ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月22日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第16回
巻 5
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131) 常知らぬ 道の長路を くれぐれにと 如何にか行かむ 糧手は無しに   山上憶良(巻5・888)
・ 肥後国益城郡に大伴君熊凝という若者が、相撲部領使いの従者として都に向かう途中、安芸国高庭駅で病死した。18歳であった。詞書には、死にのぞんだ彼の心境を山上憶良が歌にしたと書かれてる。6首のうちの一つである。「かって知らなかった黄泉の国への長い道を、おぼつかなくも心悲しく、糧米も持たずにどう行けばいいのだろうか」という意味である。
132) 世間を 憂しと恥しと 思えども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば  山上憶良(巻5・893)
・ 万葉集の中で特異な位置を占める憶良の「貧窮問答歌」の反歌である。「やさし」は「恥ずかし」という意味である。反歌は長歌の総括的役割であった。一首の意味は「吾々は世間が辛いとか恥ずかしいとか言ってみたところで、鳥のように飛んでどこかへゆけるわけではない」という。筑紫国守でもあった憶良が貧しい生活をしていることはないのだから、実生活を表現するというより、観念歌から出発している。そして憶良の長歌には中国の出典を見つけることができる。
133) 慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き行く鳥の 哭のみし泣かゆ  山上憶良(巻5・898)
・ 老病のために苦しんでいても慰める手段もなく、雲隠れして鳴く鳥のように、一人忍び泣きをするばかりですという意味だ。観念歌であることは分っているが、なぜか悲しい響きが漂うので心が惹かれると茂吉は評している。
134) 術もなく 苦しくあれば 出でて走り 去ななと思へど 児等に障りぬ  山上憶良(巻5・899)
・ もう手段も尽きて、苦しくて仕方がないので走り出して自殺しようと思うのだが、子どものことを思うとそれもできない問意味である。観念歌でも概括的に言わないで具体的に言うのでリアリティがある。朴訥とした調べは憶良独特のものであり共感を生むのである。万葉集の時代にこれだけの材料を使いこなす力量はやはり群を抜いている。
135) 稚ければ 道行き知らじ 幣はせむ 黄泉の使い 負ひて通らせ  山上憶良(巻5・905)
・ 「男子 古日を恋ふる歌」 註には作者は不明だが、憶良の作と言ってもいいだろうとする。この死んでゆく幼子は冥途への道も知らない。冥途の番人よ、お礼はするから、この子を背負って通してやってくれという意味である。仏教的内容をぼつぼつと語る憶良の語り口は妙に具体的で、説得力があル、それが憶良の強みである。
136) 布施置きて 吾は乞ひ祷む 欺かず 直に率行きて 天路知らしめ  山上憶良(巻5・906)
・ この歌も前の歌と同じ趣旨の歌で、布施は仏教語で捧げものという意味で、前の歌の「幣」と同じである。ただ「黄泉」は使わず「天路」という言葉を使用する。どちらも死者の往く道であるが、「天路」は日本的表現である。「欺かず直に率行きて」は妙に諧謔的である。地獄の沙汰も金次第ではなかろうが、子供への哀惜がそう言わしめたのであろう。

巻 6
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137) 山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は 見れど飽かぬかも  笠金村(巻6・909)
・ 元正天皇吉野離宮に行幸あった時、従駕の笠金村が作った長歌の反歌である。「白木綿花」とは栲(たえ)の川から作った白布である。その白布のように落ちる滝の状況を謳っている。「山高み白木綿花に」までは序詞と見てよい。「河内」は地名ではなく、河川敷を含めた川を遶る土地をさす。結句「見れど飽かぬかも」は万葉集の常套詞である。この歌は華朗で荘重に作っているが、類型的、図案的で人麿からの借り物が多い。人麿の語句、朗々とし荘重な歌調は万葉の伝統であった。
138) 奥つ島 荒磯の玉藻 潮干満ち い隠れゆかば 思ほえむかも  山部赤人(巻6・918)
・ 聖武天皇が紀伊国に行幸された時、従駕の山辺赤人が作った長歌の反歌である。「奥つ島」とは此処では玉津島のことである。潮が満ちて荒磯の玉藻が水面下に隠れてしまって、心残りがするという意味である。歌の内容としては何の変哲もない「ごますり歌」である。
139) 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 蘆辺をさして 鶴鳴き渡る  山部赤人(巻6・919)
・ 前の歌の続きである。「若の浦」とは今は和歌の浦と書くが、弱浜とも書いた。若の浦に潮が満ちてくると干潟が無くなり、鶴は陸地の蘆辺を目指して鳴き渡るという意味である。写生像が鮮明でうまい歌である。「潮満ち来れば潟を無み」が説明的言わずもがなの感がある。高市黒人はこの歌に先行する同じ情景の歌で「潟を無み」は使わず、「鶴鳴き渡る」を2回繰り返している。黒人の歌の模倣といわれてもしかたないが、この歌は叙景歌の極みとして通俗化された。
140) み芳野の 象山の際の 木末には 幾許も騒ぐ 鳥のこゑかも  山部赤人(巻6・924)
・ 聖武天皇が紀伊国に行幸された時、従駕の山辺赤人が作った歌の続きである。「象山」は吉野離宮の近くの山である。一首の歌の意味は「芳野の象山の木立の繁みには、実にたくさんの鳥が鳴いている」というだけの中身の少ない歌である。「幾許(ここだ)」という強めの副詞が特徴的である。

(つづく)