ブログ 「ごまめの歯軋り」

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J・ハーバーマス著 三島健一訳「デモクラシーか資本主義か」 

2021年06月27日 | 書評
結城市 弘教寺 「六地蔵」

J・ハーバーマス著 三島健一訳「デモクラシーか資本主義か」 

岩波現代文庫(2019年6月)(その1)


第Ⅰ部

本書を編んだのは、大阪大学名誉教授の三島憲一氏である。1942年生まれ、東京大学人文科学系卒業で、専攻は社会哲学、ドイツ思想史である。三島氏が2007年から2018年にかけてのハーバーマスの政治評論7編とインタビュー4編、全11編を選んだ。ドイツ・デュッセルドルフで生まれ、フランクフルト学派第二世代を代表するドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスは、ひっきりなしの危機に喘ぐヨーロッパの特にEUの状況とドイツ政府の対応について、政治的エッセイやインタビューを発表した。どの編にも批判的分析と立場表明がクリアーに表現され、社会的影響力を持つ知識人による政治的介入とみなされている。ギリシャ危機と救済、リスボン条約、ブリュッセルの欧州理事会の独裁的運営、欧州における右翼の台頭、英国の離脱ブレクシット、などの荒波が欧州を襲った。各国を席巻する新自由主義的政策と、格差低減を目指して欧州統合を進めるリベラルなヨーロッパへの道は激突した。2003年ブッシュジュニアーによるイラク戦争に端を発するアメリカの単独行動が目立ち始めた後、ヨーロッパ統合に向けた議論がさらに展開された。そしてリーマンショックやギリシャ債務危機によって、ネオリベラリズムの経済的破綻がはっきりしてから、欧州統合の議論は活発になったが、一向に事態が進展しないのはEU内部での危機解決策に民主主義が欠如していることが理由の一つである。欧州議会の議論を踏まえたうえで欧州理事会で決定されるべきなのであるが、事態は逆方向に進んでいる。暴力によらない問題解決には超国家的な統合のための憲法が必要である。欧州全体で基本的人権を守る政策が必要となる。欧州共通通貨ユーロだけでは経済力に格差が拡大する。ドイツとフランスが資金移動や債務共同負担に踏み出すべきである。欧州統合はスーパー国家や連邦国家として考えるのではなく、個々の国民国家を残して行われ、国民国家内部の市民はヨーロッパ市民として欧州連合の一員となるこうした左翼リベラル路線のヨーロッパは、アメリカの単独行動へ、中国の拡張主義へ反対し、世界政治の核となる。そこに至る道には「妥協は最大の知的過誤である」という判断とともに、その都度の危機や政治的対応に臨まなくてはならない。これがハーバーマスの見解である。

第1章) デモクラシーか 資本主義か (シュトレーク批判)
2013年5月「ドイツ政治・国際政治雑誌」に投稿された論文「民主主義か、資本主義か、危機にあるヨーロッパ」である。シュトレークは「時間稼ぎの資本主義」という論考で、現在のユーロ危機の解決策として、ユーロを解消し、かっての国民国家の民主主義的な経済政策に後退することを提案した。国際的金融資本の弱い者いじめの破壊工作と過度の緊縮予算を強要する力に抗するためには、経済政策上の主権を行使できる国民国家に戻らなければならないという。ハーバーマスはシュとレークの分析を「ノスタルジー」と決めつけた。なぜなら国民国家の経済政策の主権などはとっくの昔に機能していない。グローバル資本が国家を乗っ取っているからである。少なくともユーロを導入している中核ヨーロッパの各国は、EUへの政治統合を強め、国際金融資本にまとまって対抗し、規制を強化する以外にはない。つまり民主主義を守る政治の力が必要だ。この30年の歴史は本当に必然であったのか、経済政策的な視点を取るか、規範に依拠した政治の観点を忘れない視点もあった。ケインズ的な経済政策によって資本主義の制御が可能という楽観論で危機のポテンシャルは政治的に抑えることが可能であると信じていた。しかし複雑な相互に矛盾する政策は国家行政に過度の負担をもたらした。それが経済危機をもたらした。

(つづく)