他人と深く関わらずに生きるには 池田清彦(著)2002年11月発行
先月に読んだ『やがて消えゆく我が身なら』が、とても面白くて
池田氏の2002年出版のこの本も読んでみた。
2006年に文庫本としても出版されているみたいだ。
ということは、やはりこの閉塞感あふれる社会を生きるヒントを
探している人が大勢いる、ということなのだろう。
本書も、池田氏の歯に衣着せぬ痛快なる自論が展開されていて、こりゃ~
相当、賛否両論あることだろうな、と思わず苦笑してしまう。
本書の「はじめに」で、本書の主旨がまとめてあり、
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他人と余り深く関わって生きていると、首尾よくいっている時はよいの
だけれど、イザとなった時に転向がきかず、自殺するハメになるのかもしれない。
そうかといって、他人と全く関わらずに生きるのは、自給自足の生活でもしない
限り不可能であろう。そこで、したたかにしなやかに生きるには、他人と深く
関わらずに生きる、のがベストということになる。
略
他人と深く関わらずに生きる、とは自分勝手に生きる、ということではない。
自分も自由に生きるかわりに、他者の自由な生き方も最大限認めるということに
他ならない。略
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と、ある。
第一部では、他人と深く関わらずに生きるためのヒントを、
第二部では、そのためにはどんな社会システムを構築すべきか、が述べられて
いる。
こんな生きにくい時代を生き抜くためのユニーク「完全個人主義論」だ。
「濃厚なつきあいはなるべくしない」
「車もこないのに赤信号で待っている人はバカである」
「病院にはなるべく行かない」
「心を込めないで働く」
「ボランティアはしない方がカッコいい」
「他人を当てにしないで生きる」
「おせっかいはなるべく焼かない」
「退屈こそ人生最大の楽しみである」
「自力で生きて野垂れ死のう」
・・・などなど、過激なる論が繰り広げられるのだが、実はその底には
深い愛情も感じる。だからこそ、多くの読者に支持されるされるのだろう。
私は何を言いたいのか。他力を頼まず自力で生きて、力が尽きたら死ぬのが
最も上品な生き方だ、ということだ。と氏は語っている。
ある書評ブログには、こんな紹介が、、、
『孤高な生き方は究極的な上品なのだ。他人とのつきあいに悩んで死ぬより、
そもそも深くはつきあわないで果てる生き方もいいじゃないかと思う。
逆説的だが、上品な孤高を守る人の周りには、この先生のように、
人が集まってきてしまうもののようだ。』
なるほど・・・。面白いものだなぁ。
『他力』(五木寛之著)の真逆を言っているようであるけれど、共通する
部分もあるような。
しかし、おせっかいで、他人を当てにして、すぐ病院に行く私、、、
自力で生きて、野垂れ死ぬのは、かなり難しそうである。
上品には生きられぬ、ということですな・・・。
わがまま母