ブログ 「ごまめの歯軋り」

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本庶佑著 「がん免疫療法とは何か」

2021年06月02日 | 漢詩・自由詩
茨城県筑西市 「小貝川母子島遊水地」

本庶 佑 著 「がん免疫療法とは何か」 

岩波新書(2019年4月)(その4) 

第2章 PD-1抗体でがんは治る

 ③ PD-1抗体治療の研究開発の歴史
PD-1は胸腺での自己反応性リンパ球の選択的細胞死の研究の過程で1992年偶然に見つかった。PD-1の遺伝子配列(cDNA)を見つけたのである。その配列から分子の構造が細胞膜に埋め込まれた受容体であることが分かり、膜の内側にリンパ球の情報伝達に係わるチロシン残基が2個保存されていた。この分子の発現はかなり制約され、活性化されたB細胞とT細胞に見られ、その他の細胞にはほとんど発現されていなかった。PD-1ノックアウトマウスを作るため純系マウスにする必要があり、ようやく3年でノックアウトマウスの症状が見えだした。免疫反応が亢進していることが分かったのは1996年の半ばであった。この論文は1998年と1999年に発表された。マウスの系統によって症状が異なり、ある系統では腎炎や関節炎が現れ1年後から次第に死んだ、別の系統では自己免疫性拡張型心筋症が起こった。膜の内側の2つのチロシン残基周辺のアミノ酸配列の構造は1995年にITAM(免疫受容体活性化チロシンモチーフ)が発見されていたが、PD-1は少し違ってITIM(免疫受容体抑制チロシンモチーフ)と呼ぶ。チロシン残基変異体をもつPD-1を作ってB細胞に発現させ、そのシグナルの伝わり方を見た。2つあるチロシンのうち下流のチロシンが重要で、このチロシンが脱リン酸化酵素(SHP-2)がそこに結合し、こうしてリンパ球活性化シグナルによって生じたリン酸化分子を脱リン酸化することで活性化シグナル量を減少させる効果があった。2001年にこれが確かめられ、PD-1が免疫反応のブレーキ役であることが分かった。PD-1は細胞表面にある受容体の構造をしていることから、それに結合するリガンドが必ず存在する。1998年にジェネティックGIのビアコアを使って微量たんぱく質の結合を電気的に測定する共同研究をスタートさせた。そしてPD-1はDr.フリーマンのB7ファミリーの仲間の一つと結合することが分かった。2000年に論文を発表した。PD-1のリガンドは、抗原提示細胞に発現される。抗原提示細胞とはマクロファージやB細胞の事で、抗原を認識して取り込み、そのペプチドをMHC(抗原を提示する膜分子)に結合させ、T細胞が認識できるようにする細胞である。PD-1は過度の活性化を制御するブレーキ役であるので、抗原提示細胞にはそのブレーキを踏むリガンドが費用となるのである。PD-1のリガンドは抗原提示細胞以外にも様々な細胞で発現誘導され、特にがん細胞でもリガンドが発現されることがわかった。

1996年アリソンがCALA-4抗体を使ってネズミでガン治療を行ったが、強い自己免疫病が起こり、ヒトの治療には使えないことが分かったので、PD-1の方はマイルドな効き方であるのでガン免疫治療のターゲットになりうると確信を得たという。そこでPD-1疎外によるガン増殖抑制実験を始めた。PD-L1抗体を使って腫瘍の増殖が抑えられたので、2002年論文に発表した。PD-L1を発現していない悪性黒色腫ではPD-1抗体が有効であった。当時だれも見向きもしなかったガン免疫療法の開発には企業はしり込みをしたが、2002年小野薬品工業と共願で特許を申請した。アメリカのベンチャーのメダレックス社が小野薬品と共同研究をすることで、2006年より治験が始まった。2009年メダレックス社はブリストル・マイヤー社に買収され治験は加速された。約2000人のガン末期患者を対象にして治験が進み、驚く成績を出した。2012年に論文化され、末期患者の20-30%で効果がみられ、特に悪性黒色腫、肺がん、腎がんの患者では腫瘍が小さくなり1年以上効果が持続した。悪性黒色腫は21014年第3相試験では1年後の生存率は70%であった。化学抗がん剤では20% の効果しか得られなかった。京都大学では卵巣がんの治験を行った。第2相の治験で20人中3人に顕著な効果があり再発もないという結果を得た。アメリカでは2014年悪性黒色腫、2015年には肺がん、腎がん、ホジキンリンパ腫に対して承認された。アメリカのNIHには1000近くの治験が報告された。

(つづく)