汗を流して利益を分ける相手と、一方的に利益を与えてくれる相手と行動が違う。
日本はまさに平等という価値観を持って、ともに汗を流し、利益を分ける相手を増やすことで、武力勃発の抑止力とする。同盟は軍備拡大への抑止力にもなる。もちろん、経済的利益もある。

日本のメディアが何かおかしい、という指摘はすでに海外のメディアからもされている。法的にどうすることもできない。ならばどうすれば自浄作用で中立な日本国メディアに戻れるのか。これは日本の左翼にも言える。ある意味、日本国には左翼も右翼もいない。そうイデオロギーなんて役に立たない。これは現代の民主主義国では似たようなものだ。それだけ民が移動している証拠でもある。移民へ抵抗がある人にたずねたい。人類の歴史とは移動によって多民族との交配で新しい種族が生まれ、新しい環境に適用してきた。この事実をどう考えるのか。価値観が違うのは当然だが、いっしょに暮らせば、共通部分も増えてくる。夫婦は元は他人。動物は人間のように一夫一婦制をとらないのが大半だが、ルリオーストラリアムシクイのような鳥もいる。人口増加の抑制を強要となる前に、同性婚なりで生殖を目的とした生き方以外も認めたいものだ。子沢山な地域は貧困層が多い。どうしてなのか。実は戦争中であっても生まれてくる子供は増えているというデータもある。ただし、食料不足や医療などの事情で育たないで亡くなる。本能にのみ従うのなら、人類はお互いに殺し合って絶滅する、と誰だがか言ってた。まさに具骨頂。共通点を見出し、どうしても妥協できない部分を見出し、そこから交渉をはじめるしか戦争を回避する策はない。この話し合いを実現させるためには、あらゆる手段を持って圧力をかける。これを恫喝といっしょにする人も多いのだが、国政政治で恫喝を悪としてやってはいけない、なんて言う人はいない。もし、交渉ができなければ武力衝突で多くの一般民が死傷するんだ。戦争反対、平和維持と叫んで、今日は平和に抗議デモできたとしても、来週には他国から武力攻撃される可能性はゼロではない。戦後の日本が他国から攻撃されなかったのは憲法9条があるからではない。そんなものは中国や朝鮮半島の若者に聞いてみても、知らない人の数は多いし、お年寄りなんか知るはずもない。今回の安保法制を戦争法制と言い換えて、本来の法律の意味を曲解させるようにしている組織や団体に対しては、正統な方法で抗議していくしかない。言論の戦いの場は外国ではなく、日本国内だ。

反対意見の方にたずねたい。多種多様な価値観をお互いにを認められるようにするにはどうすればいいのか。
戦争を抑止するためには、まずはコミュニケーションが取れなければ無理。だとすれば、どうやって価値観が違う、見ている視点が違う者の間で会話が成立できるのか。日本が戦後とった手段は、日本が頭を下げて、相手の怒りを収めれば、話ができると信じてきた。これは政治以外もビジネスでも文化交流でもすべてにおいてだ。
その結果、成功した成果に何があったか。ヒントはある。かつて日本に多くの華僑と呼ばれる人いて、日本に住むためにいろいろな努力もしてきたし、もちろん、地域との揉め事も多かった。朝鮮半島出身者も同じで、地域に溶け込む努力をしてきた人も多い。地域のイベントにも積極的に参加してだ。だが、一つだけ違うのは、朝鮮半島出身者だけが大使館や領事館とは別な独自の組織を持ち、日本国の政治に関与してきたことだ。そして、この組織が産み出した新しい民族、在日朝鮮人らしい。自国の人とも亀裂を生み、生まれ育った日本人とも亀裂を生む。これでは心が安らぐ場など地球上にない、と自分は感じる。これからどう生きるのかを選択する自由と権利は在日と呼ばれる人たちにある。だが、日本国および日本人がそれに関与することは一切ないし、責任もない。それでも友といって手を差し伸べる日本人がいるのは、それはあなた方個人が築いた日本での絆のおかげだ。国だとか民族とか関係ない。今日はこういった在日と呼ばれる人にとっても新らたな出発となると感じる。

日本政府はぜひとも朝鮮半島出身者が帰国しやすくなるように韓国、北朝鮮それぞれの政府と話し合いしてあげてほしい。反面、日本で住みたい、帰化したい人のためにはその道をわかりやすく公開してあげて欲しい。在日と呼ばれる人をどうしてあげるのかいいのか、これは韓国政府も考えなければいけないことだ。

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