ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 斎藤茂吉著 「万葉秀歌」 上・下(岩波新書 1938年11月)

2017年10月28日 | 書評
精神科医でアララギ派の歌人斎藤茂吉が選んだ万葉集の秀歌約400首 第22回
巻 9
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191) うちたをり 多武の山霧 しげみかも 細川の瀬に 波の騒げる   柿本人麿歌集(巻9・1704)
・ 人麿が舎人皇子に奉った歌二首のひとつ。「うちたおり」とは「うちた折り撓む」から「多武(たむ)」の枕詞となった。多武峯は高市郡にある塔の峯、談山神社のある談山のことである。「細川」は飛鳥川の上流にある。多武の峯に雲霧がしげくかかっているのか、細川の瀬に浪がたち騒いでいる。鋭敏な感覚は人麿の特徴である。
192) 御食むかふ 南淵山の 巌には 落れる斑雪か 消え残りたる   柿本人麿歌集(巻9・1709)
・ 「御食むかふ」は「南淵山」とミを同音とするところから枕詞となった。「斑雪」は「はだれ」と読む。叙景の歌で、弓削皇子の居られる宮よりまじかに見える南淵山の景観を謳ったと言われる。
193) 落ちたぎち 流るる水の 磐に触り 淀める淀に 月の影見ゆ   作者不詳(巻9・1714)
・ 吉野の宮に行幸のあった時に詠まれた歌だが、誰の歌か、どの御代かは不明。前半は滝の落ちる流れ、後半は月の影を詠んでいる。動と静の対比、印象の明瞭な歌である。真淵は人麿の作ではないかという。
194) 楽浪の 比良山風の 海吹けば 釣りする海人の 袂かへる見ゆ   柿本人麿歌集(巻9・1715)
・ 「楽浪の」は「比良山」の枕詞といってもいい。近江の比良山から湖水の面に吹き降ろす風が、釣りをしている漁夫の袖を翻らせる。前半のさわやかな諧調音は人麿の技とみられる。
195) 泊瀬河 夕渡り来て 我妹子が 家の門に 近づきにけり   柿本人麿歌集(巻9・1775)
・ 舎人皇子に奉った歌二首のひとつ。「泊瀬河」は長谷の谷を流れ佐保川に合流する川である。「門」は「かなど」と読む。愛する女の家に近づいてゆく様子が軽快に詠まれている。
196) 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 吾が子羽ぐくめ 天の鶴群   遣唐使随員の母(巻9・1775)
・ 遣唐使(多治比真人広成)の船が難波の津を出帆した時、随員の母親が詠んだ歌。遠く唐に旅する子が宿りするあの地で霜が降ったなら、天の鶴の群れよ翼を広げてあの子を守っておくれという意味である。文学的表現に優れた歌である。
197) 潮気立つ 荒磯にはあれど 行く水の 過ぎにし妹が 形見とぞ来し   柿本人麿歌集(巻9・1775)
・ 「行く水の」は「過ぎにし(亡くなった)」に係る枕詞である。潮煙の立つ荒涼としたこの荒磯だが、亡くなった妻の形見と思ってきたという意味である。緊張感のある情景と共に哀感漂う歌である。 

巻 10
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198) ひさかたの 天の香久山 この夕べ 霞たなびく 春立つらしも   柿本人麿歌集(巻10・1812)
・ 藤原京辺りから香久山を眺めた歌だろう。「ひさかたの」は「天」に係る枕詞。「この夕べ」という分岐点の詞が妙に落ち着いてしまっている。霞がたなびいて春らしくなったことよ。屈託がなく巧まないところが気楽に作っている。
199) 子等が名に 懸けのよろしき 朝妻の 片山ぎしに 霞たなびく   柿本人麿歌集(巻10・1818)
・ 朝妻山は大和南葛飾郡朝妻のある背の低い山。「片山ぎしに」はその朝妻山の麓にあって平野に接するところ。「子等が名に 懸けのよろしき」は序詞で、親しみやすい名前だという意味から「朝妻」に係る。すると序詞と場所を除けば、この歌の本質は春の「霞棚引く」だけである。一気に詠んで、心地よい歌は人麿の歌の一つの特徴である。
200) 春霞 ながるるなべに 青柳の 枝くひもちて 鶯鳴くも   作者不詳(巻10・1821)
・ 春霞と萌え出る青柳の緑、それらを仲介するうぐいすの声で春のオールキャストは揃った。

(つづく)