The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

NSW州ストラッドフィールド市における慰安婦像設置への結果

2015-08-12 05:40:50 | Weblog
https://www.strathfield.nsw.gov.au/news-and-events/media/media-releases-2015/statement-regarding-proposed-comfort-women-statue

日本ではいかにも日本の勝利と報道されているのだが、自分は少々違うように感じる。つまり、もともと彼らが訴えた内容がルールにそぐわないという理由で却下された。反面、ここで抗議している日本人グループとは日本国籍保持者。まさに自国民による影響は不明なままだ。もし、政権が野党だったら結果は違っていたのかもしれない。

韓国や中国の国籍保持者は選挙権も欲している。だが、これはなかなか受け入れてもらえる要求ではない。必要なら帰化すればいいのだ。問題は帰化するための条件がなかなか厳しい点なんだろう。オーストラリア国民はすでにオーストラリアで生まれ、育った国民の数は減ってきていて、他国からの移民が増えているらしい。特に中国とイスラム圏からの移民だ。イスラム圏からの移民が増加したのはボートに乗ってやってくる数が多いからだ。今ではオーストラリア以外の土地で収容され、難民申請の結果を待つ。だが、難民と認定されてもオーストラリアで受けることはない。当然だ。彼らのおかげで、難民申請を急いで受けないといけなような人や子供が後回しにされるからだ。おまけに彼らはボートに乗るために800万円近い金を払っている。中には貴金属なども持ち込んだり、財産は他国の銀行に預けているような人もいる。中国からの移民は、金さえあれば永住権も取れるので人気だ。この富豪たちの持っている財産の額が日本ではおめにかかれないぐらいの額だ。先日も約70億円相当の住宅(城に近い)を現金で購入と記事になった。この国の法律では、外国人は、投資のためになら新規住宅の購入のみ、自らが住むなら中古住宅でも購入できる。ところが投資のために中古住宅を購入した人たちが政府からの勧告で即刻うるように言われているが、なかなか売れない。なにせ、住宅本来の価値を無視するような額で購入しているからだ。

オーストラリアにはThe Shrine of Remembranceと呼ばれるANZACで亡くなった兵士を弔う施設がある。ANZAC とは毎年4月25日、第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵たちと、当時国の為に尽力した人々のために追悼を行う。日本人は知っているのだろうか。第二次世界大戦は敵国として日豪が対立した。しかし、第一次世界大戦は日本がオーストラリア軍(当時は英国軍)の海上護衛をやった。だからトルコとともに日本海軍に対してはやや見方が違う。ただし、当時は英国海軍ということを忘れると痛い目を見る。大半のオーストラリア人は第二次世界大戦における捕虜虐待を今でも憎んでいる。だから米国で当時の捕虜たちへの謝罪は、興味を持って受け止めている。もう一つはオーストラリアにおけるアボリジニと呼ばれる先住民族だ。第二次世界大戦では彼らは日本軍との陸上戦では大活躍した。本来ならこれを褒めるためにもっと第二次世界大戦に注目してもいいように思えるのだが、盛り上がりはない。
ニュージランドの先住民族はラグビーなどの試合前で有名なハカを踊るマオリ族で、ポリネシアン系。ハワイも日本人もポリネシアン系。誰も指摘しないが、ポリネシアン文化は、クジラを特別に見ている点。日本は本当にクジラを捕獲して食べたり、ヒゲを利用しないといけないのだろうか、と意見も言えないのがおかしな点だ。
だが、名誉のためには戦うという思考はポリネシアン系の共通価値観。そこに大陸からの文化が入ってきて、融合したのが現在の日本文化と言われている。こういった先住民族が西洋の国から植民地として収められ、人権など無視され扱われていた。オーストラリアの先住民たちは世界でも最古といわれる人たちで、独特の文化を持っている。日本人が共通する価値観としては自然を神として崇拝している点だと思う。近い場所でありながら、国交をしてないから、まったく民族も違うし、価値観も文化も違う。彼らは日本という国に対しては、あまりいい印象がない。それは日本がアジアを侵略して植民地化したからだそうだ。もちろん、元日英同盟という点もある。それぐらいに英国への憎しみや恨みは深い。反面、若い世代は日本といえば、アニメ、漫画やゲーム。日本にいっても差別は受けない、と評判はいい。なにせ、日本語のレベルは高いので、日本に行って、就職する人も多い。唯一の違いは地震に対する政府の対策と言っていた。日本はしょちゅう地震があるので、テレビなどで即ニュースになるし、避難訓練とか徹底している。こういった行動が人の命を危険から守るんだろう、と。
これを見習って、避難訓練もやったらしい。オーストラリアは毎年必ず火事の避難訓練が義務付けられる。地震はなかったが、最近、クイーンズランド近郊で大きな地震が数回あった。おかげで高層ビルの耐震構造、津波への感心が高まっているらしい。なにせ震度3ぐらいでも崩れるような高いビルとかいっぱいあるので、地震がきたら大丈夫とは言えない。ニュージランドはすでに建築物に対しての地震対策を法的に整備した。こういった対応の早さは日本もみならいたい、と感心する。

こういった現実の変化に対して、移民たちは関与しない。帰化してなくても意見を述べる機会はいくらでもある。その例がこの慰安婦像設置だ。これを危険と封印するか、民どうしが意見を述べて、民に判断を仰ぐのか。
どちらが本当に民のための行政か、考えるのにはいい機会だったと思う。ちなみに現地ではほとんどニュースにもならない。設置場所の駅は東京駅以上に広く、そんなところに銅像の一つや二つたったところで何が変わるという訳じゃない。だから日本人側の抗議行動にすら「過敏だ」という批判も多い。ここでは日本人も外国人。
もともと中国韓国によるコミュニティーが政治への干渉も多いので、多くのオーストラリア人はあまりいい感情はない。そこに日本人がやってきて抗議活動をやるとなれば、静かな町は一転する。だからカウンタ行動計画的にかつ注意してやらないと双方とも受けるダメージは大きい。


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日本人という属性を持つ人間とは

2015-08-11 06:35:30 | Weblog
保守とか、革新そか、自分はどうでもよい。何ごとにも束縛されない自由な思考や意見を守るためには行動する。
国籍とは何なのか。自分にとっては属性でしかない。ある人はこの属性を複数持つが、人間としての意見や思考は変わらない。ただし、この国籍属性が表面化するのは、民主主義国家の主権者としての国民として責任を担う時だ。つまり、昨今のように過去の出来事を脚色し、日本を戒める目的で世界を洗脳するような行為には、抗議する。名誉とか埃では飯は食えない。ところが、現在、日本国および日本人が抱える問題として、国連の敵国条項というのがある。日本国憲法でいくら戦争を放棄と定義し、戦後、過去の戦争で関わったアジア、米国以外の国に経済的、技術的支援を継続しても、敵国条項からの削除はされていない。日本人は忘れているようだが。

国際政治学者が何を言っているのか、しっかり聞いていただきたい。憲法は国を定義するためには必要だが、時代とともに見直す必然性すら否定しているとなると、日本国憲法はまさに化石となり、意味を持たなくなる。これでは本末転倒ではないのか。まさに憲法改定を否定している人こそ、井の中の蛙状態だ。

戦争へ参加しない。戦争となる他国からの攻撃を受けない。これらを実現して平和と呼ぶのか。自分は違うと思う。平和とは、自分たちだけが安心して安全であればいいという訳じゃない。武力進撃してくる国がある以上は、そういった国の武力行動を阻止することこそ、平和を維持するためには必要だ。つまり、日本に武力進撃してくるな、というのを物理的に表明しているのが、対抗できる軍事力。自国だけでは軍備増強は危険なので、同盟方式こそ、軍の暴走を抑止できるとも言われている。そりゃ同盟としてお互いを監視するようなものだからね。さて、自国の利益増大に食指を動かすことが政治生命となっているような独裁政権だと、相手が強かろうが、かまわず攻撃する。一つには軍の抑止力が単なる政治と金でしかないからだ。不正は金儲けのために当然、増える。この不正をなくそうと取り締まったところで、価値観として金儲けが正義となった社会には自らの社会をクリーンにしようとする動機がなかなか根ずかない。だから権力者や政治家の上層部は自らの国も国民も信じないで、ひたすら搾取して金を海外に逃がし、逃亡するための土台をちゃくちゃくと整える。ここまでなっても逃げ出さないで国を治めているトップは褒められると自分は思う。たぶん、逃げても資産は差し押さえられ、新しい国の政治によって裁かれる可能性もゼロではない。亡命で命を守ることができるとすれば、自国を裏切るような行為、つまり売国をすることしかないだろう。これをやれば二度と自国には戻れないだろうし、外国でも命を狙われる可能性が高くなる。それでも自国を裏切るのはどうしてなのか。

世界はいよいろ混沌としてきた。せめて、アジアぐらいはドンパチしないでなんとか治めたい。たぶん、開戦はどの国に対しても利益を持たらさない。これを認識していくことこそ、平和維持に繋がる。軍事基地利用ではなく、平和利用として周辺国で管理運営でき、関与する国が利益を共有できる提案ができるのか。海洋自然保護とすれば、あんなものは撤去してもらうのが当然だが、環境保護を尊重するような設備をし、それを売りにする手もある。軍備とは戦争がなければ単なる金食い組織でしかない。技術的開発などで貢献とも言えるのだが、兵器の開発が直接、民間製品に役立つこと少ない。だが、船のような乗り物を観光向けに改築することはできる。
それでも相手が金儲けとしての搾取が長く続き、自分たちが贅沢三昧できることが目標となると、こういった交渉は難しいのかもしれない。なにせ、トップをはじめ、幹部たちが持っている金の量が半端ないくらい大金だ。
自分たちが考える利益とは桁が違う。あとは、経済戦争でどう追い詰められるのか。軍備だとトップをはじめ幹部たちはみんな安全な場所にいるのだから、痛くもかゆくもない。このあたりを一般人民が認識し、かつ軍隊の兵士も認識すればいいのだが。日本人も自分たちの状況を直視して、どうすればいいかを考えて、国の舵をとる政治家のケツを叩かないといけない。たかが法律ごときで世界は変わらない。それよりも、現実の武力侵略のための動きこそ、注意し、対抗する手を打たないと、平和は一瞬にして壊される。天皇は日本を守れない。なにせ何の権限も持っていない。存在価値があるのは、日本国の象徴として世界の外交効果として働いてもらうだけだ。ほかにも神事があるが、後継者がこういった神事すらまともにやらないようなら、神事継続のための家系維持として新たな皇室法を考えてもいいと思っている。宗教家としての存在。ゆえに政教分離として、政治的関与は一切禁止とする。個人の自由など、宗教家にはない。あるのは宗教おける社会への提言ぐらいなものだ。
もし、王様一族が敵国の策にはまれば、国および国民を裏切ることなど簡単だ。こうやって国を失った民は歴史上いくつもある。だが宗教は違う。信者が離れていくだけで、国や国民への影響が出る前に後継者を定め直すなどで対処できる。もし、天皇が政教分離を無視するのであれば、靖国参拝だってできるはず。それをやらないのは、政教分離を認識しているからだと思うのだが、違うのだろうか。国の象徴として自由を奪うのは、なんか違うと思う。ならば、この国象徴からほかの宗教と同じように経済的自立をしてもらって、国としては維持できるための支援としての補助で税金を使えばいい。神社の宮司さんと同じようにだ。

さて、戦争終結の日とかいろいろ言う人もいると思うが、自分は敗戦の日が一番いいと思う。負ける戦争を仕掛けた事実を後世まで語り継ぐことこそ、平和がどれだけ重要で、平和を維持するために手段を選ばない覚悟も必要と訴えることができる。日本ももっとグローバル化に従って国際法や国際政治の有識者が増えていかないと、日本の未来は暗い。近隣諸国との問題も、国交するための利益を日本が提示する限りはある程度もめても、武力衝突まではいかないだろう。今回は前政権による計画なしの外交による結果だと思う。尖閣諸島にさっさと灯台や台風などによる回避所を作ればよかった。どれも台湾、中国と日本の利益になるのだから。おまけに日米同盟の絆がしっかりしているのなら、米国も尖閣諸島を利用することもできる。こういった発想すら前政権はなく、ひたすら頭を下げ、媚びを売るだけだったのが問題を大きくした。これを反省すらできないのだから、二度と政権奪還など不可能だろう。

そういえば、オーストラリアでの慰安婦像設置については、今日ではなく明日だそうだ。
https://www.strathfield.nsw.gov.au/council/public-notices/current-public-notices/extraordinary-council-meeting-august-11/

日本ももっとこういった議論が公開されていくといいと思う。現状では外国人は意見を表明する場がない。投票もできない。ならば、こういった公開の場で議論してもらってもいい、と自分は思う。なにせ、特定国のように組織的な活動をする外国人だけではないので、ほかの外国人にも発言できる機会を与えて、はじめて公平と感じるからだ。今の日本は日本人も外国人にも公の公平な場での議論をする場所がない。テレビとかメディアだと、結論ありきで発言する人を決めるので、公平ではない。冷静な議論に罵倒や相手を屈辱するようなボディーランゲージも必要ない。

次世代の日本人としては、もっとグローバルな視点を持って、日本を歩ませたい、と心から願う。
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日本国で自虐史観が育てた歪みとネガティブ思考

2015-08-10 05:08:12 | Weblog
反省とは何のために行うのか。結果が思わしくないから、手順を含む行動を見直し、よい結果を得るためだ。さて、歴史において反省とは何だろうか。例えば、戦争における反省となると相手国への被害を与えたというのは、成果となるのか。否。そもそも争うという判断をした場合、その原因が必ずある。まさか集団や国家レベルが快楽殺人の集団という訳ではない。どんなに残虐な手順で殺そうが、優しく殺そうが、殺人は殺人。そこまでして手に入れる利益とは何なのか。こういった質問を戦争は悪、平和は善としか判断できない人に問いたい。

人間という動物は思考をし、この思考によって行動原理が決まってくる。感情のみで行動する人もいるが、こういった人は、社会というルールによって統制された集団の中では生きていけない。だから孤独か、志を同じにする人が集まって生きるか。イデオロギーとはある意味、行動を正当化するために作られた思考でしかない。だからそこには行動による結果を得るためには、手段すら選ばない。つまり、即効性を望むか、遅効性を望むのか。権力を最大に使って武力により民を制圧すれば、結果を早く得られる。だが、民を説得し、納得させるとなると時間もかかるし、従わない民も出てくる。どちらが一般民が安心して生活していくためにはいいのだろうか。

歴史は人を惹きつける。どうしてなんだろうか。たぶん、未来を見通すとなれば、実現性の確率が高いとなれば魅力もある。現代のように混沌としていると、来年、3年先ですら不透明だ。これが不安として心の澱として人々の中に残されている。味方によっては人類の歴史なんて殺し合いでしかない。戦争を反対と訴える人たちこそ、世界の歴史を客観的に見てみるといい。そして、その戦争の原因もだ。大半が復讐とか、恨みとかであって、自国が生き残るため、というのは案外少ない。もっとも長く対立して戦争を継続してた中東でさえ、結局は宗教の対立ではなく、宗教のおける内部争いだ。宗教によって人は生きるというが、ならば宗教の内部争いで人が死ぬのはどんな意味があるのか。これはキリスト教、イスラム教、仏教と3代宗教であってもほぼ同じ。自国の神道ですらいろいろな団体があり、争う。歴史を直視すればするほど、権力者と同じように力を持つ宗教による戦争が多いことに気づく。だから宗教からみな人は離れていく。これは政治も同じ。

日本人は、首相が発表する70周年記念談話がどういった内容かをとても気にしている。何故なら過去のような自虐的内容なら日本の未来はまだまだ周辺国から叩かれるからだ。日本人として生まれたことは囚人と同じと嘆いた人もいた。本当にそうだろうか。こういった思考が日本人を差別的とすると感じる。そもそも過去は過去と日本人すべてが認識するなら周辺国からあれこれ言われても気にならない。せいぜい、目と耳を塞ぎ、そちら方向と関わらなければいい。ビジネスなら、仮面をかぶって表面では揉みてして頭を下げても利益を得られればいい。誇りだとかでは飯は食えない。謝罪とか反省とかも、そこに何らかの利益を得るためにするものであり、どうでもいいのなら何もしない。人間性だとか、品格というのなら、相手が人間性もあり、品格もある場合のみに通用する理屈だと知って頂きたい。動物に謝罪しようが、通用しないのと同じ。心から謝罪という表現が間違いで、そんなものは一時的なもので、謝罪という行動によって得られる利益がなければ、誰もやらない。ならばどうして日本人は謝罪が好きなんだろうか。日本人社会は謝罪することでお互いの関係を円満に維持する。外国に対しても、謝罪することで相手からの苦情や文句への対応をしていると公に示している。文句をいう側が嘘だろうが、事実だろうが、そんなものは関係者以外にとってはどうでもよい。ならば、何が興味を引くのか。日本という国の行動によって、日本国の行動原理が何かを見極めたいだけだ。日本も正義という名の下で誰かに責任をすべて負わせ、その人だけを叩くことで、みな自らが正義と思えるのかもしれないからだ。自分はこういった行動こそ、姑息で醜いと感じる。誰かに責任を負わせたところで、また日本を導くリーダが謝れば戦争は勃発する。軍があるとか、軍が戦争に対応できるとかをどんなに法律で拘束したところで、そんなものは拘束とならない。誰かの依存したり、誰かを犠牲にして、それぞれはいったいどこに立っているのだろうか。

自虐することで日本国と日本国民が得られる利益と何だろうか。周辺国と円満に国交できると日本国および日本国民に利益があるのか。誇りと名誉を失っても、自虐した方が何かを得られるのか。敗戦の日になると毎回自問する。未だに答えはない。だが、一つ言えるのは、過去の謝罪とは反省は、相手が喜ぶのではなく、謝罪や反省する本人にとっての快楽でしかない、と自分は思ってる。過去は戻らないし、過去に失ったものは戻らない。
謝罪ぐらいでは人の心も救われないし、変わらない。だから「赦し」の宗教が支持される。復讐すれば何か偉得るのか。たぶん、達成感は得られるのだろうが、復讐という行動はポジティブではないため、こころのどこかに何か残る。これが赦しだと、赦した自分のこころはなんて広く大きいのかと、ある意味自己満足を得られる。
こうなると恨み、憎しみなどの感情がふっとぶ効果は確かにある。謝罪も同じで。いった本人の後ろめたい気持ちがふっとぶ。このループを日本政府は続けることをやめよう、と判断しただけだ。だが、天皇という憲法による国民の象徴は違う。世界の要人と会うたびに謝罪とも思える言葉を使う。原稿の執筆者かもしれないが、本人だって意思もあるのだから否定しないのなら同じ立場だと思える。

天皇が世界の王族と違うのは、自国の責任を負わないの天皇というだけだろうが、責任を取れないのだから立場を自覚してもらいたいものだ。天皇という存在は何のために維持しているのか。たぶん、こういった議論も今後は出てくると思う。皇族という身分が存在していること自体に違和感もある。ここにかかる税金はどれぐらいかと考えると、存続させるのは直系のみでいい。少なくても神官としての職すら果たしてないような子供や親族は存在している価値も意味もないと思うのだが。英国のように王位継承権があっても働いているのに、日本は働かせることもしない。海外から言われるのは、日本にニートが多いのは、皇位継承者が働かないでいるから真似しているとまで揶揄される。それこそ公務によってのインシデント制で生活予算をもらえる、という方法もあっていいだろう。国体うんぬんと支持する人たちに問いたいのは、他国の王族のように経済自立する努力を皇族がしない点をどう感じるのか。まあ、そろそろ身分制度に依存するシステムをやめて、直系以外は一般民として労働してもらう。女性や老人も働く時代なのだから、皇族というだけで働かないのは如何なものか。

過去に戦争で亡くなった外国人も自国民もすべての人へお詫びというのなら、それは日本人も世界も受け入れるだろう。戦争を起こした責任はトップだけではなく、支持した国民すべてが負う責任だからだ。戦前の日本だって選挙で政治家を選択している。唯一、選択してなかったのは天皇だ。だが、当時者はすでに亡くなっているのだから、詫びなどできるはずもない。その子孫が謝罪するというのは、これまた現代の価値観だと違和感がある。同じく首相もだ。詫びるのなら、戦争による被害者すべてに、戦争という解決先を選択した点とそれを止められなかった国民の代表してだろう。これをもって、これからも戦争を問題解決の手段として選ばないように努めると、言えばいい。攻撃されたら反撃するのた当然で、相手に「攻撃を停止して話し合え」は通じない。同盟国の攻撃は、自国への攻撃と同じと認識するかどうか。本来は国連軍なりが攻撃する前に武力圧力をかけて、攻撃しような国を抑える役目があるはずだが。これが機能しないから、同盟国で連帯を強める。天皇は自国と国民を外国からの武力攻撃より守る気があるかどうか。今年の敗戦日は、日本の未来へ進む道の分岐点になるかもしれない。



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感謝を込めて戦争で亡くなった人すべてに誓う

2015-08-09 06:10:11 | Weblog
今、こうやっているのは日本国を消滅させないために命をかけて守った人たちのおかげです。心より感謝と慰霊の気持ちをもって戦争を勃発しないための努力をどんな手段を使っても実現し続けます、と誓う。敗戦記念日は戦争に負けたことを反省する日。つまり負けるのがわかっていて戦争を仕掛けたというのは、窮鼠猫を噛む効果を期待したのかもしれないからだ。バカだ。こういった決断をした人たちとこれを止めきれなかった日本国民もみんな同じにバカだ。だからこそ、二度と負ける戦争はやらない。
圧倒的な力を持ってしても、反撃して勝利を収めた国もある。だが、そのために費やした人の命は重いし、勝っても経済的に得た利益もない。だが、自分たちの国を守ったおかげで、緩やかだが経済も成長し、安定しつつある。これがどこかわかるだろうか。
そうベトナムだ。戦争の被害による土地の汚染、銃弾の汚染はひどい。それでも人々は良い国にしようと頑張っている。昨今では中国からちょっかいかけられて、世論がみな反中国となってすごいそうだ。日本に対して、良いことばかりではない。報道されないが、日本は本当に信じて良い国か、とまで言われているようだ。つまり、日本国内で今、何が起きているのか、正しい報道が世界にされないため、こういった意見のままだ。これはメディアがいかに役に立たないかがよくわかる。幸い、日本にはボートピープルと話題になって難民として住んでいる人たちがいる。彼らの大半は帰化して日本人だ。ここがどこかの国とは違う。さすがに3世代になると日本語しかダメらしいが、一世たちは情報を発信しているらしい。フィリピンもだ。そういえば、大震災時にフィリピーナーと呼ばれる女性たちも大活躍した。決して、経済的に余裕がある分けじゃないのに衣服や食料やら集めて寄付してくれた。彼女たちに聞くと自分の子供のためにも、安保法制は賛成だそうだ。もちろん、日本軍が何をしたのか、彼女たちも知っているが、カトリック信者ならば「赦し」を知っているだけだ。ここが怪しいキリスト教だとキリストの愛とか赦しがないんだよね。

第二次世界大戦の敗戦の日が近いのだが、それでもトルコ人やオーストラリア人の中には第一次大戦のガリポリ戦に日本海軍がオーストラリア船の護衛をしたことなどを持って、慰霊の意という人もいる。もちろん、オーストラリアには爆撃して、民間人の被害も出ているし、捕虜虐待ということから反発する人もいる。だが、二度とお互いの間で戦争はしない、と願う人は多い。
南シナ海、東シナ海の出来事への懸念は共有している。たぶん、経済的にそろそろ中国から利益を得られないという判断もあると感じる。こういった現象はここだけではなく、米国、英国でも増えている。あれだけ中国は金を投じてイメージアップの洗脳をしたいのにだ。日本もかつては金を使ってイメージアップ作戦をしたが、さすがに 20年も効果は持たなかった。ならば、これからは金を投じた洗脳という手段ではなく、民間による絆を深める方が効果があるかもしれない。ここにも日本人で友好の絆のためにがんばっている人もいる。来週月曜には慰安婦像を設置するかどうか市議会で決まる。だが、オーストラリア人からすれば、関係ない国があれこれ揉めるのは迷惑、とはっきり言ってる。例え、国籍を取ったとしても、オーストラリアとは関係ない、と。日本人から抗議や意見がくるのも迷惑らしい。そりゃ、そうだ。日本の品格を維持するため政治的関与となれば、抗議しない方がいいのだ。売国奴と日本人から罵倒された。騒いで問題を大きくすればするほど、相手の思う壺と説明しても聞かないのは、相手国と同じ感性。さて、日本の名誉だとか騒ぐ人に言いたいのは、現在の慰安婦像はどうなっているのか。観光客がいっぱいきて、日本が酷い国だとなっている人の数が増えているのかい?否。あの説明だけじゃ状況がわからない。日本は昔は残虐で悪いというのはみな認識している。これも日本側からしか見ないから理解できないのだろう。どんなに正しいことを主張しても、それが正義となるkとはない。日本人として正しく認識されないと困るのか? 名誉? それで日本は国連の敵国条項から削除されるのか。つまり、過去の亡霊は決して消えない。未だにナチス、スターリンや毛沢東を賛美する人がいるのと同じ。刷り込まれた情報を上書きしても、感情はそうそう簡単には変わらない。ならばどうするのか。今まで通りで間違いはない。緩やかだけど日本に好意を持ってくれる国も増えた。過去を許し、こだわらないで民間交流、ビジネスを活性化しようという国も増えた。一つは国策として、過去の歴において、日本のポジティブ面を集めて後悔しつつ、ネガティブ面は個別に対応していけばいい。こういった実績を積み重ね、従来からの信頼をより深めればいいだけだ。戦後の日本が歩んだ道は間違いない。ちなみにどこの国だろうが、歴史問題で議論になると結果は、ほぼさ悪くなる。歴史を客観的な視点からのみで話せればいいが、これが政治的とかに関与すると感情抑制のたがが外れる。同じ国民同士だって、思想の違いで争う。歴史学者とかで議論する訳じゃないのに、馬鹿らしいじゃないか。日本人はまず歴史に対して、より客観的視点で見て語るということから学ばないといけないと思う。外国人に日本文化や価値観を理解しろってのは、どこかの国のごり押しと同じだ。ならば、日本の文化的習慣でやってはいけないこと、というような情報を官公庁はパンフレットを作って、外国からの観光客に配布する。ある意味、これやったら逮捕、裁判となるような情報も警察を含めて、どんどん宣伝する。神社仏閣は火災も含めて、事件が発生したら即通報するようなセキュリティにする。逮捕したら未成年であろうが、氏名、国籍をきちんと公開する。盗難品の持ち出しができないように海路の監視を強化するために、手段を選ばないで実行する。海保の手が足りないのなら、陸側で監視すればいい。同じく、神社仏閣での参拝以外による騒ぎ、抗議デモや集会は犯罪として対処する。宗教施設の周りで騒ぎが起こるのを認めると、後々大変なことになる。

日本国が培ってきた文化は、懐が深く、来るもの拒まず、去る者追わずというのがある。過去や現在、敵だとしても、相手が手を出し、有効を訴えたら、過去を水に流すことができる。これは赦すこととは違う。被害者、加害者という概念がない。嫌なこと、悪いことは忘れる、というのに近いかもしれない。ただし、信頼は別、疑われて当然のことをしているのだから、それを取り戻す努力をしないのならば、人も組織も国も、遠ざける。まさにこれが嫌悪。ある意味、もっともよい関係とも言える。なにせ、利益にならないのなら、友好などあり得ない関係だからだ。日本政府も日本国民の心を理解してくれればいいのだが。

靖国参拝を含めた一切の日本文的行事に対して、近隣諸国がコメントするならば内政干渉ときっぱり言って欲しいだけだ。
心の問題だけが絶対に譲れない。だから反戦運動を含む政治活動をするために外国人が来日するのなら入国拒否。許可申請も却下。神社仏閣、学校、公的施設の周囲は特定日には一切禁止。敗戦の日ぐらい静かにしようよ。
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日本国内は情報戦争の真っ最中

2015-08-08 04:57:00 | Weblog
芸能人やらセレブと呼ばれる人から有識者まで、安保法制反対と訴えるようになってきた。まさにこれこそ、情報戦という証拠。日本国民はこういった人の意見を聞く時に、「どうして反対なのか。安保法制がある、ない、とどう違うのか。」これを説明している人以外の声は単なる世間のノリ、ファッションというだけでしかない。ラップと似たようなものだ。売れるためには社会にとって刺激的な内容であればあるほど、興味を引くからだ。さすがに日本語で河原乞食と呼ばれた人たちだけのことはある。今ではこの言葉は差別語となっているのだが、これもおかしな話。過去を直視するためには、こういった当時の文化が河原乞食と読んだ理由をしらないといけないはずだ。つまり、芸人は自らの芸能をもって興行しても、その利益だけでは生きていけない。だからパトロンが必須。河原というのは京都の四条河原なので、歌舞伎役者を指していたそうだ。だが、能楽師、狂言師もこう呼ばれたのも事実。さて、一体誰がこういった名称をなずけたのか、考えてもらいたい。江戸時代には能と狂言は武士の式楽と呼ばれ、扱いは別だったらしいが。

レッテルを貼るためには、ある部分のみを極端に強調する。だから、その強調の理由を探るように質問していくと、レッテル貼るだけかどうかが判明する。特に反戦運動に関与する反政府運動の大半が、「日本はアジアを侵略し、残虐な行いでアジア人を殺した。」という大義によって支えられている。自分が最初に疑問を持ったのは、そこまで大量に殺していたなら、日本はどうして米国に負けたのか、だった。原爆が落とされた後、祖祖母は満州から引き揚げて数ヶ月そこで住んでいたが生きていた。つまり、生きる力の方がうんと強いということだ。残虐という点も、自分たちが食べている肉、魚にしても、生き物を殺して食べている。その殺し方がどうなのか、考えたことはなかった。オーストラリアにはRSPCA(オーストラリア動物虐待防止王立協会)って英国の英国王立動物虐待防止協会と同じように動物福祉を監視する団体がある。ここは鯵の活き造りのように魚が生きた状態で調理されることを魚への残虐行為と表明した団体だ。昨今ではイスラム教徒がハレルのために牛や羊を殺す手順が残虐と表明し、なんと牛や羊の輸出をやめさせた原因ともなった。

日本の捕鯨についても残虐という認識だ。日本人の多くは鯵の活き造りをみて、残酷だと感じるよりも「新鮮でおいしそう。」となるだろう。これこそ、文化や価値観いよる相違。クジラもだ。捕鯨反対の立場の自分からすれば、現在、ザトウクジラによる南半球と北半球によるそれぞれの種に言語の違いがあるとか、いろいろな研究から鯨という動物の生態がわかってきた。彼らは確かに言語によるコミュニケーションによって、グループを作る。この言語も住んでいる地域によって違うところまで判明している。この鯨が銛を打たれ、その声が海に響き渡り、遠くの同じ種に伝わっていると思えるような現象も確認されている。牛や羊でも仲間が殺される場合になんらかの反応があるとも言われているのだが、明確な証拠がないだけだ。こういった事実を知らせないで反対している動物保護団体がいかにおかしいのかよくわかる。自分は目の前で殺され、解体された肉を食べることには、今ではまったく抵抗がない。それはインデイアンの教師がいった「すべての生き物はお互いに存在する意味はあり、助け合う。人間が動物を殺して食べることも、生きている草を食べることも自分が生きるためだ。だから無駄がないように食べればいい。」と何度も説明してくれたおかげで拒食症が治ったようなものだ。自分が生まれたことですら、悪だと否定していた。だからそのまま食べないで死んでも後悔しない、と考えてもいた。
しかし、肉を調味料で焼いて、おまけにそれが醤油とか使われたら、たまらない。はちみつと果物で作ったパンとかもだ。こういった香り攻撃と教師の言葉だ。この世に生まれたすべてのモノは地球上では必要だから存在している、と。どんな神であろうが、これを否定するようなら、それは人間によって必要な神ではない、と。ある意味、洗脳だと思う。でも、今でもこの教師の言葉はまちがっているとは思えない。白人たちに虐殺された民族であり、それでも白人を恨まない、憎まない理由がこれだ。

長崎の被曝で忘れてはいけない偉人がいる。永井隆博士だ。日本の義務教育ではこの人のことを教えない。だが、彼をモデルとした小説やドラマは世界中にある。自己犠牲の実例だからだ。ちなみに彼は護憲派だ。愛があれば平和は実現できるのだから、戦争は放棄せよ、と言い続けて亡くなった。意見が違えども、永井博士の姿勢は日本人としては見習いたい。祖祖母はカトリックではない、ごく一般的な日本人でありながら、自らが被曝し、病で苦しんだ時に永井博士の手記で救われたので、彼の墓に参りたいといって自分に案内を頼んだ。そこに同行したのが我が喧嘩相手の米国人。当時の自分は長崎で何を食べようかとしか考えてなく、原爆の爪痕が残る天主堂、品々をみて、自分と友は夜の食事を取らなかった。翌朝、永井博士の住んでいた家に案内してくれるボランティアの人が来て、「ショックだとしても事実をしっかり胸に刻んでないと、同じ過ちを繰り返すからね。」と叱られた。誰が悪いとか犯人探しをしても、犯人はいつでも現れる。ならば、こういった犯人が何人も現れても、対抗できるだめの防衛をするのが当然、と自分と友の意見は一致していた。たぶん、ネガティブとかポジティブ思考という分類をするのなら、自分たちはポジティブなんだと思う。反面、日本が戦争さえしなければ、核攻撃に合わないと考えるのがネガティブ思考。つまり自分側を自虐することで、もし、失敗して死んでも自分が悪いから諦めるという思考。これが戦後の日本人の主流なんだと感じる。

日本国と日本人がアジアに謝罪したところで、今後のアジアの安全は変わらない。また、侵略を認めると、むしろ、どこかの国を救援する行為も、救援する国を攻撃している国からすれば武力攻撃を支援している、と見えれば、どうなるのか。侵略とか、戦争とか、必ず当事者間に勃発の原因がある。支援する日本が原因を認識し戦争に加担するだけの大義を維持できるのならば、支援した国以外から叩かれても筋は通せる。しかし、大義があいまいなら、日本も単なる侵略に手を貸すだけになる。こんなことは十二分に今の政治家は認識しているだろう。なにせ、日本は他国を信じて、騙されて、気づいたら生きるために自らが攻撃して道を開かざる得なかったのだからだ。満州事変に触れるのなら、ぜひ、通州事件にも触れてほしいものだ。中国との’関係を改善するためには、満州事変だけではなく通州事件を含めた数々の国民党、共産党との絡みも検証しないと難しい。何故なら南京虐殺と呼ばれる事件こそ、合同で調査する必要があるからだ。あそこには多くの日本人が眠ってもいる。歴史の直視とは片側だけが辛い、苦しいということはない。一歩的に力で制圧したのであれば、何故、日本は負けたのか、本土が負けても、満州で独立することだってできたはずだ。だが、関東軍はどうしたのか。自虐とか、どちらか片側に偏向した歴史的主張ばかりで、本当の出来事は覆い隠される。これでは双方の国民で亡くなった人が浮かばれない。

どの国も各国たる証拠を持って、事実を探る。もし、これが世界中でできるようになれば、たぶん、無駄な戦争はなくなるかも知れない。だが、戦争がすべて亡くなることはない。武力以外の経済戦争だって一般民は打撃を受けるし、場合のよっては影響によって死ぬ。今、地中海で何が起こっているのか。多くの人間が死んでいる。日本の若者は夏休みで暇なんだから、こういった人を救おうと声をあげないのかい。シリア難民も減ることはない。彼らに食と衣服、毛布などのために募金運動とかしないのかい。戦争には反対しても、戦争による難民を救おうとは考えないのはどうして何だろうか。バイトして、少しでも役立ててくださいと、ユニセフに寄付する学生がいる。だが、彼らこそ、日本人して世界にできる貢献を果たしている。別に戦争に行って戦うだけが貢献ではない。日本が攻撃されたら戦わないで黙って死ぬか、同じ死ぬなら抵抗するか、それだけの差だ。これを「お前こそ戦争に行け!」と口にする人は戦争をなめているし、戦争を恐れているのだろう。たぶん、アタマが硬いお年寄りかもしれない。若者なら、もっと視点を変えて、戦争を起こさないための手段をどうするのか、と発想するし、戦争で戦う支援はできないけど、自分ができることとして、何ができるのか探して、それを実行する。決して、自慢はしない。

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この夏はどんな映画よりも参議院審議が熱くて面白い

2015-08-07 04:51:55 | Weblog
映画なんかよりも冷たい飲み物とチップス(ここではジャガイモの千切りを上げた食物)片手に参議院テレビを見ているのが楽しみだ。なにせ、コメディーを見るごとく笑いと涙と怒りが味わえる。久々の感動巨編。だが、質問を受ける側には自分は成りたくはない。どんなに理性を酷使しても、確実に罵倒し、かつての誰かのように机を叩いて退出すると確実に予想できるからだ。漢字が読めないでクイズとか、実行した政党だけのことはある。少々まともかも期待した共産党ですら、質問が劣化していて、少しも共感できる部分がない。答える方も何を答えていいのか、迷って当然だ。言論の自由もなく、お上は宮の奥にいる国の友人は「こんなこと誰もが観れるのは危険じゃないのか。」と驚いていた。思わず、確かにいいのか、と自分が思う点もある。それでも公開する意味はあるらしい。一つにはこれも情報戦。

反対する側の質問を聞いていると、なかなか苦しい。確かな野党は「尖閣諸島は自国領とはじめから言ってきたのはわが党。」なんて言っている。しかし、自民党議員がいった話をひっぱりだし、それに対抗する意見も引っ張り出し、どこか危険か、と難癖つけるだけだ。だからそういった準備をしているといっているのだから、それに備えるべく対策を準備するのが当然という常識は、この人たちには通じない。こういった人が民間に勤めたら「使えない。」と言われる人材になる。なにせ、一歩先が想定できない、想定しないで働いているのだから、トラブルが起きても当然だし、とにかく言われたことだけやればいい、という若者たちを批判なんてできるはずもない。支援している若者グループが短絡的な薄っぺらいのも、こういった指導すべく大人がダメだからなんだろう。議論といえば、どこかの政党からは中国と日本の攻撃機の数を持って、これで日本は本当に反撃できるのか、というのもあった。本来はこういった議論があって、予算は多いか少ないのか。準備すべく武器はこれでいいのか。安保による効果や抑止はどこまで有効か、という議論になる。

自分は帰化して国会議員となり、出身国との架け橋になる、というのは非難される理由にはならないと思う。それが敵国だとしてもだ。問題は、本当に架け橋になるべく行動をしているのかどうか。日韓関係が冷えているのなら、そこに突破できる要因があるのかを探るのが先だ。共通の敵として北朝鮮があるのなら、それを共に認識し、協力できるのか。できないのはどうしてか、と出身国なのだからもっと突っ込んで調べることもできるはずだ。何故、出身国の大統領と会談しにいかにのか、不思議でならない。日本にも韓国にもプラスになる要因があるのであれば、それを進めればいい。もし、プラスにならない要因がまったくないのなら、探せばいい。こういった活動はどこの国でもある。ただし、立ち位置は自分の国籍がある国というのが明確にならないければ、支持される国民もいないはずだ。もう少し、自身を持って、共通の敵への対応とかをどう日本政府は考えて、韓国とどう対応するのか、と質問するのが筋だと思うのだが。

ところで、どの審議を聞いていても中国とか北朝鮮しか出てこない。ロシア、ISというのは関係ないのか。誰一人質問しない。聞き逃したのだろうか。もし、中国だけなら日本国内でまずはコンセンサスを固め、台湾、フィリピン、ベイトナム、マレーシア、インドネシアと戦争が起こらないための圧力を周囲からかけていくしかない。もちろん、米国や欧州もだ。だが、欧州はウクライナとロシア、アフリカからの大量にくる難民、ギリシャ発の経済問題と山積みなので難しい。資源はアジアや中東なのでやはり海路に拘るだけか。もし、米国の安保と集団的自衛権となれば、ウクライナでロシアとウクライナが戦争となれば、米国と共に支援するのか、というのがある。ISも同じ。こういった質問は出てこないのはどうしてなんだろう。

日本の国会にあるなんとか委員会って、いかにも専門のような会だが、どうも会員はまともにリサーチすらしてないで質問しているように見える。一体誰が質問を作るんだろうか、と疑問がますます膨らんだ。そういえば、中国はわざわざ小さい島で戦争を勃発することはない、と言っている政治家、有識者がいた。さて、竹島はどうか。誰も韓国が竹島を奪い返しにくるなんて想像すらしてなかっただろう。尖閣諸島も同じということらしい。
そもそも日本に返還されて、日本がさっさと灯台なりを作らなかったのが問題らしい。前政権時代に、東京都が購入すると言って寄付を集めた。だが、日本政府が購入した。もちろん、中国からは非難轟々。当時の自分も東京都よりは政府購入に賛成してる。今でもだ。東京都下として管理した方がいいとなると、台湾を含む漁業権などの話が面倒になるからだ。台湾も政権が変わればどうなるかはわからない。もし、中国統一という方向になれば、日本は台湾からの亡命者を受け入れるのかと尋ねない。日本は台湾を見ていて、何も感じないのだろうか。
自分たちが生まれ、育ち、歴史もあり、多民族という地域で、国としての独立でさえ、認められてない。日本も認めてない。おまけに国交としても中国との国交回復のために台湾との国交を捨てたのが日本だ。中国との関係をどうするのか。修復するために、また台湾を犠牲にするのだろうか。もし、そうなれば日本はアジアからの信頼を一気失う。

戦争反対と現政府倒閣だけを掲げた若者集団は、今後はどうするのか。いつまでも反戦と倒閣運動となると、反政府運動の組織とみられて当然となる。そういえば、デモに参加したぐらいで就職できないのは問題と法相が認めたと騒いでいた。しかし、企業からすれば企業内の労働者の安全という点から拒否できる。企業によっては宗教、ネットワークビジネス勧誘を一切禁止しているところも多い。政治活動も同じだ。組合も参加する人が減って、なくなっている企業も多い。会費は取るだけで退職勧告すら交渉できないような組合は要らないんだよね。
労働改善という運動だって、組合はやらない。賃金が上がらないのは、日本の組合がダメだからと自信を持って言えるのは、経営者と交渉できる人材がいないからだ。海外の組合にあたるユニオンは交渉のプロと呼ばれる弁護士がたくさんいる。それこそ末端社員の解雇問題ですらしっかりやってくれる。ただし、金も取られる。そして、こういった人たちは政治活動とかあまり表面だってやらない。たぶん、法律関係者はみなそうだ。人権問題ですらだ。個人の意見はあるそうだが、問題は個人の意見を全面に出すと、実際の交渉で邪魔になることも多いそうだ。日本ぐらい弁護士会とかが政治的関与するぐらな国はないようだ。だって、普通は選挙時に支持する政党や議員がいるから、そちらに意見を毎回伝えるそうだ。

どうか野党からまともな国際政治的見地から質問できる人が出てきてくれることを祈りたい。なにせ問題はかなり重く、大きい。少なくても日本国民であり自衛隊のためになるような法的整備を訴えてくれる人がいないと、何のために命がけで彼らは働いているのか。人は感謝と褒められたことを動機に自分が誰で何なのかを認識できるそうだ。警察、消防と自衛隊に感謝する日というがあってもいいと思うが、作らないのだろうか。表彰とかも権威だけではなく、実際の関係した国民たちから感謝の言葉をもらえることが一番重要だと思う。これでお互いの信頼が結ばれる。対象には米軍や他国の人であっても日本が世話になったのなら、やはり感謝の言葉や意を国民自らが表すようなイベントがもっと増えてほしい。夏の記念日はどうも暗いものばかりで、うっとうしくなる。

そういえば、国会議員で自分の意見を公表したために粘着された人もいた。だが、これを政党はしかるのはどうかと思う。意見は自由。法律を通すことが最優先なのもわかる。それでも、個人の意見まで封印してはいけない。少なくてもこの議員は、自分の意見は撤回しないと明言しているし、それは評価するのは次回選挙での投票だ。勉強会での責任者も処分された。組織としては当然だとしても、意見による混乱の原因はクレーマーだとすれば、そういった輩をどう払って対応するのか、そういった教育をすべての議員、党員にやるのが先だと思う。もう一つは守秘義務。この二つだけでも周知徹底すれば、かなり印象は良くなる。野党は圧力で意見を封印する。しかし、自主的に守秘義務が必要と認めて、自ら意見を管理する、となれば当然ならが印象は変わる。ま、世界では、意見は述べても議論はしないのが世界の政治家だと思う。SNSは別名ばカッターと呼ばれるぐらいに危険なので、議論するなどもってのほか。自分の意見と違えば、当然ながら議論となるし、議論がかみ合わなければ、ますます炎上して外部から参入も増えてくる。こうなるともう手に負えない。議論で絶対的に勝つ方法は沈黙、といった人がいた。まさにそうだ。

沈黙は金か。












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戦争反対でも核兵器は反対じゃない反戦運動の矛盾

2015-08-06 06:24:56 | Weblog
そもそも戦争とは何か。武力だけではなく経済戦争だとか、激しく被害が出るような状況の争いを戦争という表現でつかう。いまどき、戦争反対ってのはどこの国だって「地球上から戦争はなくならない。」と言われるだけだ。
人類の歴史の大半は戦争。アニメとかSFも地球では戦争がなくなって平和になっても、宇宙のどこかと戦争する。つまり、人間は戦争がなければ存続できない、と誰かが言った通りなのだ。これは種の保存となれば当然だ。

政治家と戦争反対を掲げる若者のSNSを読んで「日本の未来は大丈夫なのか。」と不安になった中高年は多い。それぐらに彼らには物事を考える力がないのだ。だかから単純なYES/NOという視点からした議論ができない。これじゃ交渉ができる訳ないい。だって、真っ向からすべて反対なのだから。こういった世代が増えたら、確実に意見によってまっぷたつに世論は別れる。実はこの現象は日本だけではない。外国の若者たちの議論をSNSで見ていると賛成か、反対かに分かれて議論はするのだが、多々噛み合わないままだ。だから我慢できないで暴言を吐くとかも多い。これが現実にF2Fで酒など入っていれば、当然、暴力を使って自分を主張する可能性は高い。実際に日本では意見の対立するグループがデモをしていて、暴力的衝突となる。例えば、正論と言われるような意見を持とうが、暴力を使ったり、暴言を吐くとなれば、誰も耳を貸さないし、支持もしない。はっきりいって、目くそ鼻くそとはこういった集団を指すのだ。

世界は性善説による人道的見地を尊重してきたが、それが結果から失敗と判断している。難民保護などがいい例だ。本来、救済しなければいけない児童や病人、老人という逃げられない人を放置し、金を持ち、船に乗って逃げているような人を先に難民審査するということへの抗議が一切ない。できるはずがないのだ。なにせ彼らはまだ戦地で逃げているのでせいいっぱいだからだ。国連の難民救済なんてこんなものだ。高等弁務官もはじめはやる気が十分なのだが、一年もたたずに官僚となる。理由は簡単で、出世するためには上司に従うしかないからだそうだ。組織の場合、上司が聞き入れないとなると、どうにもできない。まさに宮使え。これに我慢できない人は飛び出すのだが、一人になっても、個人組織を立ち上げても、やはり公的機関並みの力もないし、運営するだけの資金も集まらない。自分の友人や知人も弁務官をやめて、一般弁護士に転職した人が複数人いる。みな同じように国連は無能という。また、メディアにしても報道はするが、それによって本来救済しなければいけない児童や病人を先に救済というような意見は出て来ない。もし、そうなると一体誰が戦地にいって、こういった人を救済するのか、なるからだ。そんなものどこの国もNOという。日本だって、受けるとは思わない。もし、日本はそういった活動をするとすれば、他国の軍隊を同じ行動権限を持たないと無理だからだ。日本が活動する間、他国の兵士は防衛するのだが、もし、攻め込まれたらとてもじゃないが対抗するだけの勢力として十分といえないのが国連軍らしい。そもそも国連の安全保障理事会なんて、理事が拒否権を発動すれば、国連軍が出動することもできない。

本当に人間の命が何よりも大切なら、船で不法入国をする難民たちに国連はやめるように訴えるのが先だろう。
それこそ難民を運ぶ船の場合、海に出て行かないようにNATO 軍なりが阻止するのが当然だ。欧州は綺麗事で人を殺しているだけで、自分たちが避難されることを覚悟してでも人命を救おうとは考えてない。これは国連も同じ。英国は仏英トンネルからの難民流出についても、強硬な態度をとってはいるが、まだまだ甘い。それこそ避難される覚悟を持って対応していかないと、やがては国連人権なんとか、難民なんとかに受け入れろと言われると思う。受け入れを要求するのであれば、なぜ、同じアフリカ諸国側が受け入れないのか。アジアはアジア諸国、とすることで言語や習慣がさほど違わないのでまだいいと思うのだが。民族による対立というが、そもそもそんな対立をしたいのなら、さっさと自分の国に戻って対立戦争をやればいい。他国を巻き込むな。これは朝鮮半島にも言える。日本は自国民の保護のみ優先すればいい。もし、同盟国の国民も合わせて保護となれば、これは当然、受け入れないといけない。まさか、こういった人道的救済すら反対というのなら、み殺しにしろ、とはっきり言えばいいだけだ。そうすれば、みな国にみ殺しにされたくないので、帰国するか、覚悟を決めてその地で眠るか決断すればいいだけだ。ただし、これをやった国は世界から信頼も失う、なぜ、北朝鮮による拉致事件について、世界は冷たいのか考えて頂きたい。日本は独立国でありながら、自国民の奪還を決断しなかったからだ。ある意味、綺麗事だけではなく、それこそ朝鮮半島からの民を人質に交渉してもよかったはずだ。なにせ国民をみ殺しにしても戦争はしない、という法律があるからだ。だから後に憲法改正を試みても、米国だけではなく、国連にある敵国条項から日本国という名前は外れてないので、できないのだ。敗戦による罰は重い。

日本が犯した大きな間違いは、負ける戦争をはじめたことだ。そもそも戦争に正義などない。テロリストのように国際法も無視してひたすら攻撃し、拉致して殺す。これは戦争と呼ぶにはあまりに一方的だと誰かが表現していた。だが、世界を相手に自分たちの国を作り、独立を目指すためには手段を選ばない。こういったテロリストは多いが、成功したことはない。ゆいいつ、社会主義だとか共産主義の御本尊たちの国ぐらいだろう。だが、その国も崩壊し、民主主義になっている。中国もゆるやかな変化で民主化せざる得なくなる。もし、民主化をさせないのなら、国民を海外に送り出すなどやらないだろう。国民を世界に送り出し、どんどん増やし、その国をチベット、ウルグアイのように乗っ取る。だが、国だとか共産党へそこまで忠誠心がある中国人にはめったにお目にかかれないことから、こういった理論についても怪しいと自分は感じている。定期的に訓練をしない人間が、ある日突然、兵士となって敵国人を殺せと命令されて、実行できるのだろうか。否。実行したら自分が殺されると考えてないだろうか。日本は武器がないので、まさにみじかな武器での戦いになるのだろう。それで殺したとして、警察や機動隊が出動したらどうなるのか。殺されないと思うのか。たぶん、今は殺される。催涙ガスとかもあるが、もし、爆弾などを持っているとすれば迷わず殺される。その点は過去のいくつもテロ組織による事件があったから学んでいるとは思う。人質になるのはまずは仲間からなので、平和ボケの若者などはいい人質になるだろう。あれだけ暴言履いて、世間をなめているのだから、助けは期待しないで頑張って欲しいものだ。

アジアを含めて世界はきな臭くなりつつある。中国はどうするのか。たぶん、米国の要求通りに基地となる施設を放棄することはないだろう。そんなことをすれば、国内で暴動やら反乱やら共産党幹部が危険になるからだ。
だが、もし武力衝突が勃発すれば、共産党幹部の資産はほとんどが凍結される。先に親族や家族を逃した海外でも、監視され、状況によっては資産没収もあり得る。逃げ切るためには自国を裏切り、情報を提供して亡命を懇願するしかない。実際にオーストラリアで、中国大使館の大使だったか、職員だかが亡命申請して亡命した。彼が暴露したのが有名な「ここにスパイは1000人以上いる。」という情報だ。しかし、ここの国は騒ぐこともなく平和だった。何故ならスパイがいたところで盗む情報となると、防衛関係ぐらいで、ほかはない。この国はFive Eyeの一員だ。ASIOという組織がよくニュースでも出てくるぐらいにあれこれ調査しているのをみんな知っている。特にIS関連ではASIOがしっかり調査するから事前にテロ計画をさっちし、犯人を捕まえられるのだ。
でも、アジア系への風当たりは強い。今までは黄色い肌だったのが、中東系の白い肌、褐色の肌と増えてきて、暴言もAsianとひとくくりになった。まさに文化が進化した証拠とも言える。しかし、日本で中指立てる行為がどういった意味なのか、わかってやっていて、誰からも攻撃さないのが不思議だ。まさに平和な日本で挑発して、武力衝突でも起こそうとしているのかもしれない。だから対立するグループが衝突して毎回逮捕者が出る。そもそもそんな暴力的な組織のデモや集会に許可を出す警察も警察なんだが。競技場でも貸し切って、対立するグループいれて、勝手に殴り合いでもさせておけばよい。出入り口は閉鎖。なんだったらカメラをいれて、みんなで誰が残るのかベットしてもいい。彼らのどちらも日本社会にとっては不要だからだ。人道的見地からしても、こういった暴力でしか解決できないような大人の集団を子供に見せることこそ、いけないと自分は感じる。
なんか、中国の抗議デモや集会にしても政府が管理していると言われているせいか、株価暴落で一切の動きがないようだ。あるとしても国外にこういった情報が出てこないのかもしれないが。

SNSで日本で戦争がはじまったら、即海外に逃げるという人が結構いた。家族がいる人もいた。日本国民の愛国心も中国人の愛国心も似たようなものだと中国人の友は笑ってた。確かにその通り。これはゆとり世代の親たちが責任を担えばよくて、関係な世代はさっさと逃げてよい。国を守るために命をかけられる全体は、国が国民の生命と財産を守るという信頼関係があってこそだ。中国も日本も米国も同じで分岐点にいる。国とは何か。国民とは何か。その間の信頼とは何か。問われている。戦争をはじめると決断するのはトップだ。もし、軍が国のトップを指示に従わない場合、かつての日本と同じで軍の暴走として、国のトップは極刑は免れない。そりゃ管理責任は問われて当然。だから海外に逃亡しても安全とは言い難い。たぶん、中国が問題なのは老人たちの野望と夢に中国の若者が振り回されている、そうだ。あれだけの国土を持ち、自然も豊なのに活かしきれてない。歴史も古く、数々の文化を生み出してきたのに、その成果を文革といってすべて崩壊された。まるでISだ。幸いにいくつかの文化財は台湾にある。これが故宮博物院だ。

台湾の高校生たちがどうして歴史改変への抵抗をしているのか、ほとんどの日本の高校生は知らないようだ。
歴史は良いも悪いもどちらも知って知識になる。しかし、記載する人が確固たる証拠に基づいてなければ記述は捏造、嘘となる。ならば、事実は自ら調べてばいいのだが、問題は進学時の試験だ。日本なら歴史なんて項目は入学試験科目から排除すればよい。たぶん、国語とかも論文書かせればいいだけだし、英語も同じ。単に教師が怠惰なだけだ。記述式試験にすれば、採点する人が大変という発想がおかしい。人にはそれぞれ得意不得意がある。だが、自らが目指す専門となれば別だ。理系に歴史が必須か、となれば関係する歴史は必要だが、それ以外は不要。政治、宗教とか必要かと問われれば同じ。そんなもの知らないでも、社会に出れば嫌でも学ぶことになる。特に宗教については、海外赴任となればその国の宗教を知らないと生命の危機に瀕することになる。実際にイスラム国でのビジネスで、家族同伴の交流とかで、よくあるのが現地で子供の頭を撫でて、トラブルになるのが多い。仏教国も同じで頭は触れてもいけない。反面、国よっては挨拶でハグするのが当然というのもある。
ここで相手を知ろう、学ぼうという気持ちがあれば、相手は教えてくれるし、日本を知りたいといってもくれる。役に立たない知識より、リサーチスキルとオープンハートなコミュニケーションスキルの救育が優先だろう。世界は狭くなっているとは言え、アジアや中東では現地語ができないとほとんど仕事はできない。特にジャーナリストはスパイに見られるそうだ。そりゃ、現地語がわからないで通訳連れるとしても、この通訳が偽物というが多いらしい。アフリカや南米も同じで、現地をしないでいると、本当に生命の危機に会うことが多々あるそうだ。英語圏だって生命の危機はよくあるのだから、言葉を知らないならなおさら、危険は倍増するだろう。

核兵器廃絶を訴えるデモがどうしてないのか。戦争反対と核兵器廃絶は同じではない。戦争を回避しても、今、日本は中国の核ミサイルの標準先となっている。北朝鮮も同じ。なにかの手違いで発射されたらどうするのか。
着弾までの数十分、テレビで速報が出ても逃げる場所もないまま、死ぬのかもしれないね。訴えるのなら、きちんとフォーカスしてピンポイントで「核兵器廃絶」と漢字で中国に訴えないと伝わらない。

中国の若者に言いたい。お互いに戦争で死ぬなんて嫌だ。まだまだ楽しいことはたくさんある。文化が違っても音楽、踊り、ゲームや恋愛と共通話題は豊富にある。実は言語がともに共通してなくても、この恋愛というが異性に関しての話題は共通点が多い。ポルノに国境がないのと同じで恋愛にも国境はない。悩みや苦しみも共通点は多い。反発するような話題の数よりも共通する話題の方が多い。これは朝鮮半島も同じだし、他国も同じ。だって、同じ人間なんだもの。民主主義として国民が政治へ注文をつけるのもいい。だが、それだけで楽しい、苦しい、苦い、酸っぱい青春を終わったら損すると自分は考えている。だからノンポリ。選挙の時には政策でどうするか判断するだけだ。楽しいことをやらないで、政治運動なんて自分からすれば青春をそれで過ごしてもいいのか、質問したい。その前にかつての学生運動に参加した人たちの手記を読んだ方がいい。はっきりいって、自分は「自分から青春を捨てて、それを若者に押し付けるお年寄りたち。」としか感じない。愛がある老人たちは、若者にもっと平和を謳歌して、青春を味わって欲しい、と思うだろう。ならば、戦争反対なんて空想を願うことなど、意味がない。戦争回避のための策を手段を選ばないで実行しろ、と政府に要求するのが筋だ。

米国大統領のイラン核開発への態度には失望した。どの国も核兵器を持たない。これを実現するための努力をせずに、世界から核兵器を廃絶なんてできない。小国がまず先に核兵器を廃絶し、兵器を無効化する手段については経済的支援を世界規模でやる。大国は交渉を継続するしかない。さて、この濃縮された核をどう処分するのか。爆弾ではなく、この濃縮されたエネルギー源をなんとか活用できないのかな。原子炉にしても、熱からエネルギー変換へできるようになり、かつ安全性を確保できる率が高くなれば、実用度も上がる。この理想を目指して、多くの原子物理学者が研究をしてきた。核を捨てたら人類の未来は決して明るならない。

ホーキング博士を含む新しいプロジェクトで異星人探しが始まる。すでに地球型惑星は見つかっている。あとは異星人とのコンタクトだ。地球は大きな太陽風が吹き荒れれば、人類を含めたすべての生き物が絶滅する。この時期や確率は誰にもわからない。地球外での宇宙基地みたいな構想もあるが、問題はエネルギーだ。これを実現するにも核に変わる高エネルギー、源が出てこない限り、核にこだわるしかない。こういった話をSFやアニメと笑っている人はロボカップによる進化、ドローンの進化を知らないだけだ。同じく地球上に起こっている数々の現象ですら予測もできない。さすがに宇宙人が攻めてくるというのはほぼゼロだろうが、地球上へのなんらかの地球規模災害については、誰も予測できないし、回避もできないのは事実だ。

核を兵器として利用しない。だが、原子炉としても利用しない。そして、核のゴミは増えるだけで捨てるためにあれこれ苦労する。それのやがて災害とかで核のゴミが地上で反応すればそれで終わるのだ。日本の自然、文化を今、自分たちは味わえる。これは過去の日本人たちが継続するために努力した結果だ。そこには他国に占領され、文化を崩壊させられることもなかった。戦争で戦う人を卑下する人に問いたいのは、あなたたちが利用している日本のすべては過去の戦争で敗戦しても守った人がいたおかげだと知って欲しい。日本は敗戦で分割統治と言われていたのも事実。それを回避して今に至るには多くの人が努力した。日本人だけではない。朝鮮半島も日本が憎いというが、台湾とともに同じ日本として戦争で戦った。そして犠牲もお互いに出した。敗戦時にはいっしょに泣いた人も多いと聞く。過去に拘って、今を見ないでいいのだろうか。未来を信じないでいいのだろうか。どうか老人たちの戯言に惑わされることなく、自ら調べて、未来はどうしたら自分もみんなも楽しく生活できるのか考えて欲しい。ともに違いを認め、共通点を模索することこそ、未来を明るく楽しくする唯一の鍵だから。まずは核兵器廃絶から実現しよう。

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報道とは情報戦争の道具に成り下がったのか

2015-08-05 04:34:34 | Weblog
朝日新聞記者による捏造SNSを英語とフランス語にて拡散。ところで発信者は本当に物書きを生業としているのか、という疑問がある。つまり、写真とキャプション程度の説明なので「だから何?コラボ?」としか外国人には理解されない。そもそも日本の首相の名前を知っている朝鮮半島とは違い、他国では日本の首相名など知られてない。残念ながら米国ですら日本の首相の名前が浸透してないのだ。それぐらいに在任期間が短い。あと戦犯と近隣諸国が修飾する東条英機氏でさえ知られてない。東京裁判とかもだ。なにせ真珠湾攻撃ですら当地ハワイで知っている世代が減っているらしい。アジアからの移民も増えて、真珠湾攻撃の捏造話も増えてきていると聞いている。だが、日系移民の老人たちは日系であっても日本人ではないので、強い。なにせ有名第442連隊戦闘団員が多いところだ。何よりも嘘と不義理が大嫌いな日本人気質をなめてもらっては困るそうだ。だからShow the flagとして2世部隊が命をかけて日系移民の地位を勝ち取った。これも戦いだ。

それにしても朝日新聞という会社は、捏造した結果の記事まで配信して売り上げをあげたいのだろうか。ならば、取材をして、事実が何なのか、それがどうしてこうなった、という従来の手順を踏めばいいだけなのだが。短絡的にその辺から写真をもらって、自分が思いついたキャプションをつけるだけなら、自分だってできるし、今ならたくさんの人が同じようにSNSで配信している。だが、一つだけ違うのは、情報操作としての政治的目的ではなく、自らを知ってほしいというコミュニケーションとしての発信という点だ。そこにはそれぞれの人生がある。泣いたり、笑ったり、怒ったりだ。こいういった感情へ顔をしらないSNSという社会を通した人同しが、慰めたり、説教したり、アドバイスしたりときちんとコミュニケーションを確立している。匿名だとしてももだ。まして、実名で、物書きを生業としていながら、取材すらせず、あり合わせの寄せ集めで捏造という点に無償に怒りを感じる。かつての珊瑚礁落書き、古くは慰安婦捏造記事と何度も同じことを繰り返している。だが、一度も損害賠償すら訴訟されてない。これが何よりもおかしいのだ。放送は椿事件がある。BPOという機関があってもほとんど機能してないのだから、ここも改善しないのなら、税金での支援はゼロとする。代わりに訴訟をしやすくしよう。ヘイトスピーチというのなら、まっさきに報道機関が捏造記事を配信したら対象となる。何故なら、慰安婦問題など、それこそ何十年と日本国に濡れ衣をきせ、そこから生じた損害は膨大だからだ。社長を変えても、内部的、組織的改善がないから幾度も同じことを繰り返す。本来、こういった報道会社への問題は、広告会社が公序良俗を持って対応すればいいのだが、昨今の広告会社ですら問題が多い。

オリンピックのエンブレムにしても、例え、模倣してないとしても、類似しているのは確実だ。事前に調査といいうが、本当に調査したのだろうか、と疑問がある。何故なら画像検索はどんなインターネットのサーチエンジンでも可能だからだ。試しにやってみるといい。類似の画像や情報が出てくる。報道会社はこういった問題こそ、取材し、記事で事実はどうかを発信するのが役割だ。それを特定団体や思想組織の宣伝機関となって記事を配信する姿勢がおかしい。経済団体もそろそろ広告を出すために選択するメディア媒体の基準を決め、それに反する場合は訴訟するようにして頂きたい。こういった規制をしないと、とんでもない広告ができあがって企業側にとっても痛手になる。経済団体は考えて、よくよく考えて頂きたい。また、広告という産業が実は独占的な企業のみとなっている現状も改善したい。世の中にはまじめによい製品やサービスを伝えないという企業も多いし、できるだけ多くのひとにその思いを伝えないグラフィクデザイナーも多い。だが、広告会社が望まない方向だと陽の目をみない。これは出版社も同じ。出版はアマゾンが自費出版を広めている、自分で書いて、アマゾンで売れる。広告もこういった既得権益にしばられない産業構造に変革しないものだ。同時に報道会社についても改善していくためにもなる。まずは自国企業であれば、国を戒めるような内容、誤解を生むような内容は避けるようにすればよい。

日本ではミャンマーの洪水、ジンバブエのライオンのシエル(Ciel)殺害はあまり報道しない。ミャンマーの洪水はまだまら被害は拡大している。中国は救援しに行かないのか。アジアの周辺国はロヒンギャ問題があって助けないのか。これこそ報道会社は取材して事実を報道する価値は十分にあるはずだ。コストがかかるから現地に記者が行くこともないのだろう。記事を買う時に、その記事への信頼性、つまりサービスへの品質すら気にしないような報道会社の情報など、金を払って買う価値はゼロだ。もう一つはシエル(フランス語で天国の意味)という名前で高年齢のライオンがわずかなお金でハンティングの対象として殺された。殺したのは米国の歯医者。兄弟のジェリコ(Jericho 聖書に出てくる古い町の名)も殺された。この名前からもわかるように、現地人にとってはとても大切なライオンだった。確かにそういったライオンを保護しないで、間違えて殺されるような管理が悪いとは思う。また、百数米ドルでハンティングできるのも問題だろう。これはかなり前から騒がれている。それでも廃止とならないのは、現地にとっても収入源となっていることもある。自然保護や動物保護団体が狂信的に行動しないのはそういった背景がある。あと、スポンサーが望まない、と自分は予想している。動物の首や毛皮、牙を集めることに価値を見出す国の人たち、組織や団体、企業がスポンサーではないだろうか。さて、こういった取材も報道機関はやらないようね。それでも米国の航空会社はハンティングした動物を運ぶことを拒否と発表したここに企業コンプライアンスが見えてくる。日本の企業もコンプライアンスがあるのだから、広告に対して、もう少し真剣に考えて頂きたいものだ。企業が提供する製品やサービスを消費者が選択する時に、何を基準として購買するのかも考えて判断願いしたい。

日本政府は国内治安の維持として、情報操作による社会不安となるような扇動という定義を決めて頂きたい。その上で、ヘイトスピーチも同時に審議して頂きたい。そもそもヘイトスピーチと呼ばれるものは、本当の人種差別ではない。見た目の違いによる表現は古来からあった。問題はそれを受けた側がどう傷つくかだ。これはある意味、法律というよりは社会におけるコミュニケーションの問題と言える。道徳とか礼儀を教育しろ、いうのはまさにこういった問題を解決する手段となるからだ。相手への思いやりや配慮という日本独自の価値観による道徳教育だ。自分たちの世代は相手が嫌だということは、やってはいけない。自分だってやられたら嫌だから、と教えられる。これは小会話でも同じ。日本独自の文化と表現した理由は、日本には敬語という表現ルールがある。これがなかなか簡単ではない。自分ですら謙譲語と敬語を間違えて、日本語教師に「日本人じゃないでしょ。」と言われる。よく敬語は上位者との会話ルールなので、身分差別という人がいる。初対面で身分もわからないような人と会話するのに、「ちょっと、教えてくんない?」というような聞き方を自分が受けたら無視する。相手に尋ねるというのは、相手の時間を自分のために使うということだ。尋ねられた側からすれば「忙しいのに何?」という感じだとすれば、無視もする。英語圏で最近 Respect(敬意を払う)という言葉がよく使われる。
さて、ヘイトなんとかと騒ぎ出した原因は一体何だったのか。自分は一般民にとってはこのヘイトスピーチとはまさに報道機関とか、政治的、思想的団体が集団でデモや抗議するような状況と連想するだけだ。個人的にわざわざ自分の違う人を見つけて、デブ、チビとか言わない。まれに、年寄りや年配者のことをジジイ、ババアと若者は表してはいるが。親に対してだって、差別的表現となれば、訴訟の対象となる。また、ヘイトの対象が人間以外だってあり得る。人種差別うんぬんと騒いでいる人たちは、本当の差別を体験したことがないのだろう。
もし、知っているのなら、あのような耳を塞ぎたくなるような言葉を使って集団で大声を出すとか、文字を見せるなどできない。人の痛みがわかるからだ。誰もが嫌な思いをしないような社会を目指すのならば、自分ができることからやればいいと、自分は実行している。それは挨拶と笑顔だ。嫌なことを断る時も、きちんと理油を説明して断る。状況によっては嘘の理由もありえるのは、相手に事実を言えば、相手が傷つく場合だ。

台湾では高校生たちがまだがんばっているようだ。日本の高校生も何故彼らが抗議しているのか、調べてみるといい。自分のアイデンティティーがどれだけ大切なのか。それを獲得するために抗議しているという行動がどれだけ重要なのか。ここにイデオロギーはない。あるのは人間としての尊厳だけだ。

戦争反対を叫んでも、核兵器反対とは叫ばないのはどうしてなのか。自分は日本が核兵器を保持することには反対の立場だ。理由は地震やら天災が多い国では、原子炉の炉のように頑丈にミサイルを作らないと危険だからだ。たかがミサイルにそこまで金をかけるのなら、避難シェルタを作った方がほかの災害にも役立つのでいいと考えている。まあ、核ミサイルも一発ぐらいでは日本は崩壊しないだろうし、複数発となれば近隣諸国も放射能汚染に見舞われるので、ミサイルを撃たない国から相当な圧力はかかる。だから別に核の傘下でなくてもいい。
昔、核ミサイルが何発攻撃されると汚染による死傷者が日本国以外の周辺国でどれぐらい、というような記事があったはずなのだが、見つからない。原子炉にミサイルがあたったらどうたら、と日本の国会議員が質問していたが、原子炉にミサイルがあったっても同じで影響は近隣諸国に及ぶので、自殺覚悟じゃないとできないだろう。むしろ、核ミサイルでなら核が細かく拡散されるので、爆発した側より周辺の方が危険というような意見もあった。まあ、核の保有によるメンテナンス代は安くない。だから古いミサイルを売っている国もある。もし、メンテナンスが悪ければ、自爆するか、放射能漏れによる被害で苦しむだけだ。対核兵器を真剣に検討してもいい時期でもある。これはSFでもアニメでもない事実だ。日本はもっと中国に核による被害を訴えるために原爆記念館の価値を説明して、理解してもらうべきだろう。南京云々は、それこそ共同で歴史的事実の検証として、現場から被害者たちの骨などを回収して調べればよい。現代科学を使えば、少しは事実に近づくだろうし、日中のどちらにも当事生きていた人も現存しているのだから、聞き取りをする。慰安婦も同じで、積極的に検証することこそ、双方にとっての利益になる。検証を拒否するというのは、そこに事実が判明すると何かしらまずい状況があるからだとも言える。後ろめたいことがないのなら、日本政府は積極的に現場検証という解決策を提案してはいかがだろうか。竹島事件、通州事件も含めて検証しようと提案して頂きたい。事実がどうであれ、結果を受け止めるだけの強さを日本国および日本国民は持っていると思うのだが。



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核爆弾による悲劇を繰り返さないためにも戦争反対しよう

2015-08-04 06:19:56 | Weblog
20年以上も草木も生えない不毛になると言われた広島と長崎。あの原爆で生き残った人たちがどうしたのか、日本国民は持っと知っておいた方がいいと思う。原爆を落とされたことが間違いなのか、それとも原爆という兵器を使った米国が悪いのか。過去に拘っても、これから二度と核爆弾を他国から落とされないことを防ぐには役に立たない。日本人が考えるより、米国人は原爆に被害を知っている。体裁としては原爆投下は日本軍の暴走を止めて、日本国民や周辺の国の民の命を助けるためだ。我が友は「こんな残酷な兵器は二度と使ってはいけない。だが、あの悲劇があるからこそ、核爆弾による恐怖が世界に認識された。だから人類にとっては彼らによる犠牲は尊いし、感謝する。」と言った。これを日本人が聞いたら激怒するのだろうか。聞いた時に殴ろうと思ったが、友の目には涙が溢れてた。小さい時にNo More Hiroshima/Remember Pearl Harborと口にして、気が済むまえ殴り合ってた相手を長崎に連れていた時だ。それからこちらが喧嘩をふっかけて口にしても、相手にしなかった。そして言ったのは「どうして僕らが喧嘩しないといけないのか。教えてくれ。」と。

肌の色や人種で差別された経験がない人には、本当の差別は理解できないと思う。悪口とか、イジメとかではない。店に入れば「肌の色がついた人はダメ」と言われる。これは米国で人種差別の法律が成立してもまだあった事実だ。同じく、黒人の同級生と遊んでいると「肌の色が違う」と親に言われて、追い返される。だから米国は大嫌いだった。オーストラリアでも日本人帰れ、と突然、年配の女性に顔を叩かれたこともある。フランスだと食事をしようと予約なしのレストランでも断れる。まあ、だが、ここで差別だと騒いで怒ることもない。二度とそういった場所に行かなければいいというのが自分の方針。だけど、何度も行くうちに差別の原因とか動機が見えてくると、なんとなく彼らの気持ちがわかるようになった。今はどちらの国も大好きだ。で、言い返すための方法も漫談。感情的では味方に引き込む周辺はまったくこちら側に同意してくれない。だから冷静に話をするか、黙る。
実は感情的にfour letter wordsを口にした日本人の青年が逆に袋叩きにされているのを見た。助けるにしても、彼が口にする言葉は明らかに攻撃的で相手をますます興奮させる。せいぜい警察に通報ぐらいしかできなかった。まあ、大きな怪我もなく、警察を呼んだ自分に感謝もなく罵倒してたが。日本人が直接差別を受けることが少ないのは、相手への挑発がないからだと言える。アジア系の青年たちは結構、相手を挑発するのだが、日本人は本当におとなしい。なにせ相手からぶつかってきても謝るのだ。悪意があれば誤っても殴られるし、金品も取られるのだが、大抵はそこまでいないで捨て台詞で済む。こういった日本人を見て、アジア系の若者は意気地なしというのだが、痛い思いしないでいいし、まともに喧嘩しても何も得しない、と説明したら「日本人は金とか得とかばかりだ。」と言われる。自分はそれでもいいと思う。誇りは他人に見せるものじゃないし、自らの心にきちんとした日本人としての矜持と誇りがあればいい。日の丸の国旗は好きだし、桜も大好きだ。だが、それをわざわざもめそうな相手に示すことはしない。どちらも好きだから汚されたくないだけだ。相手が何を言おうが、思うがどうでもよい。だって日本人じゃないのだから。

戦争戦争と扇動するメディアに言いたい、あなたたち日本国のメディアが持つ日本人としての矜持は何か。
自国が混乱することと、穏やかに楽しくみんなが生活すること、のどちらを望むのか。確かに日本の外から見ていると日本のここが変というのは多々ある。だが、自分の心は間違いなく日本人だし、価値観も日本人なので理解できる。ゆえに改善しろ、と訴えるだけだ。メディアがこういった役割をせず、日本社会の混乱を望み、不安を掻き立てるような内容の扇動記事を書くのはいかがなものか。また、日本国民も少々のことで目くじらたてないで、もっとどーんとしていてもいいと思う。日本は東の島国というだけの時代は終わった。残念ながらサブカルによる日本イメージ浸透は世界中に広がっている。問題は日本に濡れ衣をきせ、ひたすら日本バッシングを継続する朝鮮半島と中国だ。だが、彼らがそういった行動をしていることは、そろそろ世界にも浸透しているから、まあ、このまま日本は今まで通りでいいと思う。エコノミスト、WSJの両誌が中国によるシナ海での出来事を記事にして配信している。

本気で戦争を阻止するのなら、訴えるのは日本政府ではなく、中国人民に「殺されたくないし、殺したくない。戦争はやめよう。」というのが正解だ。朝鮮半島も同じだ。たかが島ごときにいつまでももめてどうするのか。政治と国民は別だ。だったらいっそ、みんなで釣りでもして楽しめるような工夫をすればいい。戦争なんて何を生まない。これは国とかイデオロギーとか違っても、誰もが戦争は嫌だと思っている、と自分は信じる。
難民の誰一人として、戦争が正しい、という人はいない。だって、死ぬのは一般民だもの。だが、戦争を反対と自分の政府に訴えても、攻撃してくるのが他国やた組織なら抗議もできない。だが、幸い、日本の仮想敵はどちらも近い国だし、観光客や留学生も双方で行き来している。ならば、ここはそうった人たちへ訴えて、国を越えて戦争反対運動とすればいいのだが。やらないのかい?
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外国人労働者は条約国ごとに数を制限せよ

2015-08-03 05:34:34 | Weblog
朝鮮半島政府はどうも自国の若者に日本で働けと推奨しているような記事があった。何故、日本で就労するのか。
日本人からすれば反日教育を受け、チームワークも守る努力をしないような外国人労働者の来日は歓迎できない。不法滞在者のトップ、犯罪率のトップの国から受け入れるというのは、やはり抵抗がある。国ごとに学生や労働者の数決めたい。また労働者や学生など人材の行き来ができるような国であれば、保険や税金、犯罪という点からも処理が楽だ。少なくても、不法滞在をはじめ、犯罪率から考えるなら、朝鮮半島と中国は制限しなければいけないと思う。経済効果というのが、労働者を奴隷として働かせるのなら、こういった要望を日本政府は受け入れてはいけない。留学生受け入れについても、国ごとに学生の数を決めることこそ、平等だ。経済的に豊かな国から学費や生活費の支援が必要な留学生を受け入れるのは反対だ。

さて、日本で行われているデモや抗議集会で見られる外国語のプラカードだが、何故、外国語なんだろうか。日本にいる外国人、朝鮮半島出身者や中国出身者へのメッセージなのか、と取られている。外国から見ると「なんて危険な行動」となる。つまり、外国人たちになんらかのメッセージを送っているのではないか、という疑いだ。確かに日本政府に抗議するのなら、日本語だし、日本の国旗すらないので抗議はあくまで首相個人としか見えない。そこで外国語となると日本の首相は外国人なのか、という疑問まであるらしい。出身がどうだかは知らないが、法的に首相となれるように帰化しているのなら、それはもう立派な日本人だと説明はした。

観光客用の案内板も朝鮮語や中国語とローマ字はあってもアラビア語、タイ語などはない。ならば、ローマ字だけで十分だ。オリンピッックに備えて、案内板はローマ字のみで統一するか、国際競技なのでフランス語を併用するのが筋だ。海外旅行に来る人でアルファベットが読めない人はほぼいない。それなのにどうして朝鮮語とか記載するのか。中国語は確かに経済的効果からすればあった方がいい、という意見もある。だが、これも中国人に失礼だと思う。ピン音とかあるのだからアルファベットぐらいは読める。

さて、支持率が低いのは、強引な採決というレッテル貼りはいい加減にやめて頂きたい。前政権に比べたら強行とはいえないのに、何故、強行というレッテルを張るのか。おまけに自民党内部でも政府批判をする議員もいる。いつものように支持率が低下したら、内部分裂をするのか。今度やれば、自民党および元自民党議員は日本国民から二度と信頼されないと覚悟して頂きたい。何故、この法案を通すのかを考えるなら、そこには危機があるからだ。それなにに内紛なんてとんでもない。これを執行部が抑えられないのなら、たぶん、本当に日本の危機となる。もし、別政権が誕生すれば、日本と日本人はどうなるのか。これは日本国民も覚悟して考え頂きたい。左翼思想の若者のデモや集会など過去にも幾度もある。問題なのは外国人がそこに大量に参加している点だ。お年寄りは知ってるから孫に注意したりしているようだが、はたして親御さんは知っているのか。戦前、戦後共に朝鮮半島出身者による暴動だ。その数は多いのだが、日本の義務教育ではこの事件を教えない。だから危機感を持っている年代が限られる。自分は韓国の友人に教えて貰った。彼らの方が知っているのだ。なにせ中国や台湾の人たちですら知っているのに、当事者の日本人が知らないのは「日本政府は朝鮮半島になにかあって情報を隠蔽しているのかも。」とまで言われる始末。昨今ではルーシーブラックマンさんの書籍で有名なパリー氏までがこの隠蔽を世界に伝えている。日本政府はそろそろこういった朝鮮半島出身者の犯罪に関わるような情報の隠蔽はやめて頂きたい。
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