ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月18日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第12回
巻 3
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91) 此処にして 家やもいずく 白雲の 棚引く山を 越えて来にけり   石上卿(巻3・287)
・ 持統天皇が志賀に行幸あったとき、石上卿が作られた歌である。左大臣石上麻呂かもしれない。天皇が元正天王であったなら石上豊庭説が有力になる。思えば遠くに来たものだという感情を直線的に言い下している。
92) 昼見れど 飽かぬ田児の浦 大王の みことかしこみ 夜見つるかも   田口益人(巻3・297)
・ 田口益人が上野国司となって赴任する途上、駿河国浄見崎を通過したときの歌である。浄見崎は廬原郡あたりの海岸で、今の興津浄見寺だという。田子の浦は今は富士群だが、昔の廬原郡にもかかる広い範囲の海岸であった。なぜ昼に見ないで夜になったかというと宿の間隔と工程上の理由である。上古の田子の浦の考証では「薩?峠東麓から、由比、蒲原を経て吹上浜に至る弓状をなす入江を上代の田子浦とする」トウ説がある。
93) 田児の浦ゆ うち出でて見れば 眞白にぞ 不尽の高嶺に 雪は降りける   山部赤人(巻3・318)
・ 山部赤人が富士山を詠んだ長かの反歌である。「田児の浦ゆ」の「ゆ」はよりという経緯を示す言葉である。古来叙景歌の絶唱と称せられ、赤人の最高傑作である。見た位置は、田子の浦の中である。
94) あおによし 寧楽の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛なり   小野老(巻3・328)
・ 大伴旅人が太宰師であったころ、その部下として太宰少弐小野老朝臣であった頃の作である。天平の寧楽の都の繁栄を謳歌して、直線的に豪も滞るところはなかった。内容は複雑であろうがそれは考慮せずに、宏大な気分だけを現した、傑作である。
95) わが盛 また変若めやも ほとほとに 寧楽の京を 見ずかなりけむ   大伴旅人(巻3・331)
・ 太宰師大伴旅人が筑紫大宰府にて詠める歌。旅人63歳ころの作品。のち大納言となって帰京し、67歳で没した。「変若(おち)め」とは若返ることで、前の句で吾が若い盛りが再び戻ってくることがあるだろうか。それは叶わぬことだと言い切っている。辺土に居れば、寧楽都をも見ないでしまうだろう。自在な作風は思想的抒情詩を開拓していったが、歌は明快であった。その分深みが少ない。昔見た吉野の
96) わが命も 常にあらぬか 昔見し 象の小河を 行きて見むため   大伴旅人(巻3・332)
・ 昔見た吉野の象の小河を見るためにも、長生きしたいものだという。「か」は疑問の助詞だが、希う心がある為である。
97) しらぬひ 筑紫の綿は 身につけて いまだは着ねど 暖けく見ゆ   沙弥満誓(巻3・336)
・ 沙弥満誓は笠朝臣麻呂で在家出家して満誓となった。筑紫の観音寺を造営したことが続日本記に見える。仏教的観相の歌より、この率直な平易な歌の方が一段上であるとされる。「綿」は「真綿(絹)」のこと。「しらぬひ」は筑紫に係る枕詞。
98) 憶良等は 今は罷らむ 子哭くらむ その彼の母も 吾を待つらむぞ   山上憶良(巻3・337)
・ 山上憶良は遣唐使に従い少録として渡海し、帰ってきてから筑前守となる。筑前守時代の宴会を退出する時の挨拶歌である。子供も女房も泣いているから早く帰ろうという諧謔歌である。憶良は斎藤氏によれば、漢文の素養はあるが、万葉短歌の上代語の声調の理解が乏しく、とつとつとして流れないと批判的である。憶良は明治以降に生活の歌人として評価が高まったし、人間的な実のある歌人であるとされた。この歌はやはり憶良の傑作であろう。
99) 験なき 物を思はずは 一杯の 濁れる酒を  飲むべくあるらし   大伴旅人(巻3・338)
・ 太宰師大伴旅人の「酒を讃むる歌」13首のひとつである。「思はずは」は「思わないで」という意味である。「は」は詠嘆の助詞である。詰まらないことにくよくよせずに、まあ一杯の濁り酒を飲め。この一句は談話言葉による歌である。13首の酒の歌の内、この歌を茂吉は第一にあげる。他の12首の歌を参考に掲載している。思想的抒情詩の分野の歌集である。酒のみの屁理屈集である。
100) 武庫の浦を 榜ぎ回む小舟 粟島を 背向に見つつ ともしき小舟   山部赤人(巻3・358)
・ 武庫浦とは武庫川河口のことで今の神戸市である。「粟島」は淡路島の小島の一つだろうと推測される。「背向に」とは横斜めのことである。「ともしき」とは羨ましいという意味で、見方を変えて小舟を2回繰り返してきれいにまとめている。赤人は場所は違うが同じような情景の歌6首を作り、他5首が参考歌として掲載している。

(つづく)