ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月08日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第2回
序(その2)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


斎藤茂吉氏が参考にされた注釈書には、①仙覚「万葉集抄」、②北村穂抄「万葉拾穂抄」、③契沖「万葉代匠記」、④荷田春満「万葉集僻案抄」、⑤賀茂真淵「万葉考」、⑥荒木田久老「万葉集槻落葉」、⑦橘千蔭「万葉集略解」、⑧富士谷御杖「万葉集燈」、⑨岸本由豆流「万葉集攷」、⑩橘守部「万葉集檜嬬手」、⑪鹿持雅澄「万葉集古義」、⑫木村正辞「万葉集美夫君志」、⑬近藤芳樹「万葉集註疏」、⑭井上通泰「万葉集新考」、⑮佐々木信綱「万葉集選釈」、⑯武田祐吉「万葉集新解」、⑰次田潤「万葉集新講」、⑱山田孝雄「万葉集講義」などである。
歌の解釈に異議を生じやすい原因は万葉仮名の訓の読み方にある。万葉仮名は、主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。楷書ないし行書で表現された漢字の一字一字を、その字義にかかわらずに日本語の一音節の表記のために用いるというのが万葉仮名の最大の特徴である。万葉集を一種の頂点とするのでこう呼ばれる。「古事記」や「日本書紀」の歌謡や訓注などの表記も「万葉集』」と同様である。「古事記」には呉音が、「日本書紀」には漢音が反映されている。江戸時代の和学者・春登上人は「万葉用字格(1818年)の中で、万葉仮名を五十音順に整理し〈正音・略音・正訓・義訓・略訓・約訓・借訓・戯書〉に分類した。万葉仮名の字体をその字源によって分類すると記紀・万葉を通じてその数は973に達する。万葉仮名の最も古い資料と言えるのは、5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣である。辛亥年(471年)の製作として、第21代雄略天皇に推定される名「獲加多支鹵(わかたける)大王」が書き表されている。漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立していた事になる。実際の使用が確かめられる資料のうち最古のものは、大阪市の難波宮(なにわのみや)跡において発掘された652年以前の木簡である。「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。正倉院に遺された文書や木簡資料の発掘などにより万葉仮名は7世紀頃には成立したとされている。平安時代には万葉仮名から平仮名・片仮名へと変化していった。平仮名は万葉仮名の草書体化が進められ、独立した字体と化したもの、片仮名は万葉仮名の一部ないし全部を用い、音を表す訓点・記号として生まれたものと言われている。例えば「し」の音に対応する万葉仮名には、子 之 芝 水 四 司 詞 斯 志 思 信 偲 寺 侍 時 歌 詩 師 紫 新 旨 指 次 此 死 事 准 磯 為があげられる。また「は」に対応する万葉仮名は、八 方 芳 房 半 伴 倍 泊 波 婆 破 薄 播 幡 羽 早 者 速 葉 歯があげられる。
次に著者斎藤茂吉氏のプロフィールを紹介する。斎藤 茂吉(1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物であった。山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村生まれで、東京・浅草で医院を開業するも跡継ぎのなかった同郷の医師、斎藤紀一の家の次女の婿養子となった。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫が生まれた。中学時代、佐佐木信綱の「歌の栞」を読んで短歌の世界に入り、友人たちの勧めで創作を開始した。高校時代に正岡子規の歌集を読んでいたく感動、歌人を志し、左千夫に弟子入りした。精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学や青山脳病院院長の職に励む傍ら旺盛な創作活動を行った。また、文才に優れ、柿本人麻呂、源実朝らの研究書や、「ドナウ源流行」、「念珠集」、「童馬山房夜話」などのすぐれた随筆も残しており、その才能は宇野浩二、芥川龍之介に高く評価されたという。
本書「万葉秀歌」の序において斎藤茂吉氏が述べているように、「歌の数が何せ4500有余もあり、一々註釈書に従ってそれを読破するのは並大抵のことではない。(岩波文庫本でも5分冊からなる) 従って本書は選集という形をとった。長歌を止め、万葉の短歌が4200首足らずであるとして、大体1割ぐらい(400首ほど、しかし茂吉は本書で参考歌として約40首を解説無しで掲載しているので、茂吉のコメントのある歌は361首である)を選んだ」という。万葉集は戦前の日本において我国の大切な歌集であるので、万人向きの歌を選んだというこのセンスが今も通用するかどうかは知らない。そうして選んだ歌の簡単な評釈を加えたが、本書の目的は秀歌の選出にある。歌の評釈は参考程度に考えて、読者自ら自由に歌に親しむことが大切である。本書は一首一首の趣に執着するので、詞にこだわっているが全体の評論は行わなかったという。

(つづく)