ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月27日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第21回
巻 8
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181) 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝宿にけらしも   舒明天皇(巻8・1511)
・ 秋の雑歌で、舒明天皇の御製である。「小倉山」は山城嵐山ではなく、岡本宮に近くの山であろうか。夕方になるといつも小倉山で鳴く鹿が、今日は鳴かない。多分もう寝てしまったのかなという意味である。いつも妻を求めて鳴く鹿が、今日は妻を得て寝るという意味にもとれる。調べ高くしておおらかで、豊かにして弛まないこころを現している。「いねにけらしも」の一句は古今無上の結句だと茂吉は言う。素朴・直接・人間的・肉体的で後世こうして歌はなくなったという。茂吉はこの歌を万葉集中最高峰のひとつだという。えてして茂吉は天皇の御製を無条件に賛美するきらいがある。だから茂吉は天皇主義者と言われるのである。
182) 今朝の朝 雁がね聞きつ 春日山 もみじにけらし 吾こころ痛し   穂積皇子(巻8・1513)
・ 今朝雁の声を聴いた。もう春日山は黄葉したであろうか、身に染みて悲しいという歌である。痛切な心境を暗示させるのは、但馬皇女との関係があったのだろうか。
183) 秋の田の 穂田を雁がね 闇けくに 夜のほどろにも 鳴き渡るかも   聖武天皇(巻8・1539)
・ 「秋の田の穂田を刈る」は「雁が音」にかけている序詞である。暗闇の中で暁の天に向かう夜の雁を謳った。
184) 夕月夜 心も萎に 白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも   湯原王(巻8・1552)
・ 湯原王の蟋蟀の歌である。白露のおく庭で蟋蟀の声を聴くと心も萎れるというものである。
185) あしひきの 山の黄葉 今夜もか 浮かびゆくらむ 山川の瀬に   大伴書持(巻8・1587)
・ 大伴書持(ふみもち)は旅人の子で家持の弟にあたる。橘宿祢奈良麻呂の屋敷で宴をした時の歌である。山河の瀬に黄葉が浮かんで流れゆく写像である。「今夜もか浮かびゆくらむ」が本歌の中心をなす詠嘆詞である。山にしろ川にしろ固有名詞が一切ない普通名詞で扱うところが象徴の余地を大きくしている。万葉末期の移行時期の歌かもしれない。
186) 大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに   舎人娘子(巻8・1636)
・ 舎人娘子の伝は不詳だが、舎人皇子の従者だとすると持統天皇の宮女であったかもしれない。「大口」は「真神」に係る枕詞。真神の原は高市郡飛鳥にあった。贈答歌のように、ありのままに詠んで親愛の情のこもった歌である。
187) 沫雪の ほどろほどろに 零り重けば 平城の京師し 念ほゆるかも   大伴旅人(巻8・1639)
・ 「ほどろほどろに」は沫雪の形容で、形を成さない重くて消えやすい雪の様のことである。ほどろを2回繰り返すところにその様子が強められる。線の太い、直線的な歌い方は旅人の真骨頂である。哀感を感じさせない歌い方に共感を覚えるという。
188) 吾背子と 二人見ませば 幾許か この零る雪の 懽しからまし   光明皇后(巻8・1658)
・ 光明皇后が聖武天皇に贈られた歌である。光明皇后は藤原不比等の娘で皇后となられた。説明不要であろう。

巻 9
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189) 巨椋の 入江響むなり 射部人の 伏見が田居に 雁渡るらし   柿本人麿歌集(巻9・1699)
・ 宇治川にて作れる歌2首のひとつである。「巨椋の入江」とは、山城久世郡の巨椋池のこと(今は干拓されて、ない)である。「射部人」は臥して矢を射ることから「伏見」の枕詞。巨椋の池の入り江に大きな音がする、これは雁の群れが伏見の田に向かって飛んでゆくからだという意味である。「入江響むなり」がこの歌の決定打となっている。古調の響きがいい。万葉集でもズバリ言い切る使い方は少ない。
190) さ夜中と 夜は深けぬらし 雁が音の 聞ゆる空に 月渡る見ゆ   柿本人麿歌集(巻9・1701)
・ 人麿が弓削皇子に奉った歌三首の一つである。「月渡る」は月が傾きかかることである。夜を2回繰り返し、夜がさらに更けてゆく様子を演出している。淡々と言い放つところに日本語の良さが見えるという。

(つづく)