ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月20日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第14回
巻 3
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111) 妹として 二人作りし 吾が山斎は 木高く繁く なりにけるかも   大伴旅人(巻3・452)
・ 大伴旅人が都に着いて、わが家を見て詠じた歌である。「山斎(しま)」は庭のこと。都にいない間に、妻と二人して植えた庭の木は大きく茂っていた。単純明快のうちに尽きぬ感慨がこもっている。旅人の感慨が概ね直線的で太いからであろう。
112) あしひきの 山さへ光り 咲く花の 散りぬるごとき 吾が大君かも   大伴家持(巻3・477)
・ 安積皇子が17歳で崩じられた時、内舎人であった大伴家持が作った挽歌である。満山の光るまでに咲き誇った花が一時に散ってしまったように、皇子は逝かれた。勉強家の家持はこの歌を作るほどに大成していた。

巻 4
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113) 山の端に 味鳧群騒ぎ 行くなれど 吾はさぶしゑ 君にしあらねば   舒明天皇(巻4・486)
・ 歌の口吻は女性のものであるが、舒明天皇が女の気持になって歌ったものか、或は註には斉明天皇(女性)の御製かもしれないという疑問符がついている。「山の端に 味鳧群騒ぎ」は、「行く」に続く序詞で、君以外の人が多く行き来するが、そこには君がいないので寂しいという意味である。この序詞を実景としても意味が連続して流れる。
114) 君待つと 吾が恋ひ居れば 吾が屋戸の 簾うごかし 秋の風吹く   額田王(巻4・488)
・ 額田王が天智天皇を思うて詠まれた歌である。だから近江京での作である。風が吹くのは恋人が来る前兆だという女性らしい信仰があって、巧まずしてこまやかな情味のこもった歌となった。
115) 今更に 何をか念はむ うち靡き こころは君に 寄りにしものを   安倍郎女(巻4・505)
・ 「心はもうあなたのものだから、今さら何を思おうか」、あなた一筋よというまるで演歌のような女の歌である。安倍郎女の伝は不詳。
116) 大原の この市柴の 何時しかと 吾が念ふ妹に 今夜逢へるかも   志貴皇子(巻4・513)
・ 「大原のこの市柴の」は「いつしか」に係る序詞である。歌の本意は「いつか逢えると思うあなたに、今夜逢えるかも」ということである。
117) 庭に立つ 麻手刈り干し しき慕ぶ 東女を 忘れたまふな   常陸娘子(巻4・521)
・ 藤原宇合が常陸守として数年滞在して、任を解かれて都に帰る時、任地で慣れ親しんだ遊行女婦の一人が別れに詠んだ歌。「庭に立つ 麻手刈り干し」は「しき慕ぶ」に係る序詞であるが、そのままで意味がつながる。「東女を 忘れたまふな」とは現地妻の情味というか、凄みというか、いやはやたくましい女である。
118) ここにありて 筑紫やいずく 白雲の 棚引く山の 方にしあるらし   大伴旅人(巻4・574)
・ 大伴旅人が大納言となって帰京した。大宰府から僧になって残った沙弥満誓から見の寂しさを謳った諧謔の歌が都に届いた。旅人の歌は笑うことができない、真面目に答えて剽軽になれぬ太さがある。
119) 君に恋ひ いたも術なみ 平山の 小松が下に 立ち嘆くかも   笠郎女(巻4・593)
・ 笠郎女(伝不詳)が大伴家持に贈った24首の歌より2首を挙げる。「平山」は平城京の北にある寧楽山で松が生繁っていたところである。笠郎女は相当の才女と思われるが、更に文学の習練が必要であった。歌として解釈されるにはまだまだであるが、簡明素朴の万葉長が残っている。
120) 相念はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後に ぬかづく如し   笠郎女(巻4・608)
・ 上の歌と同じく笠郎女が大伴家持に贈った歌である。才気の勝った諧謔の歌である。心の通じない人を慕うのは、餓鬼絵に額づくようなものだと男を笑い飛ばしている。この「唐変木」めと痛罵している。

(つづく)