ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月21日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第15回
巻 4
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121) 沖へ行き 辺に行き今や 妹がため 吾漁れる 藻臥束鮒   高安王(巻4・625)
・ 高安王(大原真人)が鮒の土産を娘に暮れた時の歌である。「沖へ行き 辺に行き」と調子のいい掛詞を発した歌謡である。束鮒とは一握りほど(二寸)の大きさの鮒のこと。結句「藻臥束鮒」の語呂がいいので選んだと茂吉は言う。
122) 月読の 光に来ませ あしひきの 山を隔てて 遠からなくに   高安王(巻4・670)
・ 女のつもりで詠んだ高安王の歌。来るのは男、待つのは女が普通の構図だからである。高安王の歌は2首ともに実に軽い、実感もない。
123) 夕闇は 路たづたづし 月待ちて 行かせ吾背子 その間にも見む   大宅王(巻4・709)
・ 月が出ない夕闇は暗くて不安だ。月が出てからいらっしゃい、御逢いしましょうという女心である。
124) ひさかたの 雨の降る日を ただ独り 山辺に居れば 鬱せかりけり   大伴家持(巻4・769)
・ 大伴家持が、新都の久邇京に居て、旧都にいた紀女郎に贈った歌である。「ひさかた」は天(雨)に係る枕詞。歌調はのびやかで率直である。家持の優れた特徴である。

巻 5
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125) 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり   大伴旅人(巻5・793)
・ 大伴旅人は大宰府において妻大伴郎女を亡くした。その時京より弔問がきたので、それに答えた歌を作った。世の無常を知る時、いままでよりますます悲しいという。「し」は強めの意味で、仏教の教えで人は無常であることは知っていたが、現実に自分の事として知ったという意味である。思想的抒情詩は難しいもので、誰も大伴旅人の程度を越えることはできない。この歌は一つの記念碑となったという。
126) 悔しかも 斯く知らませば あおによし 国内ことごと 見せましものを   山上憶良(巻5・797)
・ 大伴旅人の妻が亡くなった時、筑前国守山上憶良は「日本挽歌」(長歌1首反歌5首)を作って大伴旅人に贈った。旅人の心になりきって詠んだ歌である。このように妻が無くなることを知っていたならば、筑紫国の隅々を見せてあげておけばよかった。それをしなくて悔しいという気持ちを、旅人に代わって憶良が詠んだ。「悔しかも」という主観の詞を冒頭に持ってくることは万葉集にはなかった。これはむしろ新古今和歌集時代の手法である。憶良の訥々とした語調が伝って、流ちょうに流れるのを防いでいる。
127) 妹が見し 棟の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに   山上憶良(巻5・798)
・ 前の歌の続きである。「棟(おうち)」は栴檀のことで、初夏のころ薄紫の花を咲かせる。妻が死んで涙の乾かない間に、妻が庭に植えた栴檀の花は散ってしまった。逝く歳月の速さにただ驚くばかりであるという意味である。茂吉はこの歌を切実の響きが少ないと批判する。従来から万葉集中の秀歌として名高いこの歌をただ分かりやすいかっただけのことであると切り捨てる。憶良は伝統的な日本語の響きに合体できなかったと結論した。
128) 大野山 霧たちわたる 我が嘆く 息嘯の風に 霧たちわたる   山上憶良(巻5・799)
・ この歌も前の挽歌の続きである。「大野山」は筑紫大宰府近くの山である。息嘯(おきそ)は「おきうそぶく」のことで、「嘆きの息嘯」とは「嘆く長大息(ふかいためいき)」という意味になる。深く長い溜息のために、風が巻き起こり霧が発生するという。「霧たちわたる」を二度使うことで、大野山に霧が立ち渡るのは私の吐く長い溜息のせいであるということになる。線も太く、能動的であるが、人麿の歌の声調ほどの響きがないと茂吉の批評は厳しい。
129) ひさかたの 天道は遠し なほなほに 家に帰りて 業を為まさに   山上憶良(巻5・801)
・ 山上憶良は両親と妻子を軽んじる男を諭すため、「感情を反さしむる歌」を作った。反歌がこの歌である。道徳家である。「おまえは青雲の志を抱いて天に登るつもりらしいが、その道は遼遠である。それより率直に家に帰って家業に従事しなさい」という意味である。儒教精神は実生活の常識であるという道徳観の中で、この歌は窮屈だという。漢文調が好きな憶良らしさ歌で特殊な位置を占める。しかし万葉長にはなじまないというのが茂吉の憶良観である。
130) 銀も 金も玉も なにせむに まされる宝 子に如かめやも   山上憶良(巻5・803)
・ 憶良は「子等を思う歌」長歌反歌を作った。長歌は憶良の歌として第1級の作品である。歌と憶良の信条が一体化している。ここにあげた反歌は憶良の価値観を総括した。又仏典から新しい語感を持つ言葉をもって堅苦しいまでに仕上げている。

(つづく)