ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月29日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第23回
巻 10
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201) 春されば 樹の木の暗の 夕月夜 おぼつかなしも 山陰にして   作者不詳(巻10・1875)
・ 春になって木が萌え茂り、木の間が薄く暗く感じられ、山影にあるため夕月の光もおぼつかない。「おぼつかなしも」がメインテーマとなっている。
202) 春日野に 煙立つ見ゆ 娘嬬等し 春野の菟芽子 採みて煮らしも   作者不詳(巻10・1879)
・ 「娘嬬」は「おとめ」と読む。「菟芽子」は「うはぎ」と読み、嫁菜のことである。「春日野」は平城京の東に広がる野で遊楽の地であった。「春日野に煙が立つのは、野遊びにきた娘たちが嫁菜を採んで煮ているようだ。」
203) 百礒城の 大宮人は 暇あれや 梅を挿頭して ここに集える   作者不詳(巻10・1883)
・ 「百礒城の」は多くの石で築いた城という意味で「大宮」の枕詞とした。「(今日は)大宮人は、暇なのか、梅花を挿頭にしてこの野に集まっておられる」 奈良朝の太平豊楽を賛美する気持ちが表面に出でている。
204) 春雨に 衣は甚く通らめや 七日し零らば 七夜来じとや   作者不詳(巻10・1917)
・ 女から男にやった歌で、男がやって来ないことを揶揄している。 「あの程度の春雨で衣が濡れ通ることはありますまい、もし七日雨が降り続いたら、七晩やって来ないというの」と女の肉声を聞くようである。平安時代の理知的な才気とはまた違う迫力がある。
205) 卯の花の 咲き散る岳ゆ 霍公鳥 鳴きてさ渡る 君は聞きつや   作者不詳(巻10・1976
・ 問答歌でこれは問である。「卯の花の咲き散る岳を越えて鳴き渡る霍公鳥の声が聞こえますか」 簡潔で、技巧もあって「卯の花の咲き散る岳ゆ鳴きてさ渡る霍公鳥」と持ってくるところがうまい。
206) 真葛原 靡く秋風 吹くごとに 阿太の大野の 萩が花散る   作者不詳(巻10・2096)
・ 「阿太の大野」とは吉野下市付近の原野である。「真葛原 靡く」は大野に係る枕詞ととることも可、意味を取ることも可。「葛の原をなびかせる秋風が吹くたびに、阿太の野の萩の花が散る」
207) 秋風に 大和へ越ゆる 雁がねは いや遠ざかる 雲がくりつつ   作者不詳(巻10・2128)
・ 「秋風が吹いて大和の方へ越えゆく雁は、雲の中に隠れつつ次第に遠ざかってゆく」
208) 朝にゆく 雁の鳴く音は 吾が如く もの念へかも 声の悲しき   作者不詳(巻10・2137)
・ 「朝早く飛んでゆく雁の音は何となく物悲しい。私のようにもの想いをしているからだろうか」 惻々とした哀感が伝わる。
209) 山の辺に い行く猟夫は 多かれど 山にも野にも さを鹿鳴くも   作者不詳(巻10・2147)
・ 「山の辺りに行く猟夫は多いのだが、それにもかかわらず野にも山にも、妻を求めて鳴く鹿は出歩いている」 恋は盲目というところだろう。「鳴くも」という言い方は万葉集には甚だ多かったが、しだいに感傷語に嫌気がさしてきて少なくなった。
210) 秋風の 寒く吹くなべ 吾が屋前の 浅茅がもとに 蟋蟀鳴くも   作者不詳(巻10・2158)
・ 「吹くなべ」は吹くに連れてという意味。「寒い秋風が吹くにつれて、我が家の前の浅茅の下で蟋蟀が鳴くようになった」 「我が家の前の浅茅の下」が身近な具体性を以て面白い。

(つづく)