遊び人親子の日記

親子で綴る気まぐれ日記です。

ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ

2008年10月01日 14時35分14秒 | 読書
   ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ 
                 面高直子(著)2007年7月発行

  やっぱり泣いてしまった・・・。
  これは涙なしには読めない一冊です。
  だけど、是非読んで欲しいし、ヨシアキという青年が生きていたことを
  知って欲しいな。
  ほんと『切ない・・・』という感情で胸がいっぱいになりました。
  なんと表現したらいいのか・・・上手くいえません。

  1947年1月、後田義明は日本人の母と米兵との子として四国に生まれ、
  4歳の時、母親に連れられ、私設孤児院『エリザベス・サンダースホーム』に
  預けられ、11歳まで施設で育つ。
  (サンダースホームは澤田美喜さんが創立し、米兵と日本人女性の間に生ま
  れ差別を受ける子供たちを引き取り養育していた。
  澤田は、園長として子供たちに「ママちゃま」と慕われていた)
  ヨシアキは11歳の時、アメリカのサウスカロライナ州コロンビアに住む
  ロン・フラハティの弟、ルイス・フラハティの息子として養子になるため
  渡米する。
  日本名「ヨシアキ・スティーブ・ウシロダ」から「スティーブ・フラハティ」
  となったのだ。
  「スティーブ」は、地元の小学5年に編入するも英語がほとんど話せず、
  勉強では苦労したようだ。
  幸い、近所に住むダン・ポーターと親友となり、彼のお陰で仲間はずれに
  ならずにすんだし、毎日野球を楽しむ日々を過ごすことが出来た。
  徐々にスポーツで頭角を現し、ハイスクール時代には、フットボールや
  バスケット、野球の選手として大活躍する。
  また性格も明るく、笑顔が魅力的なので人気者となる。

  しかし、ケネディからジョンソン大統領になり、ベトナム戦争が泥沼化
  していった当時、米国の大勢の若者達は、「アジアの平和」のための戦争
  に従軍した。
  ついに、親友ダンも志願してベトナムに行くことになり、ヨシアキも悩む。
  結局、彼はアメリカ人として生きるため、志願して軍隊に入りベトナムへ
  ・・・そして帰らぬ人となる。

  野球でメジャーからスカウトが来ようと、どんなに女の子たちに騒がれよう
  と、アメリカ国籍を取得しても、ヨシアキはアメリカ人になれずにいた。
  そして、悩みぬいた結果が、
  アメリカ人として「ベトナム戦争」に行き立派に戦うこと、
  戦争で生き残ればもらえる休暇で日本に行き実母を探すこと、だったのだ。
  なんて切ない人生だろうか。

  親友のダンやダンの家族、ロン・フラハティの優しさに囲まれ、幸せそう
  にみえるスティーブですが、彼の心の孤独、根っこがないことの辛さが
  想像を超えるものなのだろう、と悲しくなりました。

  スティーブの死後も、彼の部屋を何十年もそのままにして、戦争へ行く彼
  を強く止めなかったと未だ後悔しているロン。
  親友だったダンは、ベトナムの後遺症で悩む日々のなか、スティーブを
  思い出しては、時々お墓に参っている。
  今も、スティーブ(ヨシアキ)は彼らの心に生きているのです。
  そして、この本を読んだ人は皆、決してヨシアキを忘れないでしょう。

   わがまま母

  
  
  
  

  
                 
コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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Unknown (coco)
2014-08-26 20:17:05
ああ~!!!
私も文章を読みながらウルウルしてしまいました。
もし、タイムマシンがあるのなら、私もヨシアキを探しに1950年代、60年代にヨシアキが住んでいた町に行ってみたいです。

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