無限角形
1001の砂漠の断章
コラム・マッキャン(著)2023年4月発行
心穏やかなままに、静かな感動が全身に染み渡ってくる感覚が不思議。
かくも残酷で、悲劇的、絶望に溢れる現実を描いているにも関わらず、、、。
翻訳本で、700頁近い長編、しかも内容が濃く、気が重くなるのではないか?と
不安混じりで読み始めるも、杞憂でした。
文章の表現、構成、全てが美しく、根底に流れる独特の情緒に、驚きと感動。
ただ、未だに、日々でガザで繰り返される悲劇を知り絶望を覚えて、
つい思考停止に陥りがちな自分がいることも現実です。
個人的に今は時間がなく、ゆっくり小説として味わうことは出来なかったが、
機会を改め、じっくり読んでみたいと思った一冊。
念の為、内容は、出版社の案内文と素晴らしい訳者あとがきの一部を転記しておきます。
わがまま母
以下、hayakawa books & magazines より一部抜粋
早川書房から、5月1日に『世界を回せ』で全米図書賞を受賞したアイルランドの作家コラム・マッキャンの最新作『無限角形 1001の砂漠の断章』を刊行いたしました。実話に基づき、1001の短い章からなる斬新な形式をとり、写真がちりばめられている、実験的な本作。翻訳を担当された法政大学教授・栩木玲子氏による「訳者あとがき」を公開いたします。
あらすじ
無限角形――それは限りなく円に近く、決して円ではない多角形のこと。
バッサム・アラミンはパレスチナ人。ラミ・エルハナンはイスラエル人。二人の住む世界は紛争に満ち、車の通行が許される道路、娘たちが通う学校、そして検問所まで、日常生活のあらゆる場面で、物理的にも精神的にも生きるための交渉が必要となる。
バッサムの10歳の娘アビールがゴム弾で命を落とし、ラミの13歳の娘スマダーが自爆テロの犠牲となったことで、彼らの世界は取り返しのつかないほど変化する。互いの境遇を知ったバッサムとラミは、自分たちをつなぐ喪失感を認識し、いつしかその悲しみを平和のための武器にしていく。
紀元前から現代まで、エルサレムを中心とした世界の神話、政治、文学、音楽など1001の断片を編み込んだ、家族と友情、愛と喪失にまつわる、私たちについての物語。訳者あとがき
無限角形。英語でいえばアペイロゴン。
多くの方にとっては聞き慣れない単語だと思う。日本語は少しゴツゴツした無骨な語感、英語の方はちょっとかわいらしい。アペイロゴン、アペイロゴンと繰り返すうちに呪文のようにも聞こえてくる。この不思議な単語をタイトルとする本書もまた、不思議な本といえるかもしれない。
そもそも無限角形とは、数えられる無限の辺を持つ形をいう。正三角形なら三つの辺、正四角形なら四つの辺、という具合だが、では無限の数の辺を持つかたちとは? しかも無限といいながら数えられるってどういうこと? 矛盾しているとしか思えない、深淵で哲学的な思考に誘う数理は素人では歯が立たない。でも日本語版で六〇〇ページを超える本書を象徴し、その本質を一言で表すタイトルとしてこの単語がどういう意味を持つのか、そこから考えることはできそうだ。
著者であるコラム・マッキャンは自身のフェイスブックでこう説明している。「無限角形とは境界がなく際限もないかたちであり、それはすなわち永遠に続く物語のことだ。(中略)この小説の主人公、ラミとバッサムもまた自らの物語を何度も何度も、繰り返し語る。それは一種、無限角形的といってもいいだろう」
フィクションとノンフィクションを混ぜ合わせた「ハイブリッド・フィクション」である本書には、伝統的な意味でのプロットは存在しない。が、強いていうならば、娘を失ったイスラエル人のラミ・エルハナンとパレスチナ人のバッサム・アラミンの、有限であり無限であり、循環し続ける喪失と再生の物語だ。著者であるコラム・マッキャンは自身のフェイスブックでこう説明している。「無限角形とは境界がなく際限もないかたちであり、それはすなわち永遠に続く物語のことだ。(中略)この小説の主人公、ラミとバッサムもまた自らの物語を何度も何度も、繰り返し語る。それは一種、無限角形的といってもいいだろう」
フィクションとノンフィクションを混ぜ合わせた「ハイブリッド・フィクション」である本書には、伝統的な意味でのプロットは存在しない。が、強いていうならば、娘を失ったイスラエル人のラミ・エルハナンとパレスチナ人のバッサム・アラミンの、有限であり無限であり、循環し続ける喪失と再生の物語だ。中略
魂に深い痛手を負ってもなおこの世界を生き抜こうとする、すべての方々への敬意をこめて。
二〇二三年春