ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月23日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第17回
巻 6
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141) ぬばたま 夜の深けぬれば 久木生うる 清き河原に 千鳥しば鳴く  山部赤人(巻6・925)
・ 「ぬばたま」は夜にかかる枕詞、「久木」とは歴木とも書き赤目柏である。夜景で河原で鳴く千鳥が主役のたわいもない歌である。実景として見たかどうかも怪しい。夜ー久木ー清きー千鳥の写像の流れで歌っている。分かりやすいスケッチ映像で統一されている。
142) 島隠り 吾が榜ぎ来れば 羨しかも 大和へのぼる 真熊野の船  山部赤人(巻6・944)
・ 山部赤人が播磨国室津の沖にある辛荷島を過ぎて詠んだ長歌の反歌である。山部赤人の乗った船は大和から西に向かっていたのだろう。熊野は木材の宝庫であり、その材で作った船を真熊野船といった。歌の真ん中で「羨しかも」が効果的に存在し、まるで東西する船が交差するように、西に下る船の人がが東の大和に上る船の人を羨んだ様子が図解されるようである。
143) 風吹けば 浪か立たむと 伺候に 都多の細江に 浦隠り居り  山部赤人(巻6・945)
・ 前の作の続きである。この風で浪が荒くなるだろうと様子見をしながら、都多の細江の河口に船を寄せて隠れているのである。「伺候(さもろふ)」とは様子を伺うことである。「都多の細江」とは姫路の西南の津田あたりである。羇旅の苦しさは歌の常套手段で、むしろ冷静に旅を楽しんでいるようだ。赤人をもって叙景歌人の最右翼としたのもうなずける。赤人の歌は激情を排し、しずかに落ち着いて物を見ていることに感心させられる。
144) ますらをと 思へる吾や 水茎の 水城のうへに 涙拭はむ   大伴旅人(巻6・968)
・ 大伴旅人が大納言を牽引して大和に還るとき、多くの見送人のなかに児島という遊行女婦が歌を贈って別れを惜しんだ。旅人の歌はそれに応えたものである。「水茎の」は「水城」に係る枕詞。自分はますらおと自任しても、お前との別れがつらく、水城のうえに涙を落としている。諧謔の歌に分類されそうであるが、決して軽薄ではなくしっとりした情緒を演出している。
145) 千万の 軍なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 男とぞ念ふ   高橋虫麿(巻6・972)
・ 藤原宇合(不比等の子)が西海道節度使(西方面師団)になって赴任する時、高橋虫麿の詠んだ歌。「言挙げせず」は不言実行の精神である。命を受けたら、あれこれいわずに、直ちに敵を討って取ってくるのが男だという意味である。この歌は調べを強くして、武将を送るにふさわしい声調を出している。茂吉はこれを万葉調の神髄だというが、もうそれはないと嘆いている。
146) 丈夫の 行くとふ道ぞ 凡ろかに 念いて行くな 丈夫の伴   聖武天皇(巻6・974)
・ 聖武天皇の御製。唐の制度に倣って節度使の制を敷いた。四道(東海、東山、山陰、西海の方面軍)の常駐軍制度となった。任地に赴く節度使に与えた聖武天皇の歌である。ますらおたちよ、夢おろそかに思わず大任を果たせという意味である。
147) 士やも 空しかるべき 萬代に 語りつぐべき 名は立てずして   山上憶良(巻6・978)
・ 山上憶良が病に臥した時、藤原朝臣八束が河辺朝臣東人を使として、病を問うたことへ答える歌である。丈夫として後の代に伝えられるような名を立てないで死ぬのは残念だという意味である。中国の思想として歴史に名を記されることが最大の名誉とされた。歌としては大づかみで感慨は少ないのはやむを得ない。
148) 振り仰けて 若月見れば 一目見し 人の眉引き おもほゆるかも   大伴家持(巻6・994)
・ 大伴家持の作った「三日月(若月)の歌」である。三日月は一目見た美人の眉引きの様だというたわいもない歌である。
149) 御民われ 生ける験あり 天地の栄える時に 遭へらく思えば   海犬養岡麿(巻6・996)
・ 海犬養岡麿が詔に応えたうたである。こうした政治色の強い歌は、おうおう天皇が気持ちよくなるだけが目的の「ごますり歌」に堕して、無内容な歌になる。それでも歌にするにはそれなりの力量が要求される。万葉前半期には耐える力量を持つ歌人がいたが、後半期には存在しない。
150) 児等しあらば 二人聞かむを 沖つ渚に 鳴くなる鶴の 暁の声   守部王(巻6・1000)
・ 聖武天皇が難波宮に行幸あった時、守部王(舎人親王の子)が応えた歌である。歌の内容はさしたることもないのだが、茂吉はこの歌が後世新古今和歌集時代の「名詞止めの歌調」の先駆けを為すからだという。結句を「暁の声」で締めている。上代の古調歌にはない名詞止めの歌であるからだ。

(つづく)