幽玄 F 佐藤究(著)2023年10月発行
空を仰ぎ、ジェット機を見つけては、取り憑かれたように追いかけ必死に走る。
飛行機を追いかける少年「易長透」は、「音速で空を飛ぶ」という目標に向かい、
学生時代からあらゆる努力を重ね、若くして有能な戦闘機乗りになる。
そんな「透」の幼少時代から波乱の青年期まで、育ての親のような存在の祖父
(寺の住職)が伝えようとした真宗の教えや、戦闘機乗りとしての挫折から
異国の地での仕事、憧れの機 F-35 B との偶然の出会い、そして、、、
彼の人生の悲しみと喜び、成功と挫折から驚愕の結末まで、
命を賭しても空を飛ぼうと切望し実行した凄まじい物語で、刹那。
戦闘機のこと、仏教について、三島由紀夫作品へのオマージュなど、本小説に
込められた大切な数々に理解不足なのは承知の上で、とにかく一気読み。
凄い小説。
直木賞受賞した前作を読んでおらず、迂闊でした。読んでみます。
わがまま母
— 産経新聞 書評に、三島へのオマージュについての解説があるので、参考のため転記します。
三島へのオマージュ 『幽玄F』佐藤究著
2000(平成12)年生まれの透は16歳のとき、航空自衛隊三沢基地の航空祭で毒蛇(バイパー)の異名を持つ戦闘機F-16の雄姿を見て、自分が何のために生まれてきたのかを知る。
夢を叶(かな)えて自衛隊のトップ・パイロットとなった彼は、26歳になるとさらに最新鋭のF-35に搭乗し、驚嘆すべき才能を発揮する。しかし絶頂のさなか、超音速時に窒息する謎の発作に襲れ、戦闘機パイロットを辞める。
空への憧れ以外に何物も持たない彼は空虚のかたまりとなって、タイ、バングラデシュで余生のような暮らしをするが、そういう彼を運命が待ち受けていた。
タイでは「豊饒の海」第3巻の書名でもある「暁の寺」が出てくる。それ以外に、もっと重要な三島作品がある。思弁的エッセイ『太陽と鉄』に「エピロオグ」として添えられた「F104」である。当時の超音速戦闘機に搭乗した体験記は、こんな一文で始まっていた。「私には地球を取り巻く巨(おお)きな巨きな蛇の環が見えはじめた」。あらゆる対極性と相反性を超克する、自らの尾を吞(の)むウロボロスの蛇のヴィジョンを三島は空に視(み)た。本書はこの文章への、オマージュである以上に、発展形の二次創作とさえ呼べるかもしれない。
大空へ昇天したい透の願望は、一種の宗教性すら帯びて果たされる。そんな本書は閉塞(へいそく)した地上の戦乱に窒息する我々に、重力と俗世の束縛から解き放たれる夢を届けるメルヘンとも呼べよう。(河出書房新社・1870円)
評・清水良典(文芸評論家)