The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

8月15日はVP (Victory in the Pacific) ? VJ (Victory over Japan) Days?

2015-08-16 06:47:23 | Weblog
日本にとっては天皇陛下が玉音放送を流した日を終戦としています。しかし、オーストラリア(Commonwealth of Australia)を含めて連合軍側だった国では違います。これは正式に日本が降伏を受諾した日9月2日だからです。オーストラリアではVPの日8月15日なんですが、この日は米国、隣のニュージランド、英国はVJの日。そう、オーストラリアは英国領だった国ですが、ここだけは違います。ところで、日本の英国外人墓地にウイリアム王子が参拝したことを覚えている日本人がどれぐらいいるのでしょうか。ANZACの日と呼ばれる第一次世界大戦でガリポリの戦いで戦死した兵士を慰霊するために王子が参拝したのです。日本にはこういった外国人兵士の墓がいくつかあります。こういった墓を維持するために、地域の人たちは貢献しています。もちろん、参拝に訪れる外国人で、日本国や日本人への憎しみを持っているため、罵倒するとか、抗議するとかもありません。何故か、考えてください。

人の死に対しての敬意は民族や文化、宗教が違ってもあります。だから自分とは違う属性を持つ集団への死者への行為についてはなに人も干渉できません。中国は個人が先祖への慰霊として訪れるなら靖国参拝を否定しない、とかつて発言しています。そりゃ個人の行動までまなりならる、となればすべての宗教への弾圧と同じだからです。

終戦といってもいろいろな受け止められ方があるように、価値観が違います。ここに異文化間に必要なコミュニケーションのルールがあります。まず、相手の行動や思考をまっさきに否定しない。英語を学ぶ人たちは、答えのはじめにYesかNoと言わないといけない、と日本では習います。相手が好意を持って「今夜、みんなでパーティー開くんだけど、来ない?」と質問されて、NOと答えたら質問者はどんな気持ちになるでしょうか。Respectとはこういった時の説明です。相手への配慮をしながら断る。日本的な作法です。残念ながら、参加したいけど(本当は行きたくなくても)その日は別な約束があるのでいけない、と。まして、親しくない相手であれば、より相手の気持ちを意識して答えます。だから答え方にパターンはないのです。英語以外の中国語、フランス語も相手側の気持ちを配慮する会話例がいくつもあるのに、何故か日本で教える英語会話は違う。外国語教育とは、ある意味、その言語を使う国の文化や習慣も学ぶ。ですが、日本の英語教育がおかしい。外国では英語を教えるための資格があります。しかし、日本では英語を母国語としない外国人でも簡単に英語教師になれます。そろそろこういった点を問題とし、資格がない人は外国語教師になれない、というような法的整備も準備してよいと思います。なお、海外でも日本語が話せれば日本語教師と言えなくなっています。敬語、謙譲語すら区別できない日本語教師に教えられたら、いくら日本語がうまくても日本で仕事を探すのは難しいでしょう。同じです。

さて、もう一つは国によっては滞在するためのビザです。労働ビザも種類があり、特定職業として滞在ビザが出ている場合も多いです。例えば、外国語の教師。このビザを申請する時には自分が教える外国語教師の資格を示さないといけません。こうすることで不良外国人(スパイ目的)を殲滅してます。日本もこういった他国の良い仕組みはどんどん取り入れていってはいかがでしょうか。

終戦の日に感じることは、どの国、民族であっても、過去に自国を自国民を守るために戦った兵士、民間人への感謝の気持ちを持っているということ。敵国を憎むとか、戒めるというような行為をこの日にする人たちはいません。憎みとか戒めるという行動がいかにネガティブなのか。これは宗教だとかではなく、人間という生き物はポジティブな思考をしていくか、ネガテイブな思考をしていくかで、進む方向が違うからです。なんでも極端に白黒で割り切れるものではありません。しかし、過ぎた事実を過去に戻って変えることなど不可能です。タイムマシンを作ることは不可能と研究成果が発表されたように、時間を戻すことはできないのです。ならばどう生きるのかいいのか。歴史から学ぶ。確かに重要です。しかし、歴史に囚われて生きるのは意味がない。平家物語を琵琶法師が平家の落ち武者に語る話で、ハーンが伝えたことは何でしょうか。

先の首相談話が意図しているのは、まさにこれです。歴史は変えることはできないが、それにいつまでもこだわらず新たな道を切り開く。その手段としては従来通りに武力を酷使はしない。非核三原則は守る。一体どこに不満があるのでしょうか。日本へ怨みや憎しみを持つ国があるのは仕方がない。これをどうにかしようとすることこそ、道理に反します。日本国や国民は神ではないので、そういったネガテイブな感情に囚われた人や国を救うことはできません。まして、こちらが感染してまで苦しむ義理もありません。だから赦しの宗教と呼ばれるキリスト教の法王様が訪韓したのではないでしょうか。日本人が関与しないことも愛の行為だと考えます。
中国は多くの哲学者、思想者を生む出した国。過去のこういった文化をすべて破棄した歴史もありますが、老子、孔子はいまでも学問して学んでいるそうです。演劇の演目にしても、勧善懲悪の中には復讐だけではなく、愛がある、徳がある演目がたくさん残っています。だから誰もが人を赦すという行為の意味を知っているはずです。

戦争は民間人によって引き起こされるのではなく、戦争によって利益を得る人たちによって引き起こされる。この鉄則はどんな歴史の戦争にも当てはまります。ならば、これから戦争を回避するためにはどうすればいいのか。まずは一般民どうして憎しみあう意味を考えましょう。怨みや憎しみを維持することで何かあなたに利益がありますか。もし、具体的な怨みや憎しみの原因がわからないのなら、どうして怨んだり、憎んだりするのか原因を考えてみましょう。その原因は何故、あなたにとって大切なのかも考えてみましょう。

自分は過去のしがらみに振り回されるのは嫌です。反省は重要ですが、それは自ら反省し、同じ間違いで自分が損しないためです。損得でしか人間は思考の価値観を測れません。感情は損得になりますか?物質的な損得と、心を制御する損得では意味が違います。怨みや憎しみも立派な生きるための原動力になります。しかし、よい例が近隣諸国にあります。あなたはあのような社会で生きることがあなたを幸福にしますか。
日本社会はルールが多く、厳しく息苦しいという外国人の多くが感じているそうです。でも、これは単なる習慣が違うために混乱しているだけで、長期間滞在している人は慣れると苦ではなく、むしろ快適に感じるそうです。ゴミ出しは面倒ですが、例えば、きちんと清掃しておくことで、カラスやネズミがこなくて快適です。ゴミの選別にしても、リサイクルによって貢献を受けるのは一般民です。これは日本に資源がない、と実感した人は必ず感じることです。住むためのルールは、誰もが快適になるように作られたためなので、今、苦と感じるあなたもやがて快適な生活を感じる日が来るために備えたルールと考えてみてはどうでしょうか。

日本を戦争に巻き込まないメリットは、日本人以外の日本に滞在している外国人にもあります。災害は多いけど、恩恵も多い自然。日本風に変化したアレンジ料理や菓子が多い、日本という国。安全と水の国というブランドをこれからも維持していきたい日本という国。近隣諸国の外国人に問いたい。あなたは自国と日本とどちらで生活したいですか。



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